執筆:七賀
胸が大きいだの小さいだの議論したせいで、翠子さんはまた拗ねてしまった。せっかく距離が近付いた(気がする)のにスタート地点に逆戻りだ。給水ポイントにも辿り着いてない……いや、翠子さんの綺麗な身体に触れられたのだから充分喉は潤ったか。
でも一度不貞腐れた翠子さんを宥め賺すのは骨が折れる。まずは一定のラインまで感情の波が落ち着くのを待ち、しばらくひとりにさせてから甘い物などを差し入れする。それである程度機嫌がなおることは実証済みだ。
洋菓子が好きそうに見えて実は和菓子が好きとか、裁縫が得意そうに見えて服飾の授業は全然駄目とか、知れば知るほど面白いひと。
梅雨に入り、雨の日が増えた。授業中ふと窓の外を見ると、曇天の空が遠くの森の上を覆っていた。換気もしなくなるから陰鬱で、湿り気のある空気が部屋の中に充満する。
外へ出たくなくなるこんな時は、室内の楽しみを見つけた方が良い。日付が変わった深夜、寝静まった翠子を確認し、玄咲は部屋を出た。相変わらず翠子さんの寝顔は可愛かった。桜桃のような唇に何度も口付けようとし、ぐっと堪えた次第だ。
寝間着に厚手のセーターを羽織り、穴の底のような廊下を静かに進む。神経を尖らせながら向かったのは職員室だった。当然扉は鍵が掛かっていて入れない為、ガラス戸から中を覗く。点いてる明かりは非常灯と火災報知器ぐらいのもので、パソコンの明かりなどは見当たらない。
生徒の個人情報は全てデータベース化されているはず。翠子さんのことをもっと知りたいと思っても、教師の弱みでも握らない限り難しい。
彼女の経歴をもっと調べられたら、脱走後の計画もより作りやすくなるのに。
小さなため息をついて来た道を戻る。途中音楽室を横切ろうとしたが、ピアノの音がした気がして立ち止まった。
ピアノ……いや、音楽室だからそう思っただけだ。ピアノなんかじゃない、甲高い……人の声。
わずかに開いてるドアの隙間から中を覗いた。二人分のシルエットが揺れている。ひとりは彩波先生と、もうひとりは玄咲が知らない女子生徒。彼女はシャツの前をはだけさせ、胸が出てしまっていた。彩波先生の膝の上に乗り、肩に頬を擦り付けている。先生は彼女の頭を撫でながら、空いた手で先端の突起をくにくにと弄っていた。
改めて見ると、赤の他人の絡み合う姿は淫猥だと思う。男性同士は汗くさくて嫌だけど女性同士は綺麗だから……と考える人達に見てほしいと思う光景だった。
女性だって、誰にも言えない醜さを秘めている。単純な雄より隠すのが上手いだけだ。そのぶん理性がはち切れた時、手の負えない獣に変わる。
「あっ……あ、先生……そこ、気持ちいい」
「ここ? 爪を立てられるのが好きなの?」
「はい、……あっ! や、あ……っ」
大袈裟じゃないか、と思ってしまうほど彼女はびくびくしていた。ああでも、乳首を引っ張ったら翠子さんもあんな風に跳ねていただろうか。思い出して笑いそうになる。
翠子さんのおっぱいは弄りがいがある。単に大きいからではなく、色とか艶とか形とか……あらゆるものが玄咲の理想なのだ。廊下の柱に隠れながら、女生徒の嬌声を音楽に想像していた。
しかし夜中にこんなことをして、彩波先生はどういうつもりなのだろう。あの生徒とできているのか、それとも……帰るに帰れなくなり、行為が終わるまでその場に隠れていた。終わってから、動画を撮れば良いネタになったことに気付いた。
女生徒が音楽室を去った後慎重に中を窺うと、先生はピアノの前に座っていた。まだ部屋に戻る気はないようだ。
見つからないようその場を立ち去ろうとした、瞬間歌うような声が聞こえた。
「また夜更かし?」
ポン、とA(ラ)の音が鳴った。音楽室の扉は二つあるのに、先生はこちらを真っ直ぐに向いている。仕方ないのでそっと扉を開けた。
「ピアノが……聞こえた気がして」
「あら、私が起こしちゃったのかしら」
先生は申し訳なさそうに眉を下げた。けど口角は未だ上がっている。
「違います」
「じゃあ眠れないのね。なにか悩み事でもあるの?
ないなら寝る前に温かいものを飲むとか、軽くストレッチするとか……改善しなければ一番弱い睡眠薬もあるから、医務室にいらっしゃい」
「睡眠薬とか、そんな簡単に勧めていいんですか」
「いいえ」
先生は立ち上がり、こちらへ歩いてきた。部屋は暗いが、窓から射し込む月光が先生を青白く照らしている。
「でも、ちょうど持ってるのよ。私が眠れないから……良かったら使って」
白衣のポケットからピルケースを取り出し、2錠分玄咲の手のひらの上に置いた。
生徒が持ってる薬なんて、せいぜい生理痛の時の鎮痛薬だけ。それだって、医務室へ行ってもらうことがほとんどだ。
「市販の薬じゃないから、皆には秘密よ。玄咲さんにだけ特別」
「どうして私にだけくれるんですか?」
「貴女が一番賢い子だから」
それだけ言うと、彼女は踵を鳴らして部屋を出て行ってしまった。
薬をポケットに入れて、そういえば明日は朝の日直だった、と慌てて部屋へ戻る。
誰に使おうか考えながら、階段を降りる。