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43⑹

執筆:七賀

 

 

ヨミが叫ぶ声が聞こえて、気付いたら部屋を飛び出していた。

ベッドの上で苦しそうに呻くヨミを見て、もう彼に何もしないでほしい、と大人達に頼んだ。でも実験は終わらず、逆に押さえつけられて薬を打たれた。次に目が覚めた時、ナオが居たのは自室のベッドだった。

「いってぇ……

彼らは力の加減というものを知らないから困る。注射を何度も打たれた腕は青く染まり、正視に耐えない。

同じことを何度も繰り返してるせいでこれが夢なのか現実なのか、段々分からなくなっている。

 

 

ナオは最近同じ夢を見る。イオと母と三人で遠い霊園へ行く夢。母は水鉢を持ち、自分とイオは花を持っていた。まだ幼く、そこまでいがみ合ってなかった頃……何でも二人で協力していた時期もあったな、とそこで思い出した。

誰の墓参りだったんだろう。自分達はせいぜい一、二回しか行かなかったが、母は一人でもっと訪れていたのかもしれない。手を合わせて瞼を伏せると、終わるまでが本当に長かった。

高い山の上にある霊園で、その日は霧がかかっていた。自分もイオも落ち着きなく辺りをウロウロしていただろうに、足音を消されると真後ろまで人が来ていることに気付かなかった。

「ミヤコさん」

「あっ……お義兄さん」

突然現れた男性に気付き、母が慌てて立ち上がる。驚きながらもほっとした顔を浮かべ、親しげに会話を始めた。ナオとイオは互いに顔を見合わせ、その様子を見ていた。

彼は「誰の」兄だったのか。ふと優しく微笑みかけられたけど、何故か恐ろしくて後ずさりした。

その頃から母は少しだけ変わった。何が、というと上手く言えないけど……良く言えば元気に、悪く言えばうるさくなった。

階段の途中に落とし穴があったかのように、その後の記憶がひとつ抜け落ちてしまっている。次に思い出せる場面には、もう兄……尚登の姿があった。おやつを食べ散らかして遊びに行くイオを優しく叱る。母はそれを嬉しそうに眺めている。俺は呆然としている。

直央は全然我儘も言わなくて良い子だね、と尚登が頭を撫でる。これが三百六十五歩日続いて、一年二年と積み重なって、気付いたらイオの方が甘やかされていた。

今さら羨ましいとも思わないが、尚登の褒め方は兄として 正しかったんだろうか。彼はオウムが喋ったことに感動するような調子で、イオの行動の一々を褒め称えた。

それはちょっと違くないか? でも突っ込むのもめんどくさくてやめた。それからすぐ、尚登はまたいなくなったから。

このもやもやを共有してくれる相手が欲しかった。多分ヨミはこちらの話を理解してない。でも黙って耳を傾けてくれる。それだけで心が軽くなったんだ。

今は弟のように大事な存在だ。

 

 

「これじゃ実験どころじゃないね」

何度目かの瞬きの後、耳元で声がした。気付いたらまたベッドの上に寝ていた為ぐっと見上げる。そこでは教授が優しく微笑み、頭を撫でてきた。

「ヨミ君の準備は万端なんだけど。肝心の君がここまで偏ってしまうと、尚登が望む形にはならないね」

頭を撫でていた手がすっと離れ、首元に回る。固い掌から伝わるものは何もなく、次第に息苦しくなった。ちょっとでも動いたら彼の逆鱗に触れる気がして、隣にヨミが寝てるかどうかも確認できない。

「ひとつにしても上手くいかなかったから、またふたつにする。行き当たりばったりな性質が本当に変わらないよ」

台詞のわりに、教授の口元は楽しそうに歪んでいた。

「身勝手なお兄ちゃんを持って大変だね。……でも最近はナオ君、君の意識が強過ぎて切り離すことに不安があるんだ。だから少しだけ眠っててもらえるかな?」

それは、イオの意識が消えかけているということ。

本来なら嬉しいことなのに……何故か素直に喜べず、教授の言葉に怒りも感じなかった。

尚登は弟という存在がふたつ欲しいから、今は消される心配はない。ただちょっと、深い眠りにつくだけだ。

腕に細い針が触れて中に食いこんでくる。目だけ動かし、目の前が暗くなるまでその様子を眺めていた。

がっかりだ。ヨミのやつ、せっかくちょっと変わってきてたのに……

でも最後に心配することがあいつとか、俺も終わってるな。

 

島全体を湿らせていた梅雨が明け、夏が始まった。ただ立ってるだけで汗をかくような日は、そもそも外に出るべきじゃない。そう思うのに職員から散歩に行ってこいと追い出され、憤慨していた。

学校の方からは生徒達の元気な声が聞こえる。グラウンドで各々遊んでいるんだろうが、元祖引きこもりの自分からすれば有り得ない所業だ。

……暑い」

後ろから遅れてやってきた少年、ヨミがまた小さな声で呟く。

「俺に文句言わないで、あいつらに言えよ。俺だってさっさと帰りたいっつーの」

舌打ちは何とか踏みとどまった。島が見渡せる丘に立ち、青い空と緑の島を交互に眺める。

しばらくぶりの世界だ。

「ナオも、暑いの嫌い?」

「そうだな。暑いのも寒いのも嫌い。あとさ、俺のことはイオって呼んでくれる?」

 

 

 

 

 

 

 

 

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