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慈愛⑵

執筆:八束さん

 

 

 

「シバさーん」
 声がして見に行くと、イクミくんがクローゼットの中から壺を取り出していた。
「これ何」
「ああ……
 懐かしい。蓋を何度かカパカパやってしまう。
「漬物漬けるための壺だよ」
「シバさん漬物漬けるの?」
「おばあちゃんがよく漬けてたんだ」
「おばあちゃん」
 シバさんのおばあちゃん、とイクミくんが呟く。
 一瞬、言っていいものかどうか迷ったけれど、でも、別に悪いことじゃない、と思い直す。
「小さい頃、おばあちゃんと暮らしてたことがあったんだ。おばあちゃんが漬けてくれたなすのぬか漬けは本当に美味しくて」
「おばあちゃんは今どうしてるの」
「もう亡くなっちゃった」
 両親はシバがうまれてすぐ交通事故で亡くなったらしい。それから母方の祖母が引き取って育ててくれたが、シバが小学校に上がる頃に、祖母も病気で亡くなってしまった。実は父親が昔『施設』で働いていたことがあるらしく、そのツテでシバはあの島に行くことになった……ということまでは流石に話せないな、と思う。自分も島の出身だとは、何となく今はまだ、イクミくんには言っちゃいけないような気がした。
「一度自分で漬けてみたこともあったんだけど……でも働きながらだと、なかなか暇がなくて。すぐ黴生やしてダメにしちゃった。それに何か、どうやっても昔と同じような味にはならなくて」
「大切なものなんだね」
 壺をさすりながらイクミくんが言った、その声の柔らかさに、どきりとした。と同時に、そうだ、と思いつく。
「ぬか漬け、作ってみようか」
 もうそろそろイクミくんを『外』の学校に通わせてもいいんじゃないかと思ったが、施設からはまだ許可が出ない。自分たちから放り出したくせに束縛する権利があるのかと憤ったが、命があるだけマシと思った方がいいとそれとなく窘められてしまった。
 そんなわけで自分が『仕事』に出ている間、イクミくんは家でひとりきりで過ごすことになる。本やゲームやいろんなものを与えてはみたが、どれもあまり熱中している様子がない。ひどいときは一日中ベッドの中から出てないんじゃないか、と思うときもあった。そんな彼に何か『やること』を作ってやれたら……
 早速次の日、ぬかを買ってきた。ぬかが入った袋を、イクミくんは興味津々で見てくれている。いい傾向だ。
……何か砂みたい」
「お米を作るときに表面を削るんだけど、その削られた部分なんだ。ビタミンとかミネラルとか栄養たっぷりなんだよ。洗剤としても使うことができて。面白いよね」
「ふーん」
「じゃあ早速ぬか床を作ろう。塩水と混ぜて……
 ……ぬっちゃぬっちゃぬっちゃぬっちゃ。
 まるで砂遊びをしているみたいだ。
「やってみる?」
 イクミくんが壺の中に手を突っ込む。突っ込んだ瞬間、眉間に皺を寄せて、ぶるりと震えた。
「う……何か変な感じ」
「まんべんなくかき混ぜて。美味しくなーれって声かけてあげると、本当に美味しくなるんだよ」
「えー、嘘くさい。シバさん僕のこと子どもだと思ってからかってるでしょ」
「本当だよ。お花にクラシック聞かせて育てたりするでしょ。ぬかも生き物だからね。酵母とか乳酸菌とかが発酵をすすめてくれるんだ」
「菌?」
「いい菌だからね。いい菌を育てるために毎日こうやってかきまぜて、雑菌を繁殖させないようにする必要があるんだ。……ああ、丁度いい感じになってきたね。じゃあこの白菜の芯と、ニンジンの皮と、キャベツの外葉を入れて……
「これ食べるの?」
「これは食べる用じゃないよ。ぬか床を作るための準備」
「なすは入れないの?」
「入れられるようになるのは二週間くらいかかるかな。ぬか床を作っても、すぐには漬けられないんだ。まずは野菜がちゃんと漬かれるような、ふかふかのベッドを作ってやらないとね」
「ふかふかのベッド……
「時間をかけて大事に育てたらきっと美味しいよ。じゃあ昆布と唐辛子を奥の方に差し込んで。そう、ぎゅっ、って。そうしたら表面をならして、ぺたぺたして。空気をしっかり抜いてね。乳酸菌が育ちますようにーって」
 そうしてできたぬか床。壺の縁をきれいにふいたら、日の当たらない玄関の脇に持っていく。イクミくんは壺の傍にしゃがみ込み、何をするのかと思ったら蓋を撫で、
「美味しくなーれ」
 と、呟いた。
 恥ずかしがっているのがわかったので、聞こえていないフリをした。
「ねえイクミくん、さっきも言ったけど、ぬか床って生き物だから、毎日混ぜて空気を入れてやらないと腐ってダメになっちゃうんだ。イクミくん、やってくれるかな」
「うん」
 嬉しそうに、こくんと頷く。
「ねえシバさん」
「ん?」
「ベッドがちゃんとできたらさ、なすと、あときゅうりも入れていい?」
「もちろん。イクミくんが好きな野菜もいっぱい入れよう」
 イクミくんが壺を撫でていたのと同じように、今度はシバが、イクミくんの頭を撫でる。