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慈愛⑸

執筆:八束さん

 

 

がんで余命わずかの母親が一人娘に味噌汁の作り方を教える、というドキュメンタリーを見ていて、隣にイクミくんがいたけれど号泣してしまった。歳になると涙腺が緩む……というほど歳ではないと思いたいが、年々、いろいろと思うところが増えているのは確かだ。
 ともかく、そのテレビにわかりやすく影響されて、そうだ、味噌汁を作ろう、と、思い至った。
 二人分をいちいち鍋で調理するのは面倒だから、具材と味噌を混ぜて冷凍する、自家製のインスタント味噌玉にしよう。そうしておけばお湯に溶かすだけで、イクミくんひとりのときでも困らない。ひとりで火を使って調理させるのはまだ不安だった。
「イクミくんイクミくん」
 クッションを抱えてソファでごろごろしていたので、手招きする。
「何?」
「味噌玉作ろう」
「味噌玉?」
「そう、味噌汁一食分をね、ラップで包んでボールみたいにしておくの。食べたいときにお湯を入れればいいだけだから便利だよ。いろんな種類作れるし」
 まずは小ネギと柴漬け。
 みそ小さじ2、鰹節、小ネギ、柴漬けをラップでくるんでまとめる。
「味噌汁に柴漬け?」
「食感がシャキシャキして美味しいんだ。あ、イクミくん上手」
 一度褒めると、完璧な球体を作ることに凝り始めて、可愛い。
 他にも乾燥ワカメとかゴマとか、一旦レンジであたためたにんじんとかたまねぎとかを具材にしていく。
「ね、簡単だろ。これならひとりでできるよね」
 するとイクミくんは、ぴたりと手を止めた。
「できない」
「え?」
「できない。全然、ひとりじゃできない」
 すると、せっかく丸めた味噌玉を、まな板に投げつけてぐしゃり、と、潰してしまった。ひとつだけじゃ飽き足らず、他にも手を伸ばそうとしたから、慌てて制止する。
「イクミくん!」
「嫌だ! こんなのできない、できない……できない!」
 島の報告書にはあったが、一緒に暮らし始めて、こんなに精神状態が不安定になるのは初めてだった。落ち着いてきたと思ったのに、またぶり返してしまったのだろうか。
 ふと手に冷たいものを感じて見ると、イクミくんはぼろぼろと涙を零していた。
「イクミくん、ごめんっ、どこか痛かった?」
……う、の?」
「え?」
「シバさん死んじゃうの?」
 一体何を言い出すんだろう。
「え? 何で、急にどうし……
「だっていきなり味噌汁作ろうなんて言うんだもん。ひとりでできるなんて言うんだもん。シバさんも死んじゃうの? だから急に僕に料理を教えようって思ったの? 病気で死んじゃったあのお母さんみたいに」
「イクミくん……
 ぎゅっと抱きしめたくなる衝動にかられた。でもそんなことをしたらかえって不安がらせてしまうような気がしたので、距離を置いて、努めて明るい口調で言う。
「なぁんだイクミくん、そんなこと気にしてたの。そんなわけないよ」
「でも……
「単純に味噌汁が好きなんだ。だからイクミくんにも是非作ってほしいなって思って。あたたかい味噌汁が一杯あると、それだけでほっとするから」
「シバさん」
 距離を置こうと思ったのに、ほとんど無意識のうちにイクミくんの頭を撫でている。この頭の丸みを、もうすっかり覚えてしまった。目を瞑って撫でても、きっとイクミくんの頭だってわかる。いろんな頭を撫でている絵面を想像して、思わずぷっと噴き出してしまった。イクミくんはきょとんとしている。
「イクミくんの好きな具材も入れよう。何がいい?」
「きゅうり」
「きゅうり……うーん、きゅうりかぁ。やったことないけど……ああでも、冷や汁に似たようなものだと思えば意外といけるかもね。薄く切って、みょうがと混ぜたら合うかも。イクミくん、きゅうり切ってくれる?」
「うん」
 覚束ない手つきで、でもひとつずつ丁寧に切ってくれる。
(あ……
 そういえばちょっと前までは、危なっかしくて包丁なんて渡せなかったのにな。
 とん……とん、とん、優しいリズムで、包丁の音が響く。