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癒着

執筆:七賀

 

 

 

 

 

夜が離れる(癒着

 

 

 ヨミとの関係に名前なんてないけど、今は隣にいるのが当たり前だ。
 まだ一緒にいたい。淡い願いが芽生え始めていたとき、一回目の実験が行われた。今までとは違う形で繋がれ、知らない奴らに仰向けに寝かされた。天井には灰色の太い管が張り巡らされていて、それが時々大蛇のように見える。途切れ途切れの意識で瞼を開けるせいで何度もどきっとした。
 ヨミの呻き声が聞こえるせいか。実験はいやに長く感じた。
「ナオト、おつかれ」
 後ろから抱き込まれる。以前なら安心にも似た感情が芽生えたけど、今はひたすら空っぽだ。
 どこか嬉しそうな尚登に頭を撫でられる。表に出ている人格が自分なのかイオなのか、彼は難なく見抜ける。でもどちらにしても一定した態度だから、弟がどっちだろうと構わないのかもしれない。お前が一番大事だよ、と言われる度、俺のことなのかイオのことなのか分からず、大切な記憶がばらばらと崩れていく。
 物心ついた時から傍にいたのは母と弟。父はどこへ行き、兄はいつからいたのか。
「ヨミ君が心配?」
 実験が終わって部屋に戻ってきたのは自分だけ。ヨミはまだ検査が残っているらしい。ただでさえ体力ないのに大丈夫だろうか。
 ……
尚登ならなにか知ってるかもしれない。
「ヨミはいつからこの島にいるの?」
「んー? 最近、だよ」
「最近? 外では学校に行ってたの?」
「さぁ、どうだろうね。でもお兄さんがいたよ。兄弟でこの島に来たんだ」
 分かりやすく反応してしまった。兄がいて、しかもこの島にいる。
「ヨミに似てるのかな。会ってみたい。会えないの?」
「んー」
 大きな掌が頭から肩へ、肩から胸に下りていく。あっという間にボタンを外し、小さな丸みに辿り着いた。
「ん……っ」
 この手を知ってる。きっと、物心ついた時から。
「ナオト。ずっと傍にいる。俺が、ナオトだけは守るからね」
 シーツに顔を押し付けながら、降りかかる声を聞いている。優しく「大丈夫」と、無責任な言葉を繰り返す兄。尚登は今日もいつも通りだ。

 ヨミは尚登と入れ違いで戻ってきた。途中ですれ違ったらしく、踵を浮かしながら自分が来た道を眺めていた。
「あの人……知ってる。あの人と一緒にこの島に来た」
「え。尚登のこと?」
 そんなことはひと言も言ってなかった。実の兄とはいえ本当に食えない人だ。
「あ……それよりお前、兄貴がいるんだろ。会いたいとか思わないの?」
 思いきって訊いてみると、ヨミは不思議そうに首を傾げた。
「知らない。……いないと思う」
 は? と大きな声が出そうになったけど、彼は記憶がないので責められない。尚登の言葉が真実がどうか確かめる術もないが、ここは信じることにしよう。その上で、兄がいることをわざわざ教えるのは酷だろうか。うろうろしながら迷った末に、せっかくだから兄弟というものを教えてやることにした。
「歳の近い兄弟とか、最悪だよ。精神年齢大体一緒だから、顔を合わせると喧嘩ばっかり。俺は弟がいたけど、本当に嫌いだった」
……どうして?」
「いつも自分のことばっかで、周りに可愛がられようと必死で、それでいてずる賢い。好きになれって言う方が無理がある」
 尚登がいつの間にか持ってきていたクレヨンで、白い紙に文字を書いた。既に誰かが使っていたのか、緑と赤色ばかり削れている。
「ナオトの弟は今どこにいるの?」
 透けても、中に何にもない海。ヨミの瞳はそういう色だ。
「ここにいる」
 彼が不思議そうに目を見開いた瞬間、唇を塞いだ。
 余計なことは何も聞きたくない。今質問攻めにされたら頭がおかしくなる。
 大人しくて従順なヨミが弟だったら、また違う生活を送っていたかもしれない。これからも、彼が一緒なら。
「良かった。仲良くなったんだね」
 触れていたはずの掌が離れていく。はっとして見上げると、ヨミは誰かの胸に抱き寄せられていた。
「教授……
 島で知っている中で一番偉い人間。椎名教授が、いつの間にか部屋の中にいた。口元にはいつも笑みを浮かべているのに、目は深海のように暗い。
 この人は正直苦手だ。さっさと出て行くように祈っていると、彼はヨミの首に注射器を当てて薬を打った。あまりに一瞬のことで、制止の声をかけることもできなかった。
「な……何、を」
「よく眠れる薬だよ。この子は眠れない病気だから」
 そんな風に言われると何言えない。ヨミは瞼を伏せて動かなくなった。少しして小さな寝息が聞こえてきたので、変な薬じゃなかったとほっとする。
「ナオトはヨミのお兄さんに会いたいのかな?」
 ヨミをベッドに寝かせて、教授が真隣にやってくる。
「俺も、会いたいけど……まずヨミに会わせてやりたいな、って」
「優しいね」
 教授が頭を撫でてくる。その力加減もタイミングも、やたらと尚登に似ていて嫌な感じがした。
「でも大丈夫だよ。ヨミは君と同じで、いつもお兄さんと一緒にいるから」
「正確には、ここにね」、と指で示された。教授が突きつけた先にあるのはヨミの頭と、俺の額。
「ふたつのものをひとつにまとめれば、処分も一回で済む。合理的だと思わないかい?」