執筆:八束さん
男同士で恋愛することに何の疑問も抱かれない社会になって……
もらっちゃ、困る。
男同士で恋愛することが一般的でないから、二人で並んで歩いていても、「あ、カップルだ」なんて思われなくてすむんじゃないか。
たとえホテルに入ったところを見られたとしても、「酔い潰れた同僚を介抱していた」とかいう言い訳が成り立つんじゃないか。
ホテルに入ってしまえば、本当のところは誰にも分からない。ふたりにしか。
「久遠(ひさと)……おーい、久遠」
バックで激しく突いていたら、一度激しく痙攣したあと、ばたりと突っ伏して動かなくなった。飛んでしまったのかもしれない。顔をこちらに向けさせキスをすると、弱々しいながらも反応があった。
「ん……巳継(みつぐ)」
「お前、もうイった?」
「イった……」
「俺まだイってないんだけど」
「んー……」
「んー、じゃなくて、イかせて?」
半開きの口に自分のものを宛がうと、久遠は大人しく口をひらけた。じゅぷじゅぷと濡れた音が響き渡る。
ただ快楽を追うだけの、醜い交わりであることは自覚している。
「奥さんいいの?」
せっかくいい気分に浸っていたのにすぐに現実に引き戻すようなことを言う。これは久遠の悪い癖だ。でもまあそのおかげで気が引き締まって、外でボロを出さずに済んでいるのかもしれない。
「入院したんだろ」
「ちょっと血圧が高かっただけだから。大袈裟なんだよ。二人目だからもう一人目のときのような緊張感はないっていうか」
「奥さんが妊娠中にこんなことするとか最低」
「別に頼んで妊娠してくれって言ったわけじゃないしな。どっちかって言うと反対してたんだ。それなのにどうしても二人目が欲しいって言うから。だったら勝手にしろよって」
「でも子どもは勝手に作ろうと思って作れるもんじゃないだろ」
フッと鼻で笑いながら久遠は言った。
「やっぱり最低だ」
「そういうお前は?」
スマホで表示させた写真を見せつけてやる。久遠の表情が曇った。今までぐったりと横たわったまま動かなかったが、初めて上半身を起こした。
「それ、どうしたの」
どうってことない、家族写真だ。幼稚園の入園式。『入園式』の立て看板をバックに、両親と男の子が収まっている。父親は久遠。母親の女性は巳継と同じ部署で働いていて、たまたま子どもの話題で盛り上がったときに貰ったのだ。
「こう見るとどこからどう見てもよき父親、なのが笑えるな。実は彼、昨晩男にケツ掘られてたんですよ、って言ってやりたかった。息子って母親似? あんまそそられねえな」
「巳継」
「その方がよかった。お前に似てたら将来親子丼にしてたかも」
「ちょっと巳継」
「冗談だって」
「……何かあった?」
「何で」
「巳継が下手くそな冗談を言うときはたいてい何かあったときだから」
それには答えず、バサッとシャツを羽織った。何かあった、というのなら、何かない、ときなんて、ない。こんな関係を続けている限り。
悪いことをしている自覚はある。十人が十人、今の巳継の行動を見たら巳継を非難するだろう。でもしかたない。こうするしかなかった。
女と付き合えない、ということは散々訴えていた。でも親は、周囲は、巳継の言うことに耳を貸そうとしなかった。どうせなら勘当されたり、理解できない、と突っぱねられていた方が楽だった。勇気を振り絞ったカミングアウトを、なかったこと、にされるよりは。
気のせいじゃないの、一回くらい付き合ってみたら、やってみないと分からないじゃない……
だから『やって』みて、『分からせて』やろうと思ったのだ。非難したけりゃすればいい。でも初めに訴えを聞かなかったのはそっちじゃないか。不幸を望んだのはそっちじゃないか。
もう洗いざらいぶちまけて、めちゃくちゃにしてやりたいと思うことがたびたびある。でも思いとどまっているのは、久遠の存在があるからだ。自分のやっていることを恥じて、立派に罪悪感を持っている彼まで壊してしまうのは本意ではない。
久遠が女との関係が『やっぱり無理』だと気づいたのは、結婚後。ひとり目の子どもができるまでは頑張ったらしいが、それ以降性交渉は拒み続けているらしい。『難儀』という言葉が、久遠を見ていると浮かんでくる。
ブルッとスマホが震える。入院中の妻から、タオルを持ってこい着替えを持ってこい、私がいない間はあれしろこれしろと、指示が事細かに書かれている。
「じゃあ俺、先行くわ」
「ん……」
別れ際にもう一度、キスをした。
香水のにおいも、口紅の跡も気にする必要がない。
でもそれが少し物足りなく思う。
綱渡りは、落ちそうで落ちないからいいのだ。でも思いきり落ちてしまうのも悪くないと思っている。
外に出ると、雲ひとつない青空。ピッポ、ピッポ、と、信号機が鳴っている。