執筆:七賀
島の中には逃げ場なんて存在しなくて、本気で逃げようと思ったら、また船に乗って海を渡るしかない。
でもただの生徒にはそれすら、難易度百の脱出ゲームより難しい。ゲームはどれだけ難しくてもいつかは必ず脱出できるようプログラミングされているけど、現実はヘマをしたらそこでゲームオーバーだ。二度目はない。
でも一時停止が二度も許された。自分は変なところで強運……いや、悪運だと思う。
生徒が立ち入り禁止になっている施設の南側には三つの建物が並んでいる。緑が多い島には不釣り合いで、ここだけ世界が違って見えた。尚登に連れられて行った外にはむしろ、こういう高い建物が多かった気がするけど。
「ほら、良かったら飲んで」
案内された部屋の隅で突っ立っていると、温かい飲み物を渡された。目の前ではシバさんが微笑んでる。カップを受け取りはしたけど、口につける気にはなれず俯いた。
「ここなら大丈夫だよ。俺みたいな外部の人間だけが出入りを許されてる場所だから。この島で唯一、施設の管轄外。ほら、飲んで」
言ってることは分かったが、安心の材料には程遠い。自分のことなんて今はどうでもよかった。
飲み物を半分まで流し込んだけど、これが限界だ。今にも胸が張り裂けそうで、息が苦しい。
「悪いことしちゃった」
カップの中に雫が数滴落ちてしまう。
「ヤヒロさん、が、僕のせいでっ……全部僕が悪いのに……!
あのままじゃ死んじゃうよ……っ!」
不安が爆発して叫んでしまったけど、正直に話していいのか分からなかった。彼のことは何も知らない。冷静に考えて、この島に信用できる大人なんているわけないんだ。むしろ彼が教授の言いなりだったら、ヤヒロさんがもっと酷い目に合う。
この無力感が何よりも地獄だ。
自分が大人だったらなにか違ったんだろうか。
「大丈夫。……だから、泣かないで」
溢れて止まらない涙をすくいとられる。屈んだ彼と視線が交わる。シバさんの瞳は深い紅色で、思わず目を奪われた。
「イクミくん、だよね。綺麗な眼をしてるね」
自分が思っていたのと全く同じことを言われてドキッとする。というか、それは今全然関係ないことだ。乱暴に袖で拭ったあと、あえて睨んだ。
彼はヤヒロさんがどうなってもいいんだ。……そう思ったけど、
「ヤヒロをこれだけ慕ってくれる子がいるなんて、……こんな時に何だけど、嬉しいよ」
深いため息と共に俯く。その目元は、何故か光って見えた。
不思議と彼らは特別な関係なんじゃないか、と思った。ヤヒロさんに擦り寄る人間もまた敵だけど、今だけはどうしようもなくホッとする。
「ヤヒロさんの味方なの? じゃあお願い、ヤヒロさんを助けて。俺も何でもするから」
いっそ死んだっていい。ヤヒロさんがいないなら生きてる価値なんてない。
その考えを見透かしたように、シバさんの目付きが鋭くなった。
「必ず助けるよ。でも今は、ヤヒロに君を任されたんだ。だから一緒に島を出よう」
「ヤヒロさんを置いて?
そんなの絶対やだ!」
「このまま島にいたら、君はまた……とにかく、危険でしかないんだ。君が安全な場所へ移ることはヤヒロの願いでもあるんだよ」
そんなこと言われたって確証はないし、そもそも納得できない。
シバさんは以前から自分について知っているようだけど、訊く気にもなれなかった。
ふと地下という言葉が脳裏を過ぎったけど、黒いガムテープでぐるぐるに巻かれたみたいだ。引き剥がせない、見えない記憶。
深く考えようとすると、何故か頭がぐらぐらする。
「ヤヒロさんと、離れたくない……」
膝に落ちた雫を確認したとき……視界が反転して、気付いたらシバさんの顔を見上げていた。
手足の力が抜けて、起き上がることもできない。カタン、とカップを置く音だけが聞こえた。