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完食

執筆:八束さん

 

 

 

……一体何を作っているんだろう。
 甘ったるいにおいと、浮かれた鼻歌。
 中途半端に熱を持った身体を何とか起こす。肩から滑り落ちたシャツを掛け直す。
 まったく、嫌なことを思い出させて。
 最後に誰かに料理を作ってもらった、こと、なんて……
 思い出しそうになり、慌ててぐしゃぐしゃと頭をかく。
 つらかった記憶を思い出すことは、つらい。でも、幸せだった記憶を思い出すことはもっと、つらい。
 幸せ……
「あの頃が幸せだった、なんて、終わってる」
 聞こえないようひとりごち、立ち上がる。
 奥にある調理場は、もともとは調理のために用意されているものではなかった。本館に戻るのが面倒で、医務室で寝食するようになってから、水道が引かれていたのをいいことに、ついでにコンロや冷蔵庫を持ち込んだ。結局は、飲み物を冷やせる冷蔵庫と、売店の弁当を温められる電子レンジがあれば事足りると、あとになって気づいたのだが。
 じゅうじゅうと何か、焼ける音がする。
「何やってるんですか」
 覗き込むと、実に自然な感じで腰に手を回された。まったく油断も隙もない。
「って、これ……
「そう、フレンチトーストです」
「フ、レンチ……また……正気ですか?」
「正気?」
「何ていうか……やめてくださいよ、激しく我々に似つかわしくないものを作るのは」
「作れそうなものがこれくらいしかなかったからしようがないじゃないですか。食パンに、卵に、牛乳? ヤヒロさんの朝食ってわかりやすすぎですね。目玉焼き? スクランブル? それとも卵焼き?」
「ご想像にお任せします。……って、何か色、茶色がかってません?」
「これ入れさせてもらいました」
 そう言うと尚登は、勝手知ったる様子で、紅茶の入った缶を手に取った。
「また……無駄に小洒落たことを」
「子どもが喜ぶんですよ。弟によく作ってあげてたんです。甘いものがないときなんか重宝して」
 彼が弟、というと、何故だろう、白々しいものを感じる。
 確かに弟を大切にしているのはわかる。でも、それはどこか一般的な家族愛、というのとは少し違って、人形を愛でているような……
「うん、もういいかな」
 コンロの火を止め、紅茶のフレンチトーストを皿に載せる。腹が鳴ってしまったが、幸い聞こえていなかったようだ。そういえば空腹感、というものを感じるのもいつ以来だろう。お腹がすくからご飯を食べる、というより、美味しい食べ物を前にするから空腹を感じる、ということもあるのだな、と知る。
「はい、ヤヒロさん」
「はい、って……
 にこにこ笑いながら、フレンチトーストを差し出してくる。
 押し問答になるのも面倒なので、黙って口をあける。甘い香りが広がる。悔しいことに普通に美味い。
 ヤヒロが囓ったものの残りを何の躊躇いもなく尚登はぱくりと口にし、そして言った。
「ああ残念だな」
「何がですか」
「蜂蜜がないんですよねえ、ここ。それがあればもっといろいろできたのにな」
 その言葉の意味を探るより先に、口づけられた。甘ったるさが二倍になる。
「甘い」
 思ったとおりのことを、彼はすぐ言葉にする。
「ちょっ、尚……
 シャツの隙間、腰骨のあたりから、手がするりと入りこむ。股の間に脚も。
「お腹空いてたんじゃなかったんですか」
「ええ、だから一緒に食べようと思って」
「一緒にって……言ってることとやってることとが違いすぎますよ」
「だから一緒に食べるんです。トーストも、ヤヒロさんも、一緒に。食べながらセックスしちゃ駄目ってことはないでしょ?」
「駄目に……
 反論しようとあけた口に、トーストを押し込まれた。反射的に力を入れると、じゅわりと甘い卵液が口の中に広がる。
 ……これも彼の人形遊びの一環か。
 ガタン、と、中途半端に調理台に載っかっていたボウルが、シンクに落ちる音がした。