執筆:七賀
食事と睡眠を天秤にかけたら迷わず睡眠をとる。空腹は慣れてるし、仮に餓死したとしてもそれはそれで構わない。
死に方と死に時と死に場所。自分にはひとつも選ぶ権利がない。試験管の中でゆらゆら蠢く程度の命で、不要と判断されれば簡単に握り潰される。だからその時が来るまで、最大限誠意ある暇つぶしをしている。
包丁を持ったのは久しぶりで、重さよりも柄の感触にどきっとした。うっかり力を抜けば、左手の上に落ちる。その後の映像を脳内再生して、ゆっくりレタスを切った。
島の畑で野菜が採れるから、トマトも玉ねぎもただで貰える。実際に貰いに行ったのはこれが初めてだけど、テーブルに並べてみると中々良い色をしていた。
切り終えた材料を食パンに乗せ、また挟んでいく。こういう寝起きでもできる均一な作業は好きだ。できたパンをラップで包み、しばらく置いたあとトースターに入れた。あとは三分から四分焼けば充分だろう。
タイマーを設定した瞬間、肩に手が回った。
「おはようございます、ヤヒロさん」
「……もう昼ですよ」
「はい。でもヤヒロさんには今日初めてお会いするので」
理由になってない。相変わらず言葉が通じないことにため息をつくと、茶髪の青年、尚登は不思議そうに辺りを見回した。
「ヤヒロさん、これからご飯ですか。まさかご自分で作ってたんですか」
「大層なものなんて何も作ってませんよ。ただ貴方が来るような気がしたので」
散らかった野菜のくずやラップを手早く片付ける。しばらく使ったことがない皿を食器棚から取り出し、さっと洗った。このまま出してやっても構わないが、優しさではなく医者としての倫理観で動かされてしまう。
タイミングよくパンが焼けた音がしたので、中から取り出してお皿に乗せた。
「どうぞ」
「え? 俺の為に作ってくれたんですか? わざわざ?」
露骨な笑みを浮かべる彼に座るよう促し、ポットのお湯でインスタントの珈琲を淹れた。
「俺が親切心でこんなことすると思いますか? ここのところ望んでない差し入れが多かったので借りを返したかっただけです。してもらいっぱなしというのは本当に気持ちが悪いから」
「なあんだ、そんなの気にしなくていいのに。でも嬉しいな、頂きます」
嫌味を嫌味と受け取らない彼は、遠慮なくパンにかぶりついた。毒でも盛れるなら溜飲が下がるところだが、仕方なく彼に珈琲を差し出し、自分の分も作って飲んだ。
「うん、美味しい。ヤヒロさん、ホットサンドなんてお洒落なもの作りますね。もしかしてSNSでも始めたんですか。映える写真を撮るために料理の練習をしてるとか」
「頭大丈夫ですか」
「いや、お世辞じゃなく本当に美味しいですよ。玉ねぎもツナと和えてるのかな。マヨネーズと胡椒がきいてて俺は好きです」
自分自身は食べたことはない。ただ賞味期限が切れそうな食パンと野菜、余り物でなにかできないか調べていただけだ。生憎ホットサンドメーカーなんてお洒落なものはここにないので、形を整えてからトースターで焼いただけ。それでも尚登は絶賛して完食した。
「あー、こんなご褒美があるなんて……今日は本当に幸せです。ご馳走様でした」
「良かったです。お皿はそのままでいいので、どうぞ気をつけてお帰りください」
「もうちょっと余韻に浸らせてくださいよ。ヤヒロさんは何に関してもクールなんだから……」
口元をハンカチで軽く拭き、尚登は徐に腰を上げた。
「お腹が満たされて幸せなので、またヤヒロさんを味わいたいと思います」
……最悪だ。また最悪なスイッチを踏んづけてしまったようだ。
「懐いてたワンちゃんもいなくなって寂しいでしょう。ヤヒロさんならいくらでも代わりがいるでしょうが、見つかるまでは俺が慰めてあげますから」
「ワン……」
「それかいっそ、貴方が犬になってみます? 何も考えずに済んで、可愛がられるだけ。そっちの方がずっと幸せかもしれませんよ」
トラベレーターにでも乗ってるような流れでソファへ誘導される。ベルトを外され、服の上から股間を押された。彼だって盛りのついた犬と変わりないと思うが、唇を噛んで瞼を伏せる。
「……やるならさっさとやってください」
確かに、何も考えなくていいというのは魅力的だ。これは操られる側の特権と言える。
でも自分にとってはセックスそのものが逃避で、行為ができれば上でも下でも構わない。頭を空っぽにできるのだから、可愛がられる側にいく必要はない……のに。
「そうそう、ヒロトさんは元気ですよ。普段が静かだからアレですけど。多分、貴方が思ってるよりはお元気です」
「そうですか」
「安心しました?」
「どうして」
「乗ってきてるから」
ズボンが下ろされ、赤く腫れたペニスが顔を覗かせる。自分でもあまりに早く勃起した、と思った。
「ヤヒロさんって本当にいじらしいですよね。ご自分が思ってるよりずっと、身体は素直で」
「ん……っ」
叶うなら一度、この男の減らず口を塞いでやりたい。何回も何回も想像して……けど何故か、彼の後ろに突っ込む想像をしたことは一度もなかった。
「ほら、もう解れてきた」
「……っ!」
中を蹂躙していた指が引き抜かれ、尚登の熱いペニスが入ってくる。久しぶりとまではいかないのに、苦しくて呼吸が荒くなった。
いつもなら見下ろして奥を突いてくるくせに、今日は何故か強く抱きついて動き始めた。おかげで耳に彼の吐息が当たり、声が鼓膜を揺すぶる。
「ヒロトさん、深夜になると時々苦しそうな声を出すんですよ。義手があるとはいえ、まだそっちのケアをするほど上手く使いこなせてないんじゃないですか。高い声になったり、寝返りを打ったり……ね、誰を一番求めてシてるんでしょうね」
「ど……でもいい……っ」
動きながら、くだらない話を長々と聞かされる。こんなに萎えるセックスはない。
「ヒロトさんて元々、両手を使ってする人なのかもしれませんね。エッチは上手でした? ……いや、大好きな人なら下手でも気にしなかったのかな。それかヤヒロさんもその頃は下手だったとか?」
「うるさい……いい加減、怒りますよ」
「いいですよ。じゃあどうぞ」
腰を後ろに引かれた、次の瞬間、激しい一突きを受けた。
「うっ……あ、あぁ……っ!」
ただでさえ白い天井がさらに真っ白に映った。聞こえるのは自分の情けない声と、肌がぶつかる音。そしてソファが軋む音だ。
「ほら、瞼閉じて。あの人も今頃ヤヒロさんを想いながら慰めてるかもしれませんよ?
離れた場所で互いを思いながらするなんて、最高にロマンチックじゃありません?」
こんな真っ昼間に馬鹿なことを。でも言い返す余裕はない。シャツを剥ぎ取られて全裸にされても律動は止まらず、尚登の背中に爪を立てた。
「最後に良いこと教えてあげますね。深夜のヒロトさんの独り言」
ぐっ、と内腿を掴まれる。蛙のような体勢で、彼は腰を回した。
「ヤヒロ。……会いたい」
自分のつま先が視界に入り……白い飛沫が端で飛んだ。
理性を叩き壊す快感が、今は殺してやりたいほど憎かった。
「ありゃ、ヤヒロさん? 飛んじゃいました?」
頬に飛んだ精液を指で拭い、彼の唇にそっと含ませる。起きる気配がない為、再び腰を動かした。突く度に彼のペニスから精液が零れる。
「あは、トコロテンみたい。今日のヤヒロさん、やっぱりノリノリですね。俺もですが」
亀頭を指で捏ねくり、時折魚のように跳ねる彼の身体を強く抱いた。
「妄想でイけちゃうほど、寂しくてしょうがない……ヤヒロさんももう限界なんですよね」
笑みとため息が同時にもれる。
昼間にしてはやけに静かな外が落ち着かず、性器を引き抜いてティッシュを手にとった。
まだ仰け反っている彼の性器から、透明な雫が伝う。拭いても拭いても溢れてくるところが涙みたいで、何だか可笑しかった。