執筆:七賀
久しぶりに訪れた医務室は、過去一番消毒液の匂いがきつかった。
「ヤヒロさんって料理とかするんですか?」
特段荒れた形跡や、変わった物は置いていない。空いているベッドに腰を下ろし、楽な姿勢で白衣の後ろ姿を眺めた。
彼は机に向かっていて、こちらを振り返る素振りは見せない。尚登の視線を背中越しに感じているだろうに、一定のスピードを保って書き物をしている。もちろん彼は業務中なので、なるべく邪魔はしたくないと思っている。
───それでも邪魔をしてしまうのは、一種の病気なのかもしれない。かまって病があるように、自分はかまいたい病を患っている。
物思いに耽ってる間、返答がないことに気付いて吹き出した。
「ごめんなさい、愚問でしたね。いつも売店の弁当やカップラーメンを食べてるところを見てたのに。俺も疲れてんのかなぁ」
いや、実際疲れてる。この島の中はもはや異世界のような存在であり、外の世界とかけ離れている。外では日々重いニュースが飛び交っているのに、ここへ来るとピタッ、と喧騒が止む。それが安心するし、ゾッともする。結局どちらも弊害があるから、自分は中間地点に留まっていたい。
「俺もインスタント生活が長いですけど、たまに手作り料理が食べたくなるんですよね。だから料理上手なひとを捕まえた時は地味に嬉しかったりしますよ。ヤヒロさんもありません? 家事ってほんとめんどくさいですもんねえ……ってすみません、お仕事中に。独り言なので、お気になさらず」
最後のひと言は気を利かせたつもりだったが、少々乱暴な音が前から聞こえた。ペン立てに入れようとしたらしいが、縁に跳ね返ったペンが転がっている。
「前に言いませんでしたっけ。俺は独り言が多いひとが嫌いです」
「あれ、本当に? 初めて知りましたよー。どうしよう、俺はどんどんヤヒロさんのこと詳しくなっちゃいますね」
わざとらしくおどけてみると、彼は徐々に姿勢を崩し始めた。
「最後に誰かに料理を作ってもらったのはいつですか、ヤヒロさん」
「覚えてません」
「バレる嘘はやめましょ。言いたくないなら、それこそさっきのように無視で良いんですよ」
そう言った瞬間、視界がぐるりと回り、ベッドの上に押し倒されていた。見上げた先には彼の顔がある。
「すみませんね。殴っていいですよ」
白い掌が頬に添えられる。
どうだろう。殴るだろうか。瞼を伏せようとしたが、頬ではなく首筋に鋭い痛みが走った。皮膚が薄い部分はわずかな痛みも倍に感じる。噛まれた部分を押さえ、もう片方の手で彼が離れないように腰を掴んだ。
彼の吐息が傷口に吹きかかる。
「医務室で怪我人が出たら俺が困ります」
噛むのはセーフなのか……。
基準が分からないなと苦笑しつつ、彼のズボンを脱がせた。
下心丸出しで来た甲斐がある。いつもそう。彼は嫌そうな顔をしながら真摯に応えてくれる。
「……相変わらず痛そうですね」
背中や胸に刻まれた傷をそっと指でなぞる。その度にびくっと震えるところが、まるで性感帯に触れてるようでぞくぞくした。けど。
「うーん……」
「何ですか。やるならとっとと」
「いや、何かお腹空いてきちゃって。ヤヒロさんもお昼はまだでしょう? 調理台貸してもらえません? 俺も簡単なものなら作れますから」
一度引き下げたズボンを上げ、あやすように彼の頭を撫でる。
「ねえヤヒロさん。いつかまた、大好きなひとに作ってもらえると良いですね」