執筆:七賀
ナオはやたらヨミに入れ込んでいた。丸め込まれていたと言う方が正確な気がするけど、生憎俺は違う。
今日も夏の太陽が島全体を照りつけている。イオは窓から外を覗き、ぐっと背伸びした。
めんどくさい現実は全部ナオに任せて眠りこけていたけど、突然彼の意識が消沈した。何が起きたのか分からなかったけど、どうやらヨミに情が移って反抗的な態度をとっていたらしい。教授の意向で今度はイオが主人格に認定されたようだ。今のナオはどれだけ呼びかけても応答しない、深い海の底にいる。手を掴んで引っ張り上げれば目を覚ますだろうが、そこまでしてやる義理はない。
ナオはいつも貧乏くじをひく。それは彼の最後の良心がそうさせるのだろう。
馬鹿だな。何でもほどほどが一番だ……。
でしゃばらなければ何処へ行っても上手くやれる。イオはそれを人生の教訓とすら思っているが、不器用なナオはむしろ自分から叩かれに行ってしまう。それが腹立たしく、また憐れに感じた。
イオ自身は当面自由に動いていいと言われたので、しばらくのんびりすることに決めた。
「ヨミ。俺ちょっと散歩に行くから」
部屋の隅で蹲る彼に一応声を掛け、部屋を出た。施設内の中庭なら行動を許され、誰にも止められず外へ出ることができた。
イオはしばらく、尚登と会っていない。不思議と会いたい、とも思わなかった。ナオとひとつになるまではあれほど求めていたのに…...。
会いたくない人間が増えた。教授もそうだし、ヤヒロとかいう医者も、その周りにうろつく犬みたいな生徒達も。
「あっつー……」
せっかく外に出たのに、暑さで五分もしないうちに嫌になってしまった。観葉植物を眺めるのも飽きて中へ戻ろうとした時、ヨミがドアの前に佇んでいた。イオを、というよりイオの足元を見ている。見下ろすと、そこには小さなバッタがいた。
「わ、踏むとこだった。お前目が良いんだな。すごい悪そうなのに」
バッタを避けてヨミの前に移動する。
「深海魚の目ってさ、真っ白で、実際全然見えてないじゃん? お前の目もガラスみたいで、深海魚っぽい。似てるよな~。……別に良いと思うけど」
最後に少しだけフォローしたが、ヨミは無反応だった。
ナオのやつ、よくこれに耐えてたな。動きが遅かったり暗い場所を好んだり、マジで深海生物っぽいのに。
まぁヤヒロに惹かれていた時点で趣味が悪いと思った。あの男を理解することは不可能だ。
でも以前ひとりだけ……尚登にひっつき、誰かの見舞いに行った時。病院で会った男の人は、今まで見た中で一番“ まとも”そうだった。
でももう会うことはない。名前は何だったか……ちょっと尚登に似ていた気がするんだけど。
「ナオト」
昔のことを思い出していたせいで、反応が遅れた。ヨミが首の後ろにそっと手を当てている。
「何。……イオだけど」
「イオ? ……暑いって言ってる」
「誰が!」
「誰だろう。分からないけど」
何だよこいつ……。
不思議ちゃんにも程があると思いながら、ヨミの裾を掴んで中へ撤収した。ヨミも自分も汗で腕回りが光っている。
「さっきから……誰かが」
部屋へ向かう途中、ヨミは足を止めて呟いた。顔色はいつも悪いが、わずかに呼吸が荒い。嫌な予感がして彼の前まで戻る。
「何だよ一体。お前もしかして熱あんじゃないの」
ヨミの額に手を当てる。と同時に、息が止まりそうになった。熱どころか、叫んでしまいそうなほど彼の身体は冷たかった。
「な、なん……」
どちらにしても普通じゃない。大人を捜して看てもらおうと辺りを見回したが、強い力で壁に押しつけられた。華奢な彼からは想像もつかない力だ。ナオもこれにやられたらしい。
「ってえな! 離せよ……んっ!」
最悪殴ろうと考えたけど、両腕を掴まれた状態でキスをされた。
「んっ、ふうぅ……う、んっ」
飢えに耐えかねてがっついたような、品のないキス。だらしなく唾液が零れ、互いのシャツに染みをつくる。
こんな欲求不満野郎と同じ部屋で過ごすとか冗談じゃない。教授に土下座してでも、実験の日まで別室にしてもらおう。
酷い現実の中頭だけは冷静に回っていたが、とうとうズボンの中に手を入れられて飛び上がった。
「やめろ! 俺はナオじゃないんだよ! お前のことなんか何にも知らない、好きでもない!」
「へー、違うの?」
ヨミにしては低くて太い声。耳元で囁かれ、体が固まった。
何だ……。
目の前で薄く笑うのはヨミのはずなのに、全く知らない人間のように感じる。そのまま首を締め上げられてもおかしくないような冷たい目だ。幸い、彼の手は首ではなく頬を優しくなぞった。
「あー……俺も記憶が飛び飛びなんだけど、ヨミは君とイチャイチャしてたよね?」
「はあぁ……!?」
ヨミはお前だろ。訳が分からぬまま睨み上げると、彼はハッとしたように手を叩いた。
「あっそうか。君はその、ナオ君って子の体を借りてるなんかなの?」
「なんか、って……俺は弟だよ。あと借りてるんじゃない! 元々は二人だったけど、兄貴と一緒にひとつの体にまとめられただけ。ヨミと関わってたのはナオで、俺の名前はイオ。……信じられないかもしれないけど……」
「ありゃ。ううん、信じるよ。俺もそうだもん」
ヨミ……いや、白髪の少年は身体を離し、イオの鼻先を優しくつついた。
「俺もねー、弟とまとめられちゃったのよ。双子は貴重なんだって、知らない大人についていったらこんなことになっちゃってさ。これを軽率と言わないで何て言うんだろね?」
知らん。
それより驚いて二の句が継げない。イオは目を見張った。
彼も、自分達と同じく「ひとつ」にされた存在だった……?
生きる屍のようだったヨミとは正反対の、生気に満ちた瞳。どこか楽しげな笑みを浮かべ、彼は手を差し出した。
「俺は宵。まとめられた者同士仲良くしようね、イオ君?」