329と1310⑸

執筆:八束さん

 

 

 

ベッドに入るときこれみよがしにため息をついてみせる妻が、そういえば最近は逆に、自分の存在を消すようにベッドに入ってきている。何故今まで気づかなかったんだろう。
 妻の重みで、ベッドが沈み込む。サイドランプを消そうと伸ばした妻の手首をつかみ、抱き寄せる。首筋から耳元にかけてキスをする。
「ちょ……ちょっと、あなた……!」
 腕の中で妻が暴れる。
「どうしたの、一体」
「どうしてって……嫌?」
「嫌、っていうか……変よ。今までこんなこと一度だってしたがらな……あっ」
 余計な言葉を聞きたくなくて、耳たぶを甘噛みする。胸に手を這わせると、あっという間に感じ入った声を漏らす。感じ入った、べたべたする、気持ち悪い、女の声。自分の耳を塞ぐことはできないから、必死に別のことを考える。
 巳継はどんな風に彼女を抱いたんだろう。
 想像すると少しだけ、愉快になった。
 どんな風……そこではたと気づく。いや、そんなこと、自分が一番よくわかってるじゃないか。巳継が自分を抱くのと同じように、妻を抱いてやればいい。巳継にされたことを、妻にそのまま。
 久遠の異変を感じ取ったのか、妻がまた手脚をバタつかせる。けれど簡単に押さえ込んでやることができる。女の身体とは、こんなに頼りないものだったか。両手首を掴んで押し倒す。巳継もこの胸に顔を埋めたのか。舌を這わせたのか。
 気持ち悪い、見ることすら嫌だった性器に、嬉々として自分のものを埋め込んでいる。ここを巳継も使ったんだ。そう思うと、間接的に巳継とふれあっているような気がしてくる。妻の身体に残っている巳継の名残をかき集めるように妻を抱いた。
 自分を裏切った妻か、巳継か。一体どちらに対する怒りが強いんだろう。終わってみると、わからない。衝動に任せて妻を抱き、結局一番初めに裏切ったのは自分じゃないか、という自責の念がまたじわじわとこみ上げてきた。
「よかったわ」
 と、久遠の頬にふれながら、妻は微笑む。しかしその数秒後、笑顔はみるみる崩れて泣き顔になった。
「ごめんなさい。何か変ね。どうして涙が……
 その涙の本当の意味を自分はとっくに知っている。けれど、
「ごめん。こっちこそ今までつらい思いをさせて」
 今までついた嘘の中で、最低最悪の嘘だという自覚はあった。

「女を抱いたな」
 顔を合わせるなり巳継がそう囁いてきた。
「そんなお前を抱きたい」
「悪趣味」
 言いながらも、抗えない。最近では罪の意識を抱えながら交わることに、快感を見出している。罪悪感を消すためではなく溺れるために、快感を利用する。
「どんな風に彼女を抱いた?」
 そう言って巳継は久遠の手を取り、頬へ、胸へと誘導する。
「キスしてやった? 胸揉んでやった? 細い腰をつかんで、ガンガン揺さぶってやった?」
「嫌だ。思い出させるようなこと言わないでくれ」
「思い出せよ。そうして思考が真っ黒になったお前を抱きたい。気づいたんだ、俺は。お前が弱って、壊れていけばいくほど愛おしいんだって」
「嫌だ俺は……っ、お願いだ。小夜子にしたのと同じようにだけはしないでほしい」
 喉の奥で、巳継が笑った。
 ペニスにむしゃぶりつかれる。反射的に脚を閉じてしまいそうになるのを、押さえ込まれる。快感はあっという間に、受け止めきれる許容量を超えた。
「やっ……巳継っ、イってる…………イってるの、に……っ!」
 もう出るものはないと訴えても、しつこくしゃぶられ続けた。精液でない液体が迸る。自分の身体から出たものというのが信じられなかった。というより自分の身体がもう、自分のものではないみたいだった。
 黒く塗り潰されていく。巳継に。
 自分ではもう制御のきかなくなった身体。脚を限界までひらかされ、挿入される。満たされる、というより、自分の中にある空洞を思い知らされたような感じがした。何度出されたかわからない。何度出されても満たされない。零れた液体を奥に押し戻すように動きながら、巳継は言った。
「お前が妊娠できたらよかったのにな」
「巳継……
「そうしたらこんなことにならずに済んだのに」
 こんなこと、が何を意味しているのかわからなかった。
 巳継が小夜子を孕ませたことか。小夜子が巳継に靡いたことか。小夜子を悲しませたことか。繕ってきた仮面にとうとう罅が入ったことか。それともそもそも、自分たちが出会ってしまったことか。
 不意に巳継が、首元に手を伸ばしてきた。
「久遠」
 今までにないくらい優しい微笑み。巳継、と応えようとしたが、声が出ない。首を絞められているのだ、と、ようやく気づく。
 苦しい、苦しい、苦しい……ああでも、気持ちいい。
 こんなことは流石に小夜子相手にはできやしないだろう。
 もう駄目だ、と思う直前で不意に緩められる。激しく咳きこみ、もう終わりかと思ったらまた絞められる。イけそうでイけない。死ねそうで死ねない。
 巳継の真意はわからない。本気で殺すつもりか、そうでないのか。
 不思議と、殺されるのだとしても怖くなかった。怒りもなかった。ただ、伝えたかった。
「愛してる」
 声には出さず、呟いた。
 伸ばした手は、巳継に届く直前でベッドに落ちた。

 朝目覚めたとき、
 生きている……
 ぽつん、と思った。
 巳継は先にホテルを出ていた。
 昨日のことが、まるで夢のように感じられた。でも夢ではない証に、首元には赤い痣が残っている。
 初めて仮病を使って休んだ。巳継に連絡を取ろうか迷い、でも結局、一度はひらいたアドレスを閉じてしまった。
 週明け出社して、何気なく巳継の席を確認する。姿はない。外回りにでも行っているのかと予定表を確認したら、公休になっている。休みを取るなんてめずらしいなと思いながら、総務から一斉配信されたメールをひらいて愕然とした。
 仁美さんの訃報だった。