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児戯⑶

執筆:七賀

 

 


医務室に行ったけれど、ヤヒロさんの姿はなかった。これで三日連続だ。
がっかりして寮に戻ったイクミに、尚登は開口一番健気だね、と告げた。
「ヤヒロさんは最近外に行くことが多いからね。寂しいかもしれないけど、彼も色々忙しいんだよ」
内心舌打ちした。わざわざ言われなくたって、ヤヒロさんが忙しいことはよく知ってる。だって誰よりも有能で、誰よりも頼られているから。
誇らしい反面、厄介者に見られることも多い自分と比べてしまいブルーな気分になった。
「ヤヒロさんは今島の外にいるの?」
「さすがにスケジュールは把握してないけど……。お休みをもらうことは増えてるみたいだね」
ヤヒロさんがいない生活なんて耐えられない。苛立ちを抑えきれずうろうろしていると、尚登は苦笑した。
「思うんだけどさ、イクミ君。ヤヒロさんがいない島に君が留まる理由はある?」
ない、と即答した。
「でも、待ってれば絶対帰ってくるもん」
尚登は肩を竦めた。まだ微笑んでいる。
「今日明日の話じゃなくて、もっとずっと先の話をしよう。ヤヒロさんが、永遠にこの島にいる保証はないだろ?」
「それは……
間違いじゃない。教師の入れ替わりが多いことを考えると、彼もいつか自分が知らない場所に行ってしまうんじゃないか、という不安がある。
置いていかれるのは絶対嫌。でも二十歳になると大抵の子はこの島を出ていくことになる。自分も例外ではなく、ヤヒロさんと離れてしまうかもしれない。
「そんな深刻に考えないで。嫌になったらまた戻ればいい。俺とちょっとだけ、外へ遊びに行かない?」

なにかあった時に信用できる奴……じゃないことはよく知ってる。
でもヤヒロさんがいない島や学校に未練はなくて、大人になる前に一回ぐらい外を見ても良いかな、って思った。尚登が部屋にやって来てから四日目の夜、初めて定期船に乗った。大きな布に包まって、隠れながら外を眺める。
海は真っ黒で何も見えない。ただ島がどんどん小さくなるさまを眺めた。シルエットだけだと絵本に出てくる鬼ヶ島みたい。今まであんな所にいたんだと思うとブルっとした。
何時間揺られたか分からないけど、眠くなってきた頃にに到着した。
「船酔いしないなんて強いね。車はどうかな」
尚登が偉そうに頭を撫でてきたので、子ども扱いするなと手を払った。俺はあの嫌な双子とは違う。
でも、大嫌いな尚登に縋り付きたくなるぐらい、外の景色は衝撃だった。とにかく人、人、人。大人から子ども、男から女まで無尽蔵に現れ、そして通り過ぎていく。
こんなに人っていたんだ。もう真夜中なのに街は明かりに包まれて、おびただしい量の車が信号待ちをしている。尚登の裾を掴んだら離せなくなってしまった。
「大丈夫? 迷子にならないようにしっかり握って」
すっかり怖気付いていたこともバレて、やはり外へ出てきたことを後悔した。街の景色は十分眺めたし、夜中もうるさいことがよく分かったのでもう帰りたい。
だけど尚登はこれから用事があるらしく、駐車場に停めていた車に乗ってしまった。尚登がいないと帰る足もないし、何よりルートも方法も分からない。あまりにも軽卒についてきてしまった自分を呪った。
諦めて尚登が運転する車に乗り込み、窓から見える景色を眺める。何もせずじっとしていると再び睡魔に襲われた。
「ふあぁ……
……
何でこんな事になったんだっけ。
今見ている光景は酷く現実的で、そして自分とはまるで縁がない夢物語のように思えた。
そういえば、尚登は自分を連れ出しておきながら弟は連れてきてない。何故なのか考えたけど、あいつがいたら絶対断っていた。まぁいいか、と瞼を伏せる。
光は徐々に閉じて、揺りかごのような温もりに包まれていった。

ヤヒロさん。誰よりも優しくて、俺を一番満たしてくれるひと。
彼がいるならどんな場所も喜んで行く。それこそ、あの暗く冷たい地下にだって。
でも……
「あっ!」
「痛あっ!」
体を起こそうとしたものの、額を思いきりぶつけて再び倒れる。訳が分からず痛みに呻いていると、すぐ横にいる男の人が同じポーズで悶絶していた。
「あぁびっくりした……君、大丈夫?」
男の人は額を押さえて、心配そうに覗き込んできた。
「何騒いでんだよ、クレハ」
「いやあ、布団が落ちてたから掛けてあげようと思って。それよりほら、起きたみたいだよ」
もうひとり男の人が現れた。……っていうか。
「ここは……?」
さっきまで車に乗っていたはずなのに、何故か知らない部屋のベッドで寝ている。しかも知らない人が二人も。警戒してわずかに後ずさると、二人の後ろから聞き慣れた声がした。
「イクミ君、大丈夫。彼らは俺の味方だから」
先程と変わらない尚登の姿を見て、悔しいけどほっとした。別に彼の味方が自分の味方というわけじゃないから、そこは頷かなかったけど。
「到着しても全然起きないから部屋まで運ばせてもらったんだよ。ここは……今は、俺の家。今日は遠慮せず泊まってね」
「尚登さん、俺達の紹介してくださいよ」
自分がいるベッドを囲うように、三人は目配せしながら会話している。何か気まずかった。
「はいはい。イクミ君、こっちの元気な方がクレハ。で、そこの静かな彼がサクヤだ。二人とも君の先輩だよ。俺より気が合うんじゃないかな」
「先輩……?」
「島の出身ってこと」
サクヤと呼ばれた青年が、抑揚のない声で答えた。
大人になって、外へ出て行った人。初めて見た。
「電話で言ってたお土産って彼のことですか、尚登さん」
「そう。可愛いから癒されたでしょ?」
「そうですね~! 俺はタイプです! 犯罪的な意味じゃなくて!」
和気あいあいと話す彼らを呆然と見上げる。全然話に入れなくてどうしようと思っていたら、尚登が手を叩いて二人の肩を押した。
「はい、じゃあ二人とももう帰って良いよ。長いことヒロトさんを見てくれてありがとう。明日の朝また来てね」
「ええ、 用済みってことですか。ひど……俺イクミ君ともっと話したいんですけど。なぁサクヤ」
……そうだね」
ヒロト。ヒロトって、ヤヒロさんやおじさんがよく口にする……
彼がここに居るのか。
訊きたかったけど、ぐっと堪えて会話の行方を見守った。壁にかかった時計は午前一時を指していた。次いで尚登が時計を見つめ、二人に向かって笑った。
「イクミ君は初めて外に出てきて疲れてるから寝かせてあげて」
「分かりました。行くぞ、クレハ」
「よし。じゃあイクミ君、また明日ねー」
二人が出て行って、今度は尚登と二人きりになる。てっきりなにか言われると思ったのに彼も出ていこうとした為、思わず声を掛ける。
「ねぇ、本当に寝るの?」
「寝た方がいいと思うよ。眠いでしょ?」
尚登は扉の近くにあるスイッチを押した。ダウンライトになり、彼の姿がぼんやりとしか見えなくなる。
「君の部屋に何日も泊まらせてもらったから、今夜は俺の部屋で寛いでね」
そう言って扉を閉めてしまった。でも、まだ現実味がない。それに眠気はすっかり吹き飛んでしまった。
寝返りを何度も打ったのち、結局起きてしまった。
扉を開けて廊下を進む。両側に壁が迫ってすごく窮屈に感じた。寮や学校の廊下とは全然違うな。
とりあえずトイレに行きたい。進んだ先にあったドアをとりあえず開けてみた。
思ったより広い。暗かったが、目はだんだん慣れてきた。左端から箪笥、窓、テレビ、……ベッド。
ベッドに誰か寝てる。
無意識に足音を殺し、枕が置かれている奥へと近寄った。
覗き込んで顔をよく見てみるけど、全然知らない男の人だ。暗がりの中でも光っている茶色の髪に手を伸ばした……その時、彼の眼瞼が動き、目が合った。