執筆:八束さん
ぐったりしたヤヒロを寮のベッドに寝かせる。ヤヒロのベッドは二段ベッドの上だったけれど、上まで運ぶことはできなかったので、自分のベッドに寝かせた。水を取りに行こうと思ったとき、廊下に見知らぬ男性がいた。
関係ないと思ったが、戻っても彼はまだいて、しかも自分たちの部屋をじっと見ている。
「あの、何か御用ですか」
「ああ……」
彼が振り向いたそのとき丁度差し込んだ日が当たって、薄い茶色の髪がきらきらと、金髪のように光って見えた。
「ヤヒロくんはここかな」
「え……」
素直に答えるべきかどうか迷った。施設の厳重なセキュリティを通ってここにいるということは不審者ではないのだろうけれど、でも自分たちにとってよい人間とは限らない。先生からあの話を聞かされたあとじゃ、尚さらだ。こいつもヤヒロを狙っているのかもしれない。ヤヒロの身体を。
「あの、失礼ですけどあなたは……」
「ごめん、名乗るのが遅れたね。私はカジヤヒロト……と言っても、わからないと思うけど」
「施設の方ですか?」
「まあ一応ね。ほとんどクビになったようなもんだけど」
「ヤヒロのお知り合いですか?」
「それもまあ……一応」
「呼びましょうか? 今彼、ちょっと……疲れて寝ちゃってますけど」
「それならいいよ。無理して起こさなくていいから」
「でも……」
「それにきっと彼は私のことを覚えてないだろうし」
「えっ」
「ごめん、邪魔したね。君は……シバくん、だっけ? よかったよ、君みたいな子がヤヒロの友だちになってくれて。これからもヤヒロをよろしくね」
そう言うと彼は踵を返してしまった。
彼は知っていたのだろうか。自分とヤヒロとの関係を。
何だろう。あのひとをもっと引き留めておいた方がよかったんじゃないか。もっと訊きたいことがあったような気がするのに……
釈然としない思いを抱えつつ部屋に入ると、丁度ヤヒロが目を覚ました。
「シバ……」
「あ、今丁度さ、ヤヒロの知り合いってひとが来てたんだけど。まだ追いかけたら間に合うかもしれない」
「知り合い?」
「カジヤヒロトってひと」
ヤヒロはうーん、と、首を傾げた
「知らない」
「会ってみたら? 思い出すかもしれない」
そういえばヤヒロは出会った頃、記憶を失っているという風なことを言っていた。
ヤヒロを抱え起こして、外に誘導する。どうしてこんなに、ヤヒロを彼に会わせなければ、と焦っているのだろう。自分でもよくわからなかった。
「あ、ほら、いたよ!」
丁度入口から出たところの彼が、廊下の窓から見えた。窓をあけ、手を振る。
「ヒロトさーん! カジヤヒロトさーん! ヤヒロ、起きましたよ!」
彼が振り向く。
それでもヤヒロはどこかおびえたように動かなかったので、ぐい、と、背中を押してやる。
「ほら、あそこにいるよ。見覚えない?」
ヤヒロは食い入るように見つめていたが、やがてゆるゆると首を横に振った。
「やっぱり、知らない」
そしてさっさと部屋に戻ってしまった。
彼はしばらくこちらを見上げていたが、
「ありがとう、シバくん」
遠くてよく聞こえなかったが、そう、彼の口が動いたように見えた。
そして彼は、連絡船の方へ向かっていってしまった。
それからというもの、ヤヒロにふれることが怖くなってしまった。性欲を恐怖心が蓋しているのだ。意味ありげなヤヒロの視線に本当は気づいていたが、気づいていないフリをした。
学校から帰るときも、別々に帰るようになった。
狭い部屋に一緒にいると気づまりなので、図書室で自習してから帰るようになった。
重い足取りで寮に戻る。今はまだ何とか耐えられているが、でもヤヒロの方からふれられてしまったら、それを振り解けるほどの意思の強さは自分にはなかった。
ドアをあけようとしたとき、
「んっ……あっ……」
なまめかしい声がした。
そうっと、ほんの数センチだけドアをあけて中を覗き見る。
ヤヒロが何故かシバのベッドで、海老のように丸まっている。また具合でも悪く……いや、違う、あれは……
「シバっ……シバ、シバ……っ」
枕に顔を埋めながら、ヤヒロは自慰をしていた。
「シバ……欲しい……欲しいのに……」
するとおもむろにズボンを全部脱ぎ捨てて、後ろの穴に指を入れ始めた。
部屋の外からでも、そこがひくひくと収縮している様がよく、見えた。
まさか見せつけられてるんじゃないか。
そんな風にも思ってしまう。
たまらず踵を返し、トイレに駆け込んだ。自分のものはもう情けなく反応していた。
ヤヒロ……っ!
心の中でヤヒロを呼びながら、射精した。
夜中にふと、目が覚めた。
何だか嫌な予感がして上のベッドを覗くと、ヤヒロの姿がない。
まさか……
そして嫌な予感は、的中した。
医務室に明かりが灯っている。
中から漏れ聞こえる、濡れた音と、喘ぎ。
おそるおそる覗くと、この世のものとは思えない光景が広がっていた。
肉の塊。
それは一瞬、とてもひとのようには見えなかった。一糸まとわぬ姿で絡み合っている先生と、ヤヒロ。
ヤヒロのものを先生が、先生のものをヤヒロが咥えている。
「ふぁっ……やっ、ああっ」
突然、ヤヒロが先生のものを口から放して、甲高い声を上げた。じゅぼじゅぼと、先生がヤヒロのものを吸い上げる音がよりいっそう激しくなる。
「ほら、駄目じゃない、放しちゃ。お口あけてくわえて?」
ヤヒロの傍にやって来た教授が、先生のものをヤヒロの口に宛がう。先端とヤヒロの唇との間に、透明な糸が引いている。
「でもっ、ひっ……あっ、ずるいそんなはげし……っ、やめてっ、ずぼずぼするのだめ……っ」
「イっちゃってもいいけど。でもご褒美はあげないよ? 先にイかせた方にご褒美をあげる約束だからね」
「やっ……ぁああっ、きもち……それ、きもちよすぎてだめっ、出、ちゃう……ゃああんっ!」
ちゅう、と、吸い出す音が響く。背中を仰け反らせ、ヤヒロはびくびく震えている。あけっぱなしの口からは、涎と、声にならない声が漏れ続けている。
「ひうっ……ああっ、はぁ……」
ごくん、と、先生の喉が鳴ったのがわかった。
「よく頑張れたね」
教授に頭を撫でられ、先生はとろけた顔をしている。そしてその表情とは正反対の荒々しさでヤヒロを突き飛ばしたかと思うと、教授にぎゅう、と抱きついた。
「教授、ご褒美……」
「わかってるよ、おいで」
先生は教授に背中を預けるような体勢でしなだれかかると、教授のものを挿入して即座に腰を振り始めた。そして呆然としているヤヒロに見せつけるように胸を反らせ、教授の首元に顔を埋めている。腰に添えられていた教授の手が、つっと太ももを滑っただけで、ビクンと大きく震えている。もしかしたらそれもまた、ヤヒロに見せつける行為だったのかもしれない。
「ああ……教授の、気持ちいい……教授は僕だけのものです。ずっと僕だけのもの……っ」
「やだっ、欲しい、僕も……もう我慢できないからっ、ください、お願いっ」
ヤヒロが自分で自分の穴を拡げてみせている。けれど教授は、「約束は約束だからね」とつれない。
「今日は私は君にしてやれないけど。でも代わりになってくれるひとだったらいるんじゃないかな。……ねえ、シバ君」
やっぱりバレていた。
でも何故だろう。前ほどの動揺はなかった。むしろずっと、呼ばれることを待っていたのかもしれない。
こちらを見上げてくるヤヒロと目が合う。でもヤヒロは、ゆるゆると首を横に振って言った。
「やだ、怖い。しらないひと、怖い」
「何も怖くなんてないよ。シバ君はヤヒロを気持ちよくしてくれるひとだよ」
「気持ちよく?」
「そう。気持ちよくしてくれるひとは皆、好きだろう」
気持ちよくしてくれますか? と、上目遣いにおずおずと訊いてくるヤヒロ。こんなヤヒロ、知らない。ヤヒロじゃない。でも……
でもやっぱり、ヤヒロだ、とも思う。ここにいるのが『どの』ヤヒロであっても、ヤヒロを救えるのが自分しかいないのなら……
「ヤヒロ」
近づくと、ヤヒロは待ちきれないとばかりに尻を突き出してきた。
後ろから一気に突き入れる。それでも難なく、ヤヒロのナカはシバのものを受け入れた。
「ぁあああっ! 気持ちいいっ……おっきいの、いっぱいになって気持ちいいっ」
「ほら言ったとおり。シバ君はヤヒロを気持ちよくしてくれるだろ?」
「シバ……くん、気持ちいい……シバくん……」
セックス中に名前を呼ばれたら普通、嬉しいはずだ。でもこんなぞわぞわした気持ちになるだなんて。大体ヤヒロはこんな風に甘ったるく、「シバくん」なんて言ったりしない。
「シバくん、お願い、ヤヒロにも、あれ、やって……」
見ると先生は乳首を教授に弄られている。
「乳首弄られんの好きなの?」
「うん、好き……好き……」
「ふうん……そう」
教授が先生の右の乳首を撫でる。ヤヒロの左の乳首を撫でてやる。教授が先生の左の乳首を爪先で弾く。ヤヒロの右の乳首も弾いてやる。教授がしているように、ヤヒロにも同じことをする。先生とヤヒロの声が重なる。鏡を見ているような奇妙な感覚。教授が先生の両方の乳首を摘まむ。教授より強く、きゅうっ、と引っ張り上げると、ヤヒロはビクビクと面白いように震える。
前もさわって、と、先生が教授にねだっている。するとヤヒロも同じように腰を揺らし始めた。
「こんなにここを可愛がってあげてんのに、まだ足りないの?」
軽く突き上げると、先端からつうっ、と透明な液体が零れた。ヤヒロはいやいやと首を振るばかりで応えない。
「手伝ってもらおうか」
教授と目が合う。先生も欲しい刺激を与えられていないみたいで、焦れている。
「シバ君」
教授が手招きしながら言った。
「もうちょっと前においで」
まさか……
思わずためらっていると、先生を膝の上に乗せたまま、教授の方からぐん、と近づいてきた。
「な、に、きょうじゅ……ひあっ!」
先生とヤヒロ。互いの腹に挟まれて押し潰されるペニス。あまりにも卑猥すぎる光景に、くらくらする。こんな光景今まで見たことがない。
「あ、たってる……っ、さきっぽぐりぐりあたってるの……!」
肌と肌とがぶつかり合う音が響く。互いに互いの先端を濡らし合って。どちらのものかわからない液体をまき散らして。
ぐらぐらと視界が揺れる。
この揺れは一体どこから来ているのだろう。
自分がヤヒロを突いているのか。それとも突かれているのか。
声を上げているのはヤヒロ? それとも先生?
仰け反っているヤヒロは、一体何に感じているのか。犯してやっているナカか。摘まんでやった乳首か。舐めてやった耳か。先生のものと一緒に溶けそうになっているペニスか。
「あっ、イくっ……きょうじゅ、イっちゃう……!」
ひときわ大きく、先生が跳ねた。
先生の先端から、とぷとぷと白い液体が溢れ出て、ヤヒロの先端をよごす。ヤヒロはよごされた自分の性器を、どこかうっとりと見下ろしている。
「ヤヒロ」
と教授が言ったとき、それがどっちのヤヒロのことを指すのか一瞬わからなかった。
「駄目じゃないか、こんなによごして。勝手にイっちゃうのは百歩譲って許すとして。可愛い子どもの大事なところをよごしちゃ駄目だよねえ」
「ご、めんなさ……」
「お仕置き」
そう言うと教授は先生のナカからずるり、と、自身を引き抜いた。そしてひらきっぱなしになっているそこをさらに指で拡げるようにして、言った。
「『ヤヒロ』君もいい加減出したいだろ。ここ、使っていいよ」
いいよ、と、言われてもどうしていいかわからないという風に、ヤヒロが仰ぎ見てくる。そんなのシバにだってわからない。
「やっ、教授、やめてくださいそれだけは……!」
先生の悲愴な声が響く。でも何故だろう。何故か危機感を感じない。
「ああ、初めてだから勝手がわからないみたいだね。シバ君、教えてあげて?」
駄目だ……
わかってるのに、腰が勝手に前へと動く。抗えない。どうしてだろう。教授の言うことには従わなければならないような気がしてくる。従うことが気持ちいい。
ぬぷぬぷ、と、先生の穴のナカに吸い込まれていくヤヒロのペニス。
未知の感覚に戸惑っているようだが、でも決して悪くはないらしい。ヤヒロは感じ入った声を漏らし始めた。
ヤヒロが腰を揺らす。その動きに合わせて後ろからヤヒロのナカを抉る。
「気持ちいい?」
後ろから先生を押さえ込みながら、それとは対照的な柔らかな手つきで教授はヤヒロの頬を撫でる。ヤヒロはこくんと頷く。
「うん、気持ちいい……前と後ろ、両方気持ちいいの……こんなのはじめてぇ……」
「それはよかった。後ろはシバ君にいっぱい注いでもらって。そして前はいっぱい注いであげるといいよ……お父さんに」
え……
何て……今教授は何て言った……
お父さん……?
先生がヤヒロの実の父親?
そんな……それなら何で同じ名前で……先生はこんなに他人行儀で……いや、親子でこんなこと……
「ああっ、出るっ……出ちゃうっ……!」
快楽を追うためではなかった。
「出しちゃう……っ、お父さんのナカ……お父さんっ……!」
ヤヒロの声をかき消したくて。何も考えたくなくて。一心不乱に腰を振り続けた。
先生の眼鏡を外した寝顔は、ぞっとするほどヤヒロに似ていた。そんな先生の股間に顔を埋めてヤヒロは、飛び散った精液をぺろぺろと舐め取っている。教授に、よごしたところをきれいにするように命じられたからだ。そして一度命じられたら、今度はやめろと命じられるまでやり続けるのだろう。まるで操り人形だ。意思のない。快楽だけに手懐けられた。
教授が外に出たので、後を追った。訊かなければならないことがたくさんある。
「何でこんなこと……ヤヒロは……あの二人は一体何なんですか。先生がヤヒロの父親って本当ですか」
「本当だよ」
あまりにもさらりと言われて戸惑った。本当は否定してほしかったのかもしれない。
「本当、って……じゃあ……じゃあ何であんなこと……あんな、おぞましい……」
今さらながら、自分はとんでもないことに加担してしまったんじゃないか。
「あまり仲が良くない親子だったんだ。だから何とか『仲良く』させてあげたくてね」
「仲良く、の使い方、間違ってますよ」
「身体の相性がいい親子があってもいいじゃない。夜紘はずっと子どもに愛情を持てなかった。それはすごく悲しいことだよね。でも唯一、身体でだけはつながることができた。ヤヒロも小さい頃は頑なだったんだけどね。いつの間にかあんな風になっちゃって」
「あんな風になった……って、あなたがそうしたんじゃないですか」
教授はうっすらと笑った。
何故だろう。教授を前にすると、どれだけ正しいことを言っても、自分の方が間違っているような気がしてくる。
「私はあのふたりが『ひとつ』になるところが見たいんだ。ふたつのものがひとつに重なっていく様を」
だからなのだろうか。
だからヤヒロは先生と同じ名前なのだろうか。
同じように後ろを貫かれて喘いでいたふたりの姿が脳裏に浮かぶ。その姿が徐々に重なり合っていく。
「でも心はバラバラじゃないですか。ヤヒロは何も覚えていない」
「ヤヒロはまだ不安定だからね。君ならそんなヤヒロを支えてあげられると見込んだんだ」
「無理ですよ」
自分でも吃驚するくらい、低い声音が出た。
「僕にはもう、無理です」
ポケットに忍ばせていた鍵を、教授に渡す。
「だって『ヤヒロ』は、どこにもいないじゃないですか。支えたくても、ヤヒロはどこにもいない」
好きだったヤヒロはもう、どこにもいない。
好きだった。
本当に、好きだったんだ。
自分のことは後回しに、ひとを気遣うことのできる優しさ。ありがとう、とはにかんだ笑顔。一緒に飛ばした紙飛行機……そう、ずっとずっと、ああやって紙飛行機を飛ばし続けているだけでよかったんだ。どこにもいない? 違う。消してしまったのは自分じゃないか。
何か言うと声が震えてしまうのがわかったから、何も言わずに一礼だけして立ち去った。
寮に戻るとき、海岸線の向こうから昇る朝日が見えた。
まばゆい光に照らされた海を見つめながら、号泣した。
ヤヒロにどんな顔をして会えばいいのかわからない。
たとえヤヒロが、あの夜のことをすべて忘れてしまっていたとしても。自分自身をもう、騙すことができない。
狂ってる。間違ってる。でも結局自分は、何も正すことができなかった。それどころか一時の快楽と好奇心に負けた。だから自分も同罪なのだ。
ヤヒロが何故ヤヒロ、という名前なのかは気になったが、でもそれを問う権利ももう自分にはない。
部屋を替えてもらおう、と決意する。
本当はこの島を出たいぐらいだけど流石にそれはかなわないだろうから。でも事情をどうやって説明したらいいものか……
考えあぐねていたとき、部屋のドアがあいて、ヤヒロが戻ってきたのがわかった。
けれど、ドアの音はしたものの、そこからヤヒロが中に入ってくる気配はない。
「ヤヒ……」
振り向き、飛び込んできた光景に目を疑った。
ヤヒロの服が真っ赤に濡れている。
つうっ、と、ズボンの裾まで滴り落ちていくのを見てようやく、それが血だとわかった。
「ヤヒロ、ど、うし……」
カンッ、と、音がして、ヤヒロの手から光る何かが滑り落ちた。
「ひっ……」
血に濡れたナイフだった。
それに視線を落とすこともなく、まばたきひとつせずヤヒロは呟いた。
「お父さん、殺しちゃった」