執筆:八束さん
〇月〇日
熱が出た。僕は全然平気だったけど、シバさんが慌てた様子だったから熱を測ったら39度あった。
急いで寝させられたけど、何だかよくわからなかった。こんな感じは島にいるときはしょっちゅうあった気がする。島にいるときの方がずっとしんどかった。
寝て起きて、トイレに行こうとしたら上手く立てなかった。そっか、熱が出るとこういう風になるんだって改めて知った。
シバさんが作ってくれたおかゆは美味しかった。優しい味がした。シバさんの味だと思った。
食欲があってよかった、とシバさんが笑った。シバさんはいつも、僕がちゃんと食べるだけで喜んでくれる。何だか大袈裟だな、とも思うけど、悪い気はしない。
〇月〇日
だいぶ熱は下がったけど、まだ微熱があるから動き回ったらダメだと言われた。
37度5分のとき、37度以下にならないとダメと言われた。
けれど36度8分になったら、平熱じゃないからダメと言われた。
びねつへいねつこうねつ。
おやつはりんごのはちみつがけだった。
きゅうりも一緒にはちみつをかけたら美味しかった。
今度、きゅうりとレモンのはちみつ漬けを作ろうと約束した。
〇月〇日
ちくきゅうを作った。
きゅうりとちくわの合体を考えたひとは天才だと思う。
丁度ちくわの数ときゅうりの数がぴったりで、余らず皆ちゃんとペアになると何だか嬉しい。
〇月〇日
夢を見た。
真っ青な青空が広がっている。建物の屋上。どこかで見たような気がするけれど、何だかぼんやりしている。
誰かがいる。学生みたいだけど。知っているひとのような気がするけれど、それもよくわからない。
「シバ」
と、別方向からまたもう一人学生がやって来て呼びかける。
シバさん?
シバさんも僕と同じくらいの歳のとき、こんな感じだったのか。
「ヤヒロ」
と、シバさんが呼びかける。
ヤヒロさん。
何だかとっても懐かしい。でも何だろう。この、薄いベールを通して見ているような感じ。
夢だから、ではない、何か。そこにあるけれど、決して届かないものを見ているような感じ。
二人が見つめ合いながら笑ってる。
近づきたいけれど、足の裏が縫い止められたように動かない。口は動かせるけれど、声が出ない。
シバさんの腕が、ヤヒロさんの首に回る。ヤヒロさんの手は、いつの間にかシバさんの腰にある。二人の距離がどんどん近づく。咄嗟に嫌だ、と思って視線を逸らす。けれど視線を逸らした先にあった二人の影も、ぴったりくっつき合っている。
荒い吐息と、濡れた音。唇が溶けてしまうんじゃないかというくらい、二人はずっとキスしている。耳を塞ぎたい。でも何でだろう。手をぴくりとも動かせない。目を瞑りたいのに、それすらできない。
ヤヒロさんの手が、シバさんの肩を撫でるように動く。シャツがはだけて、肌が露わになる。唇だけじゃなく、全身にも口づけしていく。徐々にシバさんが、ヤヒロさんに押し倒されていく。シバさんの脚を抱え上げて、ヤヒロさんが顔を埋めた。「ヤヒロっ、駄目……ヤヒロ!」とシバさんはいやいやするように首を振ると、甲高い声を上げた。
知ってる。あれが気持ちいいのを、知ってる。
でもいつ……一体いつ。
地面から浮き上がるほど背中を反らせて、シバさんが痙攣する。
シバさんの頬を、ヤヒロさんの白い指がすうっと撫でた。
シバさんの耳元で、ヤヒロさんが何か囁いた。でもこっちまでは聞こえてこない。何だろうと思っていると、シバさんの脚がさらに高く、宙に浮いた。
「ああっ……ヤヒロっ、ヤヒロ……!」
駄目、とシバさんが叫ぶ。けれど次の瞬間には、いい、と叫ぶ。だんだん、「いい」と言う回数が増えていく。「そこっ、いいっ、もっと来て……!」そうしてだんだん、「いい」と叫ぶ声が、パンパンと肌のぶつかる音にかき消されていく。
「出していい?」
ヤヒロさんのその囁きは、何故かクリアに耳に届いた。シバさんがこくこくうなずく。絶頂したときの叫び声は、ヤヒロさんの唇の中に吸い込まれた。思い出したように風が吹いて、爛れたにおいを運んでくる。嫌だ。見たくない。こんなところにいたくない。見たくない見たくない。嫌だ嫌だ嫌だ!
叫んだ瞬間、目が覚めた。
ほっとした。
シバさんが心配そうに見ていたのがわかったけど、何も言うことができなかった。
嫌……一体何が嫌だったんだろう。
よく考えると、わからなくなる。
ヤヒロさんがシバさんにあんな風にふれていたことが? シバさんがふれられていたことが?
〇月〇日
またちくきゅうを作った。今日のちくわは細かったので、無理にきゅうりを押し込んだら、ちくわが裂けてしまった。しかたないね、とシバさんは笑ってくれた。でもそれから何度やってもうまくいかなかった。シバさんが代わりにやってくれたけど、シバさんの手つきを見てると、唐突に以前見た夢を思い出した。
その日、シバさんと一緒に暮らしてから初めて自慰をした。
〇月〇日
自分を慰めるときいつも浮かべるのはシバさんの姿だ。
いつも優しく微笑んでくれるシバさんが、夢の中のように乱れる姿が見たい。
乱れさせるのが自分でありたい。
乱れながら呼んでくれるのが自分の名前であってほしい。
シバさんシバさんシバさん。
以前は家の中でひとりきりなのが嫌だった。けれど今は、ひとりきりのときに思いきり自分を慰めることができる。そんな自分がきたなく思えて嫌だけど、でも股間に伸びる手を押さえることができない。
昔もこんなことをやってた気がする。でもこんな満たされた気持ちにならなかった気がする。
〇月〇日
また夢を見た。
シバさんの肩からはらりとシャツが落ちたその瞬間、
「シバさん!」
声が出た。
「そんなに一緒にしたい?」とシバさんの背後でヤヒロさんが笑う。「しようがないな。君はいつだってひとりではいられないんだね、イクミくん」
ヤヒロさんに羽交い締めにされて、シバさんが「嫌だ」ともがく。それとも僕にキスされてもがいたのかな。いや、そんなことはない。シバさんは受け入れてくれるはずだ。
ずっと傍にいたのに。一緒にお風呂だって入ったことあるのに。知らないひとの肌みたいだ。
こんなことをするのは初めてのはずなのに、何故かすうっと、どうやればいいかがわかった。
シバさん、気持ちいい? シバさん、ねえ、気持ちいい?
でもシバさんはただ、「ああっ……ああっ……」と言うだけだ。
シバさんこっち見てシバさん。僕を見て。名前を呼んで。イクミくん、って、ねえ、イクミくん気持ちいいって……
「イクミくん!」
……あれ、シバさんの声が下からする。
何だろうと目をあけて気づく。
寝ているうちにどうなったんだろう。シバさんを下敷きにする格好になっている。
「ちょ……重い……イクミくん……」
思わず下半身を確認する。反応していなかったことにほっとする。
でも、気づく。
シバさんのものと密着していたことに。