執筆:八束さん
医務室で目にした光景が信じられなかった。信じたくなかった。気持ち悪い。何でヤヒロが先生たちと『あんな』こと……
そして一番信じられないのは、あんな光景を見て興奮している自分自身だ。
駄目だ、駄目だ、と思いながらも、抑えられない。寮の部屋に戻るなり、ズボンの前をくつろげ、一心不乱に自分のものを扱いていた。
焦点の定まらない目。微かに漏れる喘ぎ声。思い出しただけでさらに熱が上がる。
「……っ」
僅かな快感と引き換えに、罪悪感が深く、重く沈んでいく。
あのあといつヤヒロが戻ってきたのか知らない。いつもは朝、一緒に食堂に行くけれど、ヤヒロを置いて先に行くことにした。ヤヒロの寝息が聞こえる。ヤヒロは目覚ましだけじゃ起きられなくて、いつもシバが声をかけていたけど、今朝はカーテンも明けずに外に出た。
いつもよりだいぶ早い時間に来たけれど、食堂にはちらほら、生徒たちの姿があった。大抵二、三人のグループになって固まっている。ひとりでいることを不審がられないよう、できるだけ人目につかない席を選んだ。
ひとりで食べていると、時間の進みが遅く感じられる。一刻も早くこの場から立ち去りたくて、パンを牛乳で流し込んだ。
食器を返却口に持っていくとき、
「シバ?」
丁度ヤヒロがやって来た。
自分でも思っていた以上に狼狽えていたみたいだ。手を滑らせてトレーを落としてしまった。人が集まり始めた食堂に、大きな音が響く。
「シバっ……」
「いいからお前は先行け」
「でも」
「いいからっ!」
差し伸ばされた手を払いのけてしまった。
ヤヒロの顔は見ずに、逃げるように食堂をあとにした。
でも授業中は逃げられても、寮に戻ったらそうはいかない。
部屋のドアをあけたらヤヒロの姿が見えたので、思わずもう一度外に出ようとしたところ、
「シバ」
呼び止められてしまった。
「何か……避けてる?」
「別に。勉強してるみたいだったから、邪魔しちゃ悪いかと」
「嘘。何か僕、悪いことした?」
「悪いこと……っていうか、お前いつもあんなことやってんの」
「あんなこと?」
何も分かっていない風だった。
「夜に保健室で、先生たちと……」
そこまで言ってもヤヒロはまだ、きょとんとしている。しらばっくれているのだろうか。いや、ヤヒロにそこまで演技力があるとは思えない。
一体どうしたの、と問いつめられると、自分が見た光景は本当に現実だったのか疑わしくなってくる。
「いや、何でもない。ちょっと頭痛くていらいらしてる……かも」
そう言ってベッドの中に潜り込んだ。大丈夫、とヤヒロに声をかけられるより先に、布団を頭から被った。
でも自分は夢を見ていたわけじゃなかった。
それからもたびたび、ヤヒロは夜になると抜け出して保健室に向かっていた。
そして翌朝には、何事もなかったかのような顔をして部屋に戻っている。
首にひどい痣をつけてきたこともあって、あえて「それ何」と指摘してやっても、どこかでぶつけたのかな、なんて呑気なことを言っている。まるで寝たらすべて忘れてしまっているようだった。
首、絞められてたんだよ、先生に。
そう言ってやりたくなるところを、すんでのところで堪える。
教授の股間に顔を埋め、ヤヒロは教授のものにむしゃぶりついていた。ヤヒロの髪を、先生が鬼の形相でひっ掴んで離れさせる。倒れ込んだヤヒロの上に先生が馬乗りになる。その様を、教授は薄笑いを浮かべたまま見下ろして、何故か止めるそぶりもない。このままじゃヤヒロが殺されてしまう。もうバレてもかまうもんか、と、中に入ろうとしたところで教授がようやく先生を制し、しかし恐ろしいことを言った。
「どうせ絞めるなら、ナカに入れてから絞めてやったら」
狂ってる。
そんなことを平然と言い放つ教授も、嫌悪感を露わにしながら結局それに従う先生も、首を絞められながらも射精しているヤヒロも。
気持ち悪い。
そんなヤヒロにふれたいと思ってしまう自分が。
朝、洗面所で顔を洗っているヤヒロの無防備な背中を見た。この身体を昨晩、あんなに好き勝手させて。昼間の様子からじゃとても想像できない声を上げて。
たまらず後ろから抱きしめていた。
嫌だ。
さわられたくない。これ以上。他の奴らには。誰にも。
「わっ……何っ、急にどうしたの」
初めは冗談だと思っていたみたいだった。でもシバの本気を察すると、ヤヒロも本気で抵抗し始めた。
「やだ……っ、シバ、怖い……怖いよ……っ!」
何で。
あいつらはよくて、俺は駄目なんだ。
まだ、はっきり嫌いと言われて拒絶された方がよかった。そんな、清純ぶらないでほしかった。
叩かれた頬が、じんじんと痛い。
これ以上一緒にいるとひどい言葉を投げつけてしまいそうで、踵を返した。
ひどい言葉……いや、ひどいことをしてしまいそうで怖かった。
自分はこんな人間じゃなかったはずだ。そういうことに興味がないといえば嘘になるけど、わざわざ禁止されてるエロ本を持ち込んだり、携帯端末からエロサイト覗いてアカウント停止されたりしている同級生のことは馬鹿だと思っていた。そんなことくらいどうして我慢できないんだと。でもまさか自分が。
もういっそ寮の部屋を変えてもらおうか。でも何て説明したら……
そんなときだった。
「シバ君」
『教授』に声をかけられたのは。
口から心臓が飛び出そうだった。今まで自分がしていたことを、見透かされているんじゃないか。だからわざわざ、ただの一生徒の自分に声を掛けてきたんじゃないか。
いや、悪くない。自分は何も疚しいことはしちゃいない。あんなことをしている大人たちの方が悪いんじゃないか。
でも、予感がする。どれだけ正しいことを自分が訴えても、簡単にねじ曲げられてしまいそうな予感。
「君、ヤヒロ君と同室だったよね」
「そうですけど……」
「診察のあと、彼に薬を渡し忘れたことに気づいて。代わりに飲ませてやってくれないかな」
「いいですけど……」
小瓶に入った錠剤を受け取る。
「でも、こういうのって、直接本人に渡すべきものなんじゃないですか。コジンジョウホウ、漏らしちゃっていいんですか」
ちょっと揺さぶってやれないかと思った。でも「噂どおり、君は優秀だね」といなされて終わってしまった。
「そんなこと……。いや、優秀な……いい子ほど、何をするか分からないもんじゃないですか。僕がもしこれを勝手に使っちゃったらどうするんですか」
「シバ君。私はね、何の関係もない第三者に薬を渡したりなんかしないよ」
「え?」
「言っただろう。『代わりに飲ませてやってくれないか』って」
どういう意味か、問い質すのが怖かった。その意味を分かりたいようで、分かりたくなかった。そして確信する。このひとはとうに知っているのだ。自分がしていたことを。心のうちまで。
「ヤヒロに、というより、どちらかというと君に対する処方かもね、これは」
「仰ってる意味が分かりません」
「シバ君」
踵を返そうとしたところ、呼び止められる。
「大丈夫、そんなに慌てなくても。これで最後だから」
笑いながら教授が言う。一刻も早く逃げ出したかったのを見透かされて恥ずかしい。
「本当に困ったことになったときに使いなさい」
教授は手に何かを握らせてきた。ひらけて見ると、
「……鍵?」
簡単に握り込めてしまえるほど、小さな鍵だった。これは一体。
問い質したかったのに、今度は教授に先に背を向けられてしまった。
小瓶と、小さな鍵。
手の中に隠せてしまうほど小さなものが、ずんと重くのしかかってきている。受け取ってからというもの、もうそのことしか頭にない。どうしてこんなものを受け取ってしまったんだろう。
でも結局、捨て去ることもできないのだ。
一緒に食べよう、と、ひとりで夕食を食べているヤヒロの元に近づくと、ヤヒロはパッと顔を上げて微笑んだ。
可哀想なヤヒロ。
こんな自分なんかを、友達だと思い込んで。
「あ、シバ、今日デザート出てたよ。りんごゼリー」
「本当? 取り忘れてた」
「取ってきてあげる」
「いや、別に……」
「お茶取りに行くついでだから」
「じゃあ遠慮なく」
もう後戻りできない。
ヤヒロが席を立った隙を見計らって、コップに薬を入れる。
いつもより多くどうでもいいことを喋って、いつもより多く笑った。
部屋に戻ってしばらくして、効果は現れた。
バタン、と音がして、何かと覗き見ると、ヤヒロが机に突っ伏していた。
紅潮した頬、荒い息、薄くひらいた唇……
同じだ。あのとき見た光景と同じ。
心配するフリをしてヤヒロを支え、ベッドに寝かせる。嫌な汗でじっとりと手が濡れているのが分かる。
「シバ……」
濡れた瞳で見上げられた、と思った瞬間、引き寄せられ、くちづけられた。
「ヤヒ……っ、ん、んんんー!」
駄目だ駄目だ。でも、どれだけ抗おうと思っても、蟻地獄に吸い込まれるように、足元から持っていかれてしまう。抗う。いや……
抗う必要なんてないじゃないか。
初めからこれが目的だったくせに。今さら優等生ぶるな。
ヤヒロの頭を抱えるようにし、むしゃぶりつく。ヤヒロが一瞬苦しそうな顔を見せたが、かまわない。むしろその方がいい。知らなかった。自分の中にこんな獰猛な一面があったなんて。互いの唾液をすっかり交換してしまう勢いでくちづける。
「ヤヒロ……ヤヒロ……!」
早く自分だけのものにしたい。
ボタンを引きちぎる勢いでシャツを脱がせ、露わになった肌に舌を這わせる。愛撫、なんてもんじゃない。餌を貪る飢えた獣だ。それでもヤヒロは、感じ入った声をあげてくれる。薬のせいだとしても、嬉しくてたまらない。もっともっと、と、全身をまさぐる。
「駄目……また、また……おか、しくなる……な、にも考えられなくなって……」
「いいよ。おかしくなったヤヒロが見たい」
狭い部屋に充満する熱気。自分のものはもう痛いくらいに張りつめている。
「脱がすよ」
「ん……」
ヤヒロのズボンに手をかける。ヤヒロの腰が誘うように揺れている。
下着を下ろし……
覗いたものが一体何なのか、一瞬分からなかった。
性器を覆っている硬質のもの。
おそるおそるふれると、カツン、と、弾き返される。
無理矢理下に引っ張られた性器が、そのケースの中に収められている。先端には穴があいていて、そこから透明な液体が溢れてきているのが見えた。
「ヤヒロ、これ、って……」
「ごめんなさい……」
「ヤヒロ……?」
「我慢できなくてごめんなさい」
そこにいたのはもう、いつものヤヒロじゃなかった。
ごめんなさい、ごめんなさい、と、幼い子のように繰り返す。取って。これ取って。お願い、イかせて。
これは貞操帯だ。射精を禁じるもの。こんなものをどうして。
「ヤヒロ、これ……何、どうして……誰が一体こんなことを」
ヤヒロはそれには答えず、嫌々と頭を振る。
パンパンに腫れた性器が窮屈に押し込められているのを見ると、こっちまでつらくなってくる。そうしている間にも、またとくん、と、透明な液体が流れ出る。
「ごめんなさい……こ、んな、やらしいからだで……」
「ヤヒロ、謝らなくていい。今楽にしてあげるから」
しかしどういう構造になっているのだろう。根元には鍵がついているし。鍵……
カチリ、と、鍵の回る音が脳内で響いた。
あけてはならない鍵。
引き出しをあけ、教授から貰った鍵を取り出す。鍵穴に差し込むと、何の抵抗もなく鍵が回った。
露わになった、ヤヒロの性器。思わずごくん、と生唾を呑み込んでいた。手を添えてやると、待ちきれなかったようにヤヒロは腰を振り始めた。
いつもやっていたのか。こんなことを。
「あっ……あっ、あ……」
滑稽なほど必死に腰を振って、快楽を貪ろうとしている。ぬちぬち、と、粘着質な音が響く。
ぎゅっと握り込んで擦ってやると、あっという間にヤヒロは達した。ひとがイくさまを、こんなに間近で見たのは初めてだった。どうしていいか分からず、溢れた液体を再び塗りつけるように弄っていると、また鼻にかかった声を上げてヤヒロが腰を振り始めた。
こんな姿を、他の奴らにも見せていたのか。一体何人と……?
股の間に中途半端に置き去りになっていた貞操帯を抜いたとき、貞操帯から伸びている棒が、尻の穴まで繋がっているのに気づいた。おそるおそる引き抜く。棒の先端には玉のようなものがついていて、引き抜くとき、その形に尻の穴が拡がった。抜いてしばらくしても、そこはひくひくと収縮している。眩暈がするほどいやらしい光景。窄まりかけていたところ、ヤヒロがおもむろに脚をひらいて両手で拡げてみせた。
「入れて」
「ヤヒロっ……何して……」
「入れて。早く。お願い。おかしくなっちゃう。早くいっぱいにしてもらわないとおかしくなっちゃう。お願いだから。お願いします……っ!」
「っ……!」
限界だった。
欲望のままに自分自身を突き立てていた。熱い。熱い肉襞が絡みついて、あっという間に持っていかれそうになる。こんな……なのか。この身体を、一体どれだけの奴らが弄んだんだ。
目を閉じた瞬間、涙が零れた。生理的な涙だと思おうとした。
もっと。もっと深く。もっと奥まで塗り潰したい。
脚を抱え上げ、限界までねじこむ。仰け反って、ヤヒロは喘いだ。あまりにも大きな声だったから、外に漏れてしまうかもしれない。きっと漏れているだろう。いや、構うもんか。
「はぁあっ……んっ……ああっ……あああっ!」
「気持ちいい?」
「気持ちいい……気持ちよく、なっちゃ、って、ごめんなさい。な、んかいもイっちゃって……ごめ、んなさい。いんらん、で、ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさ、ああっ……ああっ……」
「謝るな!」
余計なことを言う唇を、唇でふさいだ。上も下も、身体中から流れ出る液体すべて交換しているみたいに、ひとつになる。
「っ……ふうっ……くっ……ヤ、ヒロ……っ!」
ぎゅう、としがみつかれると、勘違いしてしまいそうになる。
まるで自分たちは本当に愛し合っている者同士であるかのように勘違いしてしまいそうになる。
「ヤヒロ……ヤヒロヤヒロっ……!」
「はぁっ……あ、あっ……」
でも自分がどれだけヤヒロを呼んでも、ヤヒロの方から呼びかけてくれることはなかった。ヤヒロの目には、きっと自分ではない『誰か』が映っている。
「っ……ヤヒロ、も、出、る……っ。出していい? ヤヒロのナカに出していい?」
腰に脚を絡めてきたので、それを返事だと受け取って、叩きつけるように射精した。もっと、とねだるように抱きついてくるのがたまらない。一滴残らず搾り取ろうとするみたいに、ナカがよりいっそう締まる。ふと見ると、ヤヒロの先端からも白い液体が溢れ出ていた。
「ヤヒロ……」
ぐったりとしたヤヒロを抱きしめる。次にヤヒロが目をあけたとき、『今』のヤヒロはもう、いない。何だかそんな予感がした。
深呼吸する。身じろいだとき、ごとん、と、貞操帯がベッドの下に落ちた。
どうして気づかなかったんだろう。
鍵を。
あけてしまって。よい結末になった物語なんて、古今東西、どこにもない。
湧き上がった不安を抑え込むように、さらに強く、ヤヒロを抱きしめる。