329と1310⑵

執筆:七賀

 

 

病院へ向かって、必要な荷物を届けて、経過を聞いて……。その後は何度、腰を浮かそうとしたのか覚えてない。実際何度か椅子から立ち上がったのだけど、その度に手を握られて座る、ということを繰り返した。
早く帰りたい。妻はあれが嫌これが嫌と病院の愚痴を零す。それも不安や寂しさの裏返しなのだと分かってはいるけど、妊娠しない自分が完璧に理解してやることはできない。それより早く帰って、実家に預けてる息子を迎えに行かなきゃいけないのに……
ため息を飲み込みながら、妻の背を撫でる。小さなテレビに注目しながら、別のことを考えている。
あー……久遠を抱きたい。
獣のような発想に思わず笑いそうになった。自分の妻に触れながら、妻がいる男の裸を思い浮かべるなんて。でも一度舞い降りた欲求は中々消え去ってくれなかった。
「じゃあ、また明日来るから」
妻を宥め、何とか病室を出ることに成功した。妻の、不安と愛らしさが入り交じった笑顔で見送られ、扉を静かに閉める。腕時計で時間を確認しながら早足で駐車場へ向かった。
新しい子どもの名前……は全っ然考えてない。一人目の時、妻は「もっと真面目に考えて」と言った為、その年の占いまで調べてたくさん候補を上げた。けどその全てを却下され、最終的に妻が考えた名前になった。だから今回もいくつかメモにして渡そうと思う。
相性とタイミングを考慮し、後はガンガン中出ししただけで「親」になれた。周りから祝福された。嬉しくもないことに御祝いされ、御礼を返すことは仕事より苦痛だった。……それを理解してくれたのは、今も昔も久遠だけだ。
本当に好きな人と結ばれることは、難しい。結婚するよりも、親になるよりも。少なくとも自分は……
車のドアを閉めてシートに凭れかかる。このまま全部振り切って、妻と子どもを置いて逃げたらどうなるだろう。もちろん想像だけに留めるけど、この現実逃避が中々楽しい。妻は悲嘆に暮れ、友人は自分を軽蔑し、両親は憤激するに違いない。
自分だけが解放され、残された者は皆不幸になる、なんて……なんて最高の結末。頭の中に留めるには勿体ないぐらいだ。ドラマなら呆れるほどありがちな展開なのに、想像では魅力的な輝きを放っている。
朝から動いていたこともあり、うつらうつらして眠りそうになった。ガムを噛んで眠気を覚まし、シートベルトを締める。エンジンをかけてラジオを流した。
人はガムと一緒だ。最初はどんなに美味しくても、いずれは味がなくなる。無味のガムほど不味いものはない。地面に吐き出したくて仕方ないのだ。

「パパー!」
「ただいま、南月(なつ)
実家の扉を開けると一番に息子が飛び出してきた。抱き上げてやり、頭を優しく撫でる。抱く度に重くなったように感じた。すくすく成長する息子に安心しつつ、心の片隅では見えない「何か」が肥えていく。最近では自分よりも、その「何か」の方に肥料を蒔いている。
妻を心配する両親に病院での様子を伝えた。息子は既に母が作った夕飯を食べたらしい。礼を言ってチャイルドシートに乗せ、再びドアを閉める。
「すっかり父親らしくなったじゃないか」
父はまるで自分のことのように、誇らしげに言った。
「最初はちゃんとやってけるか不安だったけど、二人目が産まれたらもっとお父さんらしくなるわね。仁美(ひとみ)さんのこと支えてあげるのよ」
続けて母の言葉を受けた。特に何も返さず、微笑む。と言うか、笑うのが精一杯だった。また連絡すると告げ、車を走らせる。ルームミラーで後部座席を確認すると、息子の南月が小さな玩具を弄っていた。両親から買ってもらったのかもしれない、二つの飛行機のフィギュアを衝突させている。
「南月はもうすぐお兄ちゃんになるぞ」
「お兄ちゃん?」
「お母さんの中に赤ちゃんがいるんだ。女の子か男の子かまだ分からないけど、産まれてきたら南月が守ってあげな」
すると息子は元気よく「うん!」と答えた。本当に分かってるのか微妙なところだけど、素直な子で本当に助かった。もしこれが妻のように癇癪持ちだったら、ネグレクトでもしてしまったかもしれない。
苛立っているのは確かだが、対象が定まらず困っている。逃避の想像は巳継の中だけで実行される復讐だ。だが誰を一番苦しめたいのか分からない。
俺の怒りの矛先はどこへ向ければいい。

深夜、テレビをつけるとたまたま流れていた。同性愛者のドキュメンタリー……ゲイのカップルが周囲の反対を押し切り、同性婚の重要性を滔々と語っていた。
立ったままビールを片手に、二人の会話を聞いている。全くすごい。自分は周りに押し流されてきたのに、彼らは前を向いて自分らしく闘っている。同じ人種のはずなのに、見ている方向があまりにも違う。そもそも自分はテレビに出るなんて死んでも無理だ。こんな全国的に顔が知られたら会社だって行きづらい。生活が破綻する。
……
そうか。苛立ちの一角が、少し分かった。同じ同性愛者なのに、自分と違い幸せそうにしている奴らが存在している。周りにいないから気付かないだけで、こうしてまじまじと見せつけられると、言葉にできない怒りが湧き上がってくる。
人は皆平等だっていうのに理不尽じゃないか。そうだろ?
……
久遠。
……こんな時間に呼び出すのはさすがにどうかと思うよ」
スマホを弄っているとインターホンが鳴った。スリッパが脱げるのもかまわず、玄関先で佇む彼を抱き寄せた。鍵をかけて、彼を壁に押し付ける。熱でとけそうな唇と腰を押し当てる。
久遠は驚いたのか後ずさったけど、腕を封じて強引に貪ってやった。互いの口からだらしなく唾液が零れる。
「やめろ、って……! 南月くんいるんだろ?」
「心配しなくても、今頃夢の中だよ」
起きない保証はないけど、と付け足す。子供部屋を通り越して、寝室へと彼を連れ込む。最近まで妻と過ごしたダブルベッドに。
彼を押し倒すと、ポケットに入っていたスマホも転げ落ちた。
「巳、継……っ!」
いやいや言いながらも、服を剥ぎ取ると抵抗らしい抵抗は見せなくなった。ローションを入れたボトルを取り、キャップの先端をそのまま穴に押し込み、勢いよく握り潰した。
「ひっ!」
全部使い切ってやろうと思い、空になるまで久遠を押さえ付けた。もっともほとんどが外に零れて、中には全然入らなかった。キャップを抜くと、小さな穴からまたローションが滴った。
「ひど……
暗がりの中、自分を見上げる久遠の瞳が鈍い光を放った。軽蔑と、わずかに灯る怒り。以前の自分ならしまった、と思ったはずだ。彼に嫌われるような真似は絶対したくなかった……でも今はむしろ興奮している。久遠をめちゃくちゃにしていいと、知らない誰かから免罪符を与えられたようだ。
怒ったって、結局彼も準備してきている。こうなることを見越して、いや期待してきてるんだから、常識ぶるのは間違いだろう。
彼はいつもどんな顔で妻を抱いているんだろう。一度、二人がしてるところを生で見てみたい。
見たところで、今の関係をやめることはないだろうけど。
立派な夫、優しい父。その仮面を剥がすことができるのは自分だけだ。今のように。
「ひっ、あ……あっあぁ……あっ!」
自分の腕の中では女も同然。この姿を永遠に見ていたい。息もまともにできない久遠に口付けする。彼は自分以上に快楽に弱い。だから心配で、
とても愛おしい。
「久遠、もう少し声抑えないと南月が起きる。隣の部屋だしな」
「んんっ!」
慌てて口元を隠し、無防備な体勢になったところでさらに激しく奥を突いてやった。声を抑えた分、身体の震わせ方がすごい。とっくにメスイキしてるし、ところてん状態だし、下手したら今までで一番エロかった。
この身体で女を抱く必要なんてどこにあんだよ。
正体不明の怒りに突き動かされ、久遠を朝まで抱いた。お互い何度イッたのか分からなくて、性器を抜いた後も彼はあられもない姿でベッドにねていた。腹は彼が撒き散らした白い体液で汚れている。
「パパ」
扉を開け、息子が恐る恐る顔を覗かせる。手招きをしてベッドの上に乗せてあげた。
「パパ、お兄ちゃんどうしたの?」
以前も何度か会っているから、久遠のことは認識している……南月が心配そうに近付いた。未だに快感から抜け出せない久遠の太腿を撫でる。わずかに震えて、開いた穴は息をする度に収縮していた。
久遠のスマホを拾い上げ、そっと息子の額にキスする。
「お兄ちゃん、気持ちよくて眠っちゃったんだよ。南月が起こしてやりな」


 

 

 

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