執筆:七賀
「四人とも逃亡したんですね」
“それ”には触れない方が身の為だと頭では理解している。なのに真逆の選択をしてしまう自分に呆れる。
「自虐も程々に」と悪友に冗談を言われたばかりだが、これでは自虐趣味と思われても仕方ない。自らの首を絞める台詞にくらくらしながら、隣に座る男性に資料を手渡した。彼は「四人?」と鼻で笑った。
「二人だろう。それとも君にはあれが四人に見えていたのかな」
研究成果を片手に、椎名教授は不思議そうに口角を上げる。
「あ……」
彼の言うとおり。確かに、実際に牢から逃げ出したのは二人の少年。でも元を辿れば二組の双子だ。体をひとつにまとめられただけで、人格は今も分裂している。自分達と何も変わらない、生を受けた人間。
だがそんな指摘をすればいよいよ彼の逆鱗に触れる。まだあどけなさの残る青年、実都は軽く咳払いした。
「すみません。僕は、その……彼らがくっつく前から見ていたので、つい」
「私もそうだよ」
「あ、ですね。はは……大変失礼しました」
思わず笑って誤魔化したものの、無表情の横顔に気付き慌てて頭を下げる。
針で刺したらナイフで刺し返されそうだ。
距離が近いことが引っ掛かるが、作業に集中する。宵、そしてナオトから得たこれまでのデータを暗号化し、彼が持つタブレットに送信した。
この一年、実都に与えられた仕事は双子の研究だ。しかし研究対象がいなくなった今、施設にキープされる理由がない。今回の計画から外され、異動させられる可能性が高い。
異動先次第で天国にも地獄にもなる。決して穏やかな気持ちではいられなかった。
「宵とナオトはすぐ見つかりそうですか? 彼らがいないと僕も仕事がないので」
「心配ない。大方察しがつく」
「え」
所有物として扱っている子どもに逃げられるなんて面目丸つぶれだろう。それなりにショックを受けてると思ったのに、教授は落ち着き払っていた。彼らがいる場所まで分かっているようだが、それは訊いても教えてもらえなかった。
「あの二人は時期を見て回収するよ。それより内部に溝鼠がいるようだ。二人が脱走できるよう誰かが牢の鍵を開けた」
「あぁ……はい。でも鍵を置いてる管理室も深夜は施錠してるし、誰かが持ち出した痕跡はなかったそうです」
「スペアキーを用意していた可能性が高い。管理室によく出入りしている誰か、と考えると大分搾られるだろう」
教授は資料を横の座面に置いた。
ナオト達が逃げたあの夜、当直の職員はいなかった。それでも遠隔で監視できるようになっているが、隔離部屋の監視カメラは全て電源を切られていた。
それらは言わなくても、教授は全て知っているのだろう。
「報告では夜まで異常はなかったと聞いている。職員が全員帰った後、短時間でやられたようだ」
巡回に来た研究員がようやく異変に気付いたが、警報機が破壊されていた為追跡も出遅れた。子どもが逃げるのに充分な時間を与えてしまったのは間違いない。
「僕も彼らがいなくなった後に伝達を受けたので、何もお役に立てず……すみません」
「構わない。私は既に起きたことより、目の前にある疑問の方に興味を惹かれる性分なんだ」
目の前。その言葉に含まれる意味が分からなかったものの、大人しく続きを待つ。何故だか無性に喉が渇いた。
「あの、教授……?」
「実都。ナオトと宵が帰ってくるまで、君にはある仕事をしてほしいんだ」
「は、はい! 何でしょう」
新たな仕事。慌ててパソコンをどけ、立ち上がる。彼は満足そうに頷いた。
「ペットの世話だ。と言っても君も同じ檻に入ってもらうことになるが」
「え……」
錆びついた鍵を渡され、尚さら戸惑う。対する彼は、こちらの反応を見て楽しんでいるようだった。
否、楽しんでいるのだ。いい加減気付いた頃に、彼は頬杖をついた。
「君が二人を逃がしたことは知ってるよ」
初めから、と微笑む。否定も肯定もしていないのに、首筋に大きな鎌を当てられている気分だ。
揺さぶることも、脅すことも、この人にとっては至極平和なやり取りに過ぎないんだろう。でも対峙する人間にとっては冷静でいられない。案の定、彼の……尚登の頼みを引き受けたことを後悔している。
人の好意と善意を利用するあたり、やっぱりあいつもこの人の血を引いてるんだ。
再認識したところでもう遅いけど。
「これまで君には良いアドバイスができなかったから、本音は申し訳なく思っててね。私の身内が関わってると思うと尚さら」
影が離れていく。それと一緒に、自分の嘘を隠していたベールも剥がされていくようだった。
「友人を選ぶことは、上手く生きる秘訣のひとつだ。時間ができたからゆっくり教えるよ、実都」