329と1310⑺

執筆:八束さん

 

 

 

「巳継、どうして……
 届いているかいないかわからないくらいの声で呟く。ふと見ると下にいる小夜子も、同じような顔をして、カタカタ震えている。
 巳継は不意に、不自然な笑顔を見せると、こちらに歩み寄ってきた。
「いいよ、続けて?」
 そう言われても、続けられるはずがない。巳継が何を考えているかまったくわからない。もちろん小夜子のことも。皆が宇宙人のように見える。二人から見ても自分のことが、そのように見えているのだろうか。
「何だかいいなあと思って。愛し合っている者同士が普通に愛し合う行為って」
「巳継……
 強烈な皮肉だ。
「小夜子さん」
 不意の呼びかけに、小夜子がびくんと方を震わせる。思わず小夜子を守るように抱いてしまっていたことに気づき、自嘲する。何を今さら。
「俺ねえ、自分の愛しているひとが、愛しているひとに愛されているところを見るのが好きなんだ」
「巳継さん……
 小夜子の心中を正確に推し量ることはできないが、それ以上言わないで、と、怯えているのがわかる。
 小夜子は気づいていない。
 巳継と小夜子の関係に、久遠が気づいているということに、気づいていない。気づいていないまま、哀れに怯えている。そんな彼女を見て皮肉にも初めて、愛しさらしきものを感じている。
 怯えている小夜子に、巳継は追い打ちをかける。
「いや違うなあ、『愛しているひと』が、『寝取られている』ところを見るのが好きなんだ」
 その言葉の意味を理解するのが怖かった。
 何もかもを、理解するのが怖い。したくない。そんな自分と小夜子を見下ろして、巳継は朗らかに言う。
「いつもどんな風にやってるの」

 罪が染みこんでいく。
 小夜子の腰を持ち上げたときに垂れた液体がシーツをよごすのを見て、そう思った。
 どうして想像できただろう。この部屋に二台のベッドを運び込んだとき。まさかこんなことになるなんて。
 嫌だ、やめて、やめてっ、と、小夜子が首を振る。自分に言っているのか、巳継に言っているのか分からない。どっちでもいい。都合の悪いことは全部巳継のせいにしてやれそうだった。
 嫌だ、やめて、と、拒絶しておきながら、小夜子は今までないくらい感じていた。それを指摘すると小夜子は両手で顔を隠し、ごめんなさい、ごめんなさい、と繰り返した。ごめんなさいあなた、ごめんなさい巳継さん。
 一体何に対する謝罪なんだ。苛立ちのあまり腰を激しく打ちつけた瞬間、小夜子がイったのがわかった。久遠を置き去りに快楽の海に溺れる小夜子。ふたりでやっていること、という実感がない。これ以上ないくらい深いところでつながりあっているのに、地球の裏側にいるみたいな距離感だ。陸に揚げられた魚みたいに跳ねていた小夜子。動きは徐々に落ち着いて、それが何だか、今にも命の灯火が吹き消される寸前のようにも見える。
 ギシリ、と、ベッドが軋む。巳継がベッドに腰かけたからだ。上がった息がおさまらない久遠ににじり寄り、そして耳に息がかかるほど近くで囁いてくる。
「ずっと見たかった。お前が女を抱くところ」
 囁かれた瞬間、身体の奥がジンと熱くなった。身体の奥……小夜子との交わりでは、決して満たされなかったところが。それを見抜いたかのように巳継は、小夜子から押し出された久遠のペニスを撫でさすりながら言った。
「女を抱いて満たされなくて、飢えてどうしようもなくなるお前が」
「あっ」
 巳継の膝の上に抱え上げられる。
「駄目だ巳継、それだけは……っ!」
 けれど指を奥まで突き入れられてしまうと、もう駄目だった。欲しかったものが与えられた悦びに、身体が勝手に震える。押し込むときに巳継のてのひらが尻にふれる、それだけで感じてしまう。
「あ、あ、あ……
 さらなる刺激を期待して、腰が勝手に揺れる。
 駄目だ。今ならまだ……今ならまだ、決定的な瞬間を小夜子に気づかれないで……
 思った瞬間、もう一本指を増やされ、いい部分を集中的に擦られた。
「やだ巳継っ、やだ、あ、あ……ああっ、いいっ、ああ、そこ……っ」
「嫌って言いながら感じてるところは本当、似たもの夫婦だな」
「冗談……っ、お願い巳継、それ以上はやめっ、ああっ」
 ぴくぴく、と面白いようにペニスに角度がついていく。たった二本の指に操られて。
 指だけでイかされるかと思った。けれど巳継はおもむろに動きを止めると、一体何を考えているのか……ぺちぺち、と、小夜子の頬を叩いて言った。
「小夜子さん、ほら、起きて、小夜子さん」
 ぎょっとした。
 何を。巳継は何をしようとしている。
 やめてくれ。
 ただでさえぐちゃぐちゃになったものを、これ以上ぐちゃぐちゃに……
 小夜子が薄目をあける。けれどまだ何が起こっているのか、ちゃんとは分かっていない様子だ。
 早く。早くやめなければ。
 けれど巳継の腕に、さらに力が入る。脚をさらに広げるような形でホールドされてしまう。さらされている、すべて。小夜子の目の前に。恥ずかしいところが。これから巳継のものにされてしまう身体が。
 いや既に、巳継のものにされてしまった身体が。
「あなた……
「小夜、子……あっ」
 絶妙なタイミングで、巳継が指を動かしてくる。
「や、だっ……、み、つぐ……もうやめっ……もう、抜い、て……ああっ、あああっ」
 とぷ、と、先端から透明な蜜が零れる。それが竿を伝って流れ落ちていく様を、小夜子が凝視している。
「小夜子さん、大変だね、こんなに感じやすい旦那だと」
「巳継さん、あなた、どうして……
「前よりも後ろが感じやすいなんて。しかもこれだけじゃ足りないって言ってる」
「やめっ、巳継、拡げないでっ……!」
「俺はたいして力入れちゃいないけど? このままじゃつらいだろ。どうして欲しい?」
「や、あ……
「何が欲しいか言ってみろよ。言ったらそのとおりにしてやるから」
 暗に、言わなければずっとこのままだ、と脅してきている。
 駄目だ駄目だこんなこと。それなのに、
……し、い」
「聞こえない」
「欲しい。これが欲しい。巳継のおっきいので、いっぱいにしてほしい。巳継のじゃないと満足できないか、ら……ああっ!」
 一気に奥まで突き入れられた。こんなにも巳継が入っている、と意識させられたことはなかった。
「巳継そこっ……ああっ、いいっ……あああっ!」
 軽く突き上げられただけで、突き上げられた以上の快楽で浮き上がる。小夜子がどんどん遠くなる。
「もっと……もっと突いて巳継……っ、巳継っ!」
 我慢しきれず、自分から腰を振ってしまう。ぱんぱん、という音が大きく響く。腰を下ろしたときにぐちゅり、と溢れ出た液体が、巳継の腹を濡らす。
 ピントの合わない視界。それでも小夜子がどんな顔をしているかは、何故かはっきりとわかる。
「あ、うあ……
 巳継を埋め込んでいる腹に手を当てる。楔を打ち込まれているみたいだ。自分はもう、巳継のもの。そして巳継も、自分のものだ。小夜子には渡さない。誰にも。
 突かれるごと、快楽を得るごとにひとつ、大切なものを失っていく感覚。けれどもはや、失うことが気持ちいい。地位も名誉もすべて失って身ぐるみはがされて、やがて粉々になってしまいたい。跡形もなく。巳継となら。どうなったっていい。
「ひっ……あーっ!」
 後ろの刺激に慣れてきたところに、おもむろに両乳首を摘まれた。
「ここでも感じるんだよな」
 戯れに弾かれたあとに、ぐりぐりとこねられ、そして限界まで引っ張られる。見られている。巳継の手によって、そこが卑猥な部分に作り替えられていく様を、小夜子に。
 違う、と否定する力はもう残っていなかった。快楽のままに腰を振り、胸を突き出し、卑猥な言葉を口にする。いや、言葉すらもうロクに発することができない。あいたままの唇からは、だらしなく涎が垂れ落ちる。
「ふっ……う、う、うううーっ!」
 たまらず身をよじった瞬間、唇を塞がれた。一度そうされてしまうともう、小夜子の方を向けなくなってしまった。
 丁度小夜子と自分たちを隔てる位置で、ベッドが真っ二つになればいい。
 そしてそのまま、沈んでいけたら。
「イきそうだな」
 囁かれ、すでに身体中にぎちぎちに充満していた熱が、一気に弾け出しそうになる。
「み、みつぐっ……も、だめ……
「いいよ、イって」
「で、も……っ」
「ほら、お尻と胸だけでイくとこ、見せてあげて」
「あ、ああ……っ、イ、く……あああっ!」
 ペニスには一切ふれられないまま、射精していた。
 内腿が激しく痙攣し、全体重を巳継に預ける形で絶頂する。指先も、呼吸も、思考も、自分でコントロールできる部分は何ひとつとしてなかった。
「はぁ……はぁっ、あ、ああ……
 なだめるように、もしくは染めるように、巳継の手が全身を這う。ペニスに引っかかったままの精液を、巳継の指がすくい取る。その指を唇の前に持ってこられると、反射的に口をあけ、含んでしまう。
「美味しい?」
 巳継の指を舐めながら、こくこくと頷く。
 唇に、頬に、首筋に、耳に……優しいくちづけ。それと同時に、残酷な言葉も落とされる。
「わかったかな、小夜子さん」
 目はちゃんとひらいているはずなのに、視界が暗い。
「君の旦那の身体はもう、抱くんじゃなく抱かれるためにあるんだってことが」

 朝。
 パンの焼けるにおいで目が覚めた。
 あれだけ絶望的な夜を過ごしたのに、ちゃんと朝はやって来る。そのことにまた軽く絶望する。
 あのあとどうなったのかよく覚えていない。
 小夜子の泣き声と喚き声とが、同時に耳の奥で再生されている。
 今日には離婚届を突きつけられるかもしれない。
 話すことも、目を合わすことも許されない気がした。
 けれどリビングに入るなり、
「おはよう、めずらしく早いわね」
 テーブルの上には久遠の分の朝食も用意されている。
 今日は果たして、昨日から連続している今日、なんだろうか。わからなくなる。
 ずっとずっと前。まだ何も知らなかった頃。偽りの幸せを演出していた一日を抜き出してきたんじゃないか。
 おそるおそる席に着く。それでも何となく手をつけるのを躊躇ってしまう。
 まさか毒が盛られてるんじゃないか……そんな馬鹿げた妄想をしてしまうほど、すべてがあまりにも不自然だ。
「あら、食べないの?」
「えっ、いや……今食べようと思ってたとこ」
 パンに手を伸ばそうとしたところ、
「こっち、焼きたてだから、交換してあげる」
 小夜子が自分の皿を押し出してきた。何だかわからないまま、受け入れる。
「小夜子、昨夜は……
「昨夜はよく眠れた?」
 ぎょっとした。しかし小夜子の表情からは、何の悪意も読み取れなかった。
「あなた最近頻繁に寝返り打ってるのよ。眠りが浅いんじゃない? そういえば今年の健康診断はどうだった? まだ若いからって油断してると、いつ何が起こるかわからないものね、仁美さんみたいに……
 ぎょっとすること続きだ。
 小夜子が何を考えているのかわからない。あえて遠回しに責めようとしているのか……
「ごめん、小夜子」
 白々しいやりとりはもう、限界だった。
「ごめん、今まで君を騙していてごめん。もっと、早く、ちゃんとするべきだった」
「あなた……
「全部俺のせいだ。俺の狡さと、弱さのせいだ。関係ない君を巻き込んで、追いつめて、苦しめてしまって、本当に申し訳ないと思ってる。巳継とのことは、間違いだった。どれだけ謝っても許されないのはわかってる。だから……
「あなた、待って」
 おそるおそる顔を上げる。しかし小夜子の表情は、想像していたもののどれとも違った。
「さっきから何を言っているの。いきなりどうしたの。謝るって何のこと?」
 きょとんとした目。
 本当に何を言っているのかわかっていないような……
「みつぐ、って、だあれ?」

 小夜子は巳継に関する記憶を失っていた。