執筆:八束さん
玄関の方で何か言い争うような声が聞こえたけど、すぐに静かになった。
仰向けになって、宙を向けたままのてのひら。さっきまではぴくりとも動かせなかったのに、彼にふれられると、絡まっていた糸がほどけたように、スッと持ち上がった。
「軽蔑してますか」
問いには答えず、彼……ヒロトさんは眉間に皺を寄せた。
「軽蔑されるようなことをしたって自覚が?」
「どうなってもいいって自覚はあります」
「……シャワーを浴びようか」
抱え起こされる。
二十歳になったら廃棄されるか、島で延々、実験体として扱われるはずだった運命を変えたのは、皮肉にも父親から受け継いだかもしれない、学力のおかげだった。父と同じ医師の道を選ばされたのは不服だったが、実験される側か、する側か……どちらかと突きつけられたら、選択肢はひとつしかない。島の外の大学に進み、一人暮らしすることを許された。それでも施設から監視されていることには変わりない。ほぼ毎週、こうしてヒロトさんが様子を見にくるのだから。
「君を信頼してるけど……ヤヒロ。でも、自分を傷つけるようなことはしてほしくない」
「ヒロトさんって卑怯ですね」
「卑怯」
「男を咥え込まないと発狂してしまう身体にしたのはあなたじゃないですか」
誰でもいいと擲っていたら相手には事欠かなくなった。写真を撮られたり脅されたり、何だか面倒なことになったようだけど、ヒロトさんがうまく処理してくれたらしい。
風呂場に連れられ、されるがまま、子どものように身体を洗われる。
「……ここも」
脚を広げ、後ろの穴を広げる。何人分かわからない、混じり合った精液がとろとろと垂れ流れてくるのを感じる。
「ここもあらって」
ヒロトさんの指が、躊躇いがちに入ってくる。
「んっ……」
ヒロトさんの指によって掻き出される白い液体。ヒロトさんの指をよごしていると思うと、ぞくぞくする。すぐに引き抜こうとしたので、手首を掴んで、ディルドのように動かした。軽くイってしまう。ヒロトさんの指にもそれが伝わっているはずなのに、ヒロトさんは表情を変えない。
立ち上がり、シャワーヘッドを握る。ヒロトさんが反応するより早く、水を浴びせかける。
「服着て入るものじゃないですよ、風呂は」
ズボンが、ワイシャツが、肌にはりついていく。けれどヒロトさんはぼうっと突っ立ったまま。埒があかないので、シャツのボタンをはずしてやろうとしたが、しまった、濡れたせいで滑ってやりにくい。ざあざあとシャワーの音が響く。三つ目のボタンにかかろうとしたところで、今度は逆に手首を掴まれた。何、と顔を上げた瞬間に、くちづけられていた。
卑怯だ。
思いながら、目を閉じる。
このひとは、いつだって。
自分がこんな風になってしまったのは一体誰のせいか。ずっと考えてきた。弱い母親、それよりもっと弱かった父親、その弱さにつけこんだ教授、島の大人達、見て見ぬフリをした友人……誰かひとりに絞るのは難しかった。皆のせいであるような気もするし、誰のせいでもない気もする。視線をひとたび裏返しにして自分に向けると、全部自分が悪かったような気もする。自分さえいなければ。そう思うのは簡単だけど、その思考に浸ってしまうとあとはもう、死ぬしかなくなる。
結局、ぶつけやすかっただけなのだ、このひとが、一番。
いろんな感情を。
その中でも一番表現しやすかった、憎しみ、という感情。
「あっ……んんっ」
ヒロトさんがナカに入ってくる。水を吸って重くなったズボンが、床に落ちる音がした。肌と肌がぶつかる音は、それよりも近くに聞こえるはずなのに、何故か遠い。「ヤヒロ、ヤヒロ……」と耳元で囁かれる声は、それよりももっと遠い。
「ヒロト……ヒロト……っ」
……まただ。
また、『あの頃』の自分に戻っていくのを感じる。
これ以上ないくらいきたない行為をしているはずなのに。
ヒロトさんときたない行為をしているときの自分が一番、きれいに思えるなんて。