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Free City(2と4)⑵

 

執筆:七賀

※八束さん執筆Free Cityを読了の上お楽しみください


 

 

 

「司さん! これです、これ! 前に話した新作の宇治抹茶パフェ!」
「わ、すごい量。これひとりで食べるの?」
「まさか! もちろん、二人で食べるんですよ。さぁ入りましょう!」
手を引かれ、人で賑わうカフェに入る。休日の昼下がり、司は由貴と遠出して久しぶりに大きな街へ来ていた。由貴の家電量販店巡りが目的だったが、モールの中にある服屋も靴屋も本屋も、気になったものは結局全て立ち寄っている。由貴は少し目を離した隙に姿を消すので、正直今だけはリードが欲しかった。
買い物も一区切りついて、やっと休めるようだ。窓際の席に座り、由貴は抹茶パフェを、司はエスプレッソを頼んだ。天井にはおしゃれなシーリングファンが取り付けられていて、大きな窓は解放的な気分にさせてくれる。
八階から見下ろす街の景色は素晴らしかった。注文した後も由貴がメニュー表から目を離さないので、軽くつついて教えてやる。
「由貴君、こっちこっち」
「え? ……わあ! 壮観ですね~。これ、暗くなったらもっと綺麗かも!」
「向こうにバーもあったよ。せっかくだし夜まで待つ?」
「良いですね!  あ、司さん! パフェが来ましたよ……!」
それまで笑顔だった司は、店員が運んできた抹茶パフェのサイズに青ざめた。実物はどうも、外で見たサンプルより大きい気がする。
「え? 増量キャンペーンでもしてるの? 絶対外で見たやつより大きいよね、これ」
「え、そうですか? こんな感じだった気がしますけど……
いや、絶対違う。由貴は時々絶望的にものを見てない。いや見てるんだろうけど、好奇心というフィルターが邪魔をしてあらぬ幻想を見てしまっているのだ。
だがこちらの様子など意に介さず、彼はさっそくパフェスプーンで抹茶アイスを頬張っている。元々抹茶が得意ではない司はエスプレッソに口をつけて静かに眺めていた。
「あっ、司さんも食べてください。さすがに俺ひとりじゃ食べられませんよ」
「俺をアテにして頼んだの? 駄目だよ、他力本願は。由貴君の為に俺は今日だけ鬼になる。若い男の子ならこれぐらいペロッと食べられるだろうし」
「って言うけど、司さんも俺とそんな変わらないじゃないですか!」
由貴は全力で抗議しているが、中に詰められているアイスの量が半端じゃない。背もたれに寄りかかりながら周りを見ると、このパフェを頼んでいるのは自分達だけだった。男二人でパフェを囲んでいる、不思議な絵面だ。
由貴は涙目になりながら口元を押さえる。
「あー、早くも舌が痛いです」
「負けないで由貴君。もし全部食べたら、なにかひとつお願い聞いてあげるから」
「へぇ! わかりました。頑張ります!」
なんて単純なんだ。彼のそういうところは本当に好きだ。
しかしパフェを見てるだけで胸焼けしそうである。今度はエスプレッソをひと息に飲み、胸ポケットの煙草に指をかけた。
由貴はまだまだ時間がかかりそうだ。
「ねぇ由貴君。一服したい。って言ったら怒る?」
「すると、大の男がひとりで巨大パフェ食べてる滑稽な図が生まれて……俺は老若男女から影で嗤笑されます。恋人が知らない人達から笑われるなんて、司さん耐えられます?」
「大丈夫。由貴君童顔だから、高校生がひとりでパフェ食べてるようにしか見えない」
流れる沈黙。タイミングよく、周りの話し声も途切れた。何でこういう時ばかり静かなムードをつくってくれるのか。密かに苦笑していると、目の前の恋人も吹き出して笑った。
「じゃ、司さんが帰って来る前に食べきってみせます」
「ありがとう。健闘を祈るよ」
立ち上がって煙草の箱を翳す。でもなるべく早く戻ろう。彼のことだから、気持ちが悪くなっても泣きながら食べ続けるかもしれない。そんな大食い選手権みたいなことをしてほしいわけじゃない。


ラッキーなことに、喫煙所は同じフロアにあった。中には三人ほど、男性の先客がいる。司は静かに扉を開け、さっそく愛用してるハイライトをくわえる。その時、隣にいた男性が「あっ」と声を上げた。
知り合いだろうか。しかし見慣れた顔ではない。煙草をくわえたまま見返していると、彼は「すいません、覚えてないかもしれないけど」と付け足した。
「以前この街に来た方ですよね。駅前の通りで、俺の妻が貴方に迷惑をおかけしたことが……
……あぁ! あの時の……
静電気でも起きたかのように手が跳ねてしまった。
この街は仕事で一度来たことがある。そこで突然知らない青年に言い寄られたことは、衝撃が強過ぎて忘れられずにいた。
見た目は何もおかしくないのに、会って早々「抱いてください」と言われた。あんな経験、後にも先にもあの時だけだ。
しかし堂々と「自分の妻」と言い切るところに気恥ずかしさと、羨望の気持ちが綯い交ぜになった。今や地域によって同性愛結婚が合法化されてはいるが、実際に結婚の決断に乗り切る者は少ない。司も由貴を最愛の人と捉えてはいるが、結婚についてはまだ何も考えていなかった。
「奇遇ですね。俺は今日はオフでして」
「あれ、俺もです。もしかして、恋人さんと一緒ですか?」
いきなり核心をつく言葉を投げられて返答に悩む。しかし違うと言ってもまたどこかでばったり会うかもしれないし……、よく考えたら嘘をつく必要もない。
「えぇ」
「あぁ、やっぱり」
彼は人あたりの良い笑顔で煙草を灰皿に押し当てた。何がやっぱりなんだろう。
「お互い、恋人は吸わないタイプみたいですね。ところであの……奥さんは?」
「人混みが苦手で。屋上の庭園で休ませてます」
青年は上を指さす。そういえばここは空中庭園があった。
しかしあの時自分にぶつかってきた青年は、まともな精神状態に見えなかった。そんな彼をひとりにさせて大丈夫なんだろうか。
不安に思うが、他人の事情に首を突っ込んでもいけない。別の話題にシフトする。
「この街にお住まい……なんですよね」
「はい。一応、まだ新婚でして。世間知らずの妻なので、色々手を焼いてますけど」
世間知らず、か。それでいて、男の扱い方は慣れてそうだった。
ちょっと抜けてるのにエッチなことには積極的……って何か由貴君と似てるなぁ。
「それじゃあそろそろ行きますね。良い休日を」
青年はまた微笑み、軽く手を振って喫煙所を出ていった。
……
煙草の火を消し、彼の後を追った。一定の距離を保ち、エスカレーターに乗る。
もう一度だけ、あの情緒不安定な青年を見たくなってしまった。果たして元気にやってるのか。
確か四季と呼ばれていた、さっきの青年。去り際に手を振った時、手首にいくつか傷が見えた。腕時計をしていても隠せない大きな傷だ。自分でつけたとはどうも思えない。
庭園は、時間のわりに人の影がなかった。居たのはひとりだけ。四季は迷うことなく一点を目指して歩き、ベンチに腰掛けている青年に呼びかける。
「二緒。お待たせ」
「四季……
ずっと俯いていた青年は、四季の姿を確認するとすぐさま立ち上がって抱き着いた。公共の場で大胆な……と思ったが、他に彼らを気にする者はいない。
でも、自分は異様な光景だと思った。二緒は必死に彼に抱き着き、何度も名前を呼んでいる。まるで遠距離でずっと会っていなかった恋人が再会したときのような必死さだ。
この二人の関係は一体何なんだ……
二緒の姿が見られたら下に戻ろうと思っていたのに、観葉植物の影に隠れまま、呆然と眺めてしまった。
「四季、早く家に帰ろうっ……もう、外はいやだ……
「でも、少しでも外に慣れないと。ずっと家にこもってるのは体にも心にも良くないし」
切羽詰まって今にも泣きそうな二緒とは対照的に、四季は幼い子どもを宥めるような微笑みを浮かべている。それが何故かぞっとした。無意識に片腕をさする。
「それに二緒はどこだって、俺が居れば平気でしょ? どこでも気持ちよくなれちゃう、淫乱だもんね」
そう言われた瞬間……。魔法にかかったかのように、二緒の瞳から色が消えた。
代わりに、頬は熱を帯び、赤赤と変わっていく。
あぁ……。まずい。
「四季……っ」
人目も憚らず、とうとう二緒は四季にキスをした。誰か来たらどうするんだ、と第三者の自分がはらはらしてしまう。だが四季も意図して、奥の物陰に二緒を誘導した。これで誰か下から上がってきても、ひと目でバレたりはしない。
ただ二緒の淫らな声がどんどん大きくなるので、聞いてる方もくらくらしそうだった。
「あっ……四季、四季……ごめんなさい、こんな淫乱でっ……あぁっ」
「いいよ。だって、それが二緒だもんな」
一心不乱に謝る二緒を抱え込み、中を掻き乱している。
身体を繋げているわけじゃないと思う。恐らく指で彼を喘がせている。
それにしても異常な感じ方だ。二緒はやはり病に近い、セックス依存なのかもしれない。
でもそれならどうして、四季は楽しそうに笑っているのだろう。

 


甲高い叫びが聞こえたと同時に下りのエスカレーターに乗った。堂々と振り返ってみても彼らの姿は見えない。ふと仰ぐと、ガラス張りの天井は夕焼け色に染まりつつあった。
「司さん……見てください。全部食べました」
「すごいよ由貴君。君はやればできる子だって初めて会った時から信じてた」
カフェに戻ると、具合が悪そうな由貴が空になったグラスを前に差し出した。本当にひとりで完食したらしい。残していたら少し手伝おうと思ったのに。
「うっ……寒い……すごく寒いです。あと舌がものすごく痛い……やばい」
予想通り……と言ったら怒られるが、由貴がトイレに駆け込んだ為外で待つことにした。
「由貴くーん、大丈夫?」
「寒い! でも大丈夫です。でも、やっぱり駄目です。夜景はまた今度にして、家に帰りましょう司さん!」
由貴は今度は生気を取り戻した顔で戻ってきた。
彼の、表情をころころ変えられる技術は何気に凄い。尊敬しつつ苦笑した。彼の腰に手を添えながら先を歩く。
よく見てみると、カップルらしい同性の二人組が結構いる。もっと大胆にしてても良かったな、と肩を竦めた。
下りのエスカレーターに乗った時……。すぐ横の、上りのエスカレーターに乗っていた人物と目が合った。
獲物を見つけた、猛禽のような瞳。
「また会いましょうね」
自分にしか聞こえない声で囁き、その青年はすぐに背を向けた。隣にいる人物に向き合い、なにか話し始める。
反応を返す間もなく、エスカレーターは動き続けて距離を引き離していく。
下の階に到着したが、司はしばらく上りのエスカレーターを見上げていた。
「司さん? 何か……知り合いでもいました?」
異変に気付いた由貴が首を傾げる。もうどこにもいない、不思議な二人を想見し、司は首を横に振った。
「何でもない。……それより帰ったらいっぱい温めてあげるよ」
「えっ。あ、ありがとうございます」
露骨に顔を赤くする由貴の頬をつっつき、出口へ向かう。外へ出た途端、生暖かい風が吹き抜ける。強い陽射しは人の身体を突き刺し、夕暮れに染め上げていた。
まるで皆血を吹き出しているようで、何だか可笑しくて笑った。