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慈愛⑹

執筆:八束さん

 

 

 

 〇月〇日
 熱が出た。僕は全然平気だったけど、シバさんが慌てた様子だったから熱を測ったら39度あった。
 急いで寝させられたけど、何だかよくわからなかった。こんな感じは島にいるときはしょっちゅうあった気がする。島にいるときの方がずっとしんどかった。
 寝て起きて、トイレに行こうとしたら上手く立てなかった。そっか、熱が出るとこういう風になるんだって改めて知った。
 シバさんが作ってくれたおかゆは美味しかった。優しい味がした。シバさんの味だと思った。
 食欲があってよかった、とシバさんが笑った。シバさんはいつも、僕がちゃんと食べるだけで喜んでくれる。何だか大袈裟だな、とも思うけど、悪い気はしない。

 〇月〇日
 だいぶ熱は下がったけど、まだ微熱があるから動き回ったらダメだと言われた。
 375分のとき、37度以下にならないとダメと言われた。
 けれど368分になったら、平熱じゃないからダメと言われた。
 びねつへいねつこうねつ。
 おやつはりんごのはちみつがけだった。
 きゅうりも一緒にはちみつをかけたら美味しかった。
 今度、きゅうりとレモンのはちみつ漬けを作ろうと約束した。

 〇月〇日
 ちくきゅうを作った。
 きゅうりとちくわの合体を考えたひとは天才だと思う。
 丁度ちくわの数ときゅうりの数がぴったりで、余らず皆ちゃんとペアになると何だか嬉しい。

 〇月〇日
 夢を見た。
 真っ青な青空が広がっている。建物の屋上。どこかで見たような気がするけれど、何だかぼんやりしている。
 誰かがいる。学生みたいだけど。知っているひとのような気がするけれど、それもよくわからない。
「シバ」
 と、別方向からまたもう一人学生がやって来て呼びかける。
 シバさん?
 シバさんも僕と同じくらいの歳のとき、こんな感じだったのか。
「ヤヒロ」
 と、シバさんが呼びかける。
 ヤヒロさん。
 何だかとっても懐かしい。でも何だろう。この、薄いベールを通して見ているような感じ。
 夢だから、ではない、何か。そこにあるけれど、決して届かないものを見ているような感じ。
 二人が見つめ合いながら笑ってる。
 近づきたいけれど、足の裏が縫い止められたように動かない。口は動かせるけれど、声が出ない。
 シバさんの腕が、ヤヒロさんの首に回る。ヤヒロさんの手は、いつの間にかシバさんの腰にある。二人の距離がどんどん近づく。咄嗟に嫌だ、と思って視線を逸らす。けれど視線を逸らした先にあった二人の影も、ぴったりくっつき合っている。
 荒い吐息と、濡れた音。唇が溶けてしまうんじゃないかというくらい、二人はずっとキスしている。耳を塞ぎたい。でも何でだろう。手をぴくりとも動かせない。目を瞑りたいのに、それすらできない。
 ヤヒロさんの手が、シバさんの肩を撫でるように動く。シャツがはだけて、肌が露わになる。唇だけじゃなく、全身にも口づけしていく。徐々にシバさんが、ヤヒロさんに押し倒されていく。シバさんの脚を抱え上げて、ヤヒロさんが顔を埋めた。「ヤヒロっ、駄目……ヤヒロ!」とシバさんはいやいやするように首を振ると、甲高い声を上げた。
 知ってる。あれが気持ちいいのを、知ってる。
 でもいつ……一体いつ。
 地面から浮き上がるほど背中を反らせて、シバさんが痙攣する。
 シバさんの頬を、ヤヒロさんの白い指がすうっと撫でた。
 シバさんの耳元で、ヤヒロさんが何か囁いた。でもこっちまでは聞こえてこない。何だろうと思っていると、シバさんの脚がさらに高く、宙に浮いた。
「ああっ……ヤヒロっ、ヤヒロ……!」
 駄目、とシバさんが叫ぶ。けれど次の瞬間には、いい、と叫ぶ。だんだん、「いい」と言う回数が増えていく。「そこっ、いいっ、もっと来て……!」そうしてだんだん、「いい」と叫ぶ声が、パンパンと肌のぶつかる音にかき消されていく。
「出していい?」
 ヤヒロさんのその囁きは、何故かクリアに耳に届いた。シバさんがこくこくうなずく。絶頂したときの叫び声は、ヤヒロさんの唇の中に吸い込まれた。思い出したように風が吹いて、爛れたにおいを運んでくる。嫌だ。見たくない。こんなところにいたくない。見たくない見たくない。嫌だ嫌だ嫌だ!
 叫んだ瞬間、目が覚めた。
 ほっとした。
 シバさんが心配そうに見ていたのがわかったけど、何も言うことができなかった。
 嫌……一体何が嫌だったんだろう。
 よく考えると、わからなくなる。
 ヤヒロさんがシバさんにあんな風にふれていたことが? シバさんがふれられていたことが?

 〇月〇日
 またちくきゅうを作った。今日のちくわは細かったので、無理にきゅうりを押し込んだら、ちくわが裂けてしまった。しかたないね、とシバさんは笑ってくれた。でもそれから何度やってもうまくいかなかった。シバさんが代わりにやってくれたけど、シバさんの手つきを見てると、唐突に以前見た夢を思い出した。
 その日、シバさんと一緒に暮らしてから初めて自慰をした。

 〇月〇日
 自分を慰めるときいつも浮かべるのはシバさんの姿だ。
 いつも優しく微笑んでくれるシバさんが、夢の中のように乱れる姿が見たい。
 乱れさせるのが自分でありたい。
 乱れながら呼んでくれるのが自分の名前であってほしい。
 シバさんシバさんシバさん。
 以前は家の中でひとりきりなのが嫌だった。けれど今は、ひとりきりのときに思いきり自分を慰めることができる。そんな自分がきたなく思えて嫌だけど、でも股間に伸びる手を押さえることができない。
 昔もこんなことをやってた気がする。でもこんな満たされた気持ちにならなかった気がする。

 〇月〇日
 また夢を見た。
 シバさんの肩からはらりとシャツが落ちたその瞬間、
「シバさん!」
 声が出た。
「そんなに一緒にしたい?」とシバさんの背後でヤヒロさんが笑う。「しようがないな。君はいつだってひとりではいられないんだね、イクミくん」
 ヤヒロさんに羽交い締めにされて、シバさんが「嫌だ」ともがく。それとも僕にキスされてもがいたのかな。いや、そんなことはない。シバさんは受け入れてくれるはずだ。
 ずっと傍にいたのに。一緒にお風呂だって入ったことあるのに。知らないひとの肌みたいだ。
 こんなことをするのは初めてのはずなのに、何故かすうっと、どうやればいいかがわかった。
 シバさん、気持ちいい? シバさん、ねえ、気持ちいい?
 でもシバさんはただ、「ああっ……ああっ……」と言うだけだ。
 シバさんこっち見てシバさん。僕を見て。名前を呼んで。イクミくん、って、ねえ、イクミくん気持ちいいって……

「イクミくん!」
 ……あれ、シバさんの声が下からする。
 何だろうと目をあけて気づく。
 寝ているうちにどうなったんだろう。シバさんを下敷きにする格好になっている。
「ちょ……重い……イクミくん……
 思わず下半身を確認する。反応していなかったことにほっとする。
 でも、気づく。
 シバさんのものと密着していたことに。