「ああいう看板見るとゾっとするんですよ」
「どれどれ?」
両側に見えるは山、山、ひたすら山。ドライビングコースというわけではないが、走りやすい闇に包まれた道路。トンネルを抜けた先の分かれ道で一時停止した由貴は、無言で前方の一点を見つめた。
彼の隣、助手席に座る司もその視線に気が付き前を向く。そこには大きな縦方向の看板が立てかけられていた。
───死亡事故多発。
大方スピードの出し過ぎや不注意が原因の事故だろう。大して珍しくもないのに、隣の恋人はブレーキを踏んだまま微動だにしない。
時間は午前三時。走っている車は自分達以外に一台もいない。だから良いものの、こんな長時間道のど真ん中で停まるなんて迷惑極まりない。日中ならクラクションの大嵐だ。
ルームミラーで後続車が来ないことを確認しつつ、司は由貴に問いかけた。
「死亡事故……は確かに怖いよね。でも気をつければ大丈夫だよ。それに由貴君は普段から安全運転じゃない」
由貴の顔は白い。前を向いたまま、抑揚のない声で答えた。
「俺が怖いのは事故じゃありません。幽霊です」
「…………」
今の君も幽霊みたいな顔してるよ、と言いかけ、再びルームミラーに視線を戻す。司は軽く肩を竦めた。
二人でFree
Cityを出てから一年が経った。今は由貴の生まれ故郷に身を置き、ひっそりと、しかし満たされる生活を送っている。今の生活を死ぬまで続けるのも良いが、結局のところ由貴と一緒ならどこに移り住んでも構わないと思っている。彼が傍にいるならどんな場所も楽園と化す。
元々この世界は地獄なのだ。光をもたらしてくれるのは他でもない、生きてる人。家族や友人、由貴のような恋人。
そんな大切な存在……恋人の為なら何だってできる。深夜のドライブだって喜んで付き合おう。
しかし、第三者に伝わりにくい問題で長時間立ち往生するのは如何なものか。彼はいつまでブレーキを踏んでるつもりなのか、自分はいつまでルームミラーを監視しないといけないのか。足踏み式ではないので、いっそサイドブレーキを引いてしまおうか……と焦れったく思い、首を横に振る。死亡事故多発の現場でそう長居したくはない。
長居……。あぁ、そうか。
「こういう場所は幽霊が出そうだよね」
ぽつりと呟くと、由貴はゆっくりこちらを向いた。全く、彼の方がよっぽど恐ろしい。
「よくあるじゃないですか。死亡事故が起きた現場を動画で撮ってる時に、良くないものが写りこんじゃうの。俺深夜に走っててこういう看板を見ると、事故よりも近くに幽霊がいるんじゃないか、ってことで取り乱すんです」
運転席を陣取りながら取り乱すなんて言わないでほしい。昔運転しながら「大丈夫……きっと大丈夫……」とぶつぶつ呟く知人を思い出した。助手席に座ってる時、本当に怖かった。
「由貴君、おばけとか苦手なんだ。初耳」
しかしそれなら廃道や心霊トンネルの方がよほど恐ろしい。便利な抜け道だと思ったら実は地元じゃ有名な心霊スポットだった、というのはよくある話だ。走り屋やオブローダーなら徹底的に調べ上げているだろうが、自分達はそれほど道に詳しいわけでもない。
「う~んそうかぁ。もっと早くに知ってたらこの前のデートはお化け屋敷にしたのに」
「なっ、そんなの絶対嫌ですよ」
「じゃあ早く出しなさい。……って」
司は由貴の方を向いていたが、視線は由貴よりさらに後ろに移る。そして窓の外を見て目を見開いた。
「つ、司さん? どうしました?」
「由貴君、後ろ後ろ! 窓の外に白い服着た女の人が!」
「ええぇうそぉっ!!」
由貴は後ろを振り返ることをせず、ハンドルから手を離して頭を抱えた。直後、司はサイドブレーキをかけた。
「あははっ、嘘だよ。もう、由貴君ってば本当に可愛いんだから。でもこれ以上立ち往生するなら一回降りて、俺と席変わってもらおうか」
「すぐに出します」
スイッチが入ったように由貴は顔を上げ、ギアをドライブに戻した。やはり車が来る様子はなかったので、ゆっくり道なりに進む。
司は頬杖をついて由貴の横顔を眺めた。
「……すみません」
何か言おうと思ったのだが、何か言う前に謝罪の言葉が飛んできた。
「昔っからホラーとか苦手で、周りに馬鹿にされてたんです。非科学的だって自分でも思うけど、幽霊がいないなんて証明も誰にもできないでしょう。悪魔とか絶対いると思うんです。マジで悪魔はいますよ、これはほんと命懸けます。アメリカにもロシアにもブラジルにも悪魔は存在します」
「ふふ。で、何であそこにずっと停まってたの? なにか理由があるんでしょ?」
久しぶりに信号機が現れた。山道から順調に下りているようだ。
「独りの時は早く、早く行かなきゃって思ってめちゃくちゃ焦るんです。でも司さんが一緒なら平気かなって思って」
由貴は困ったように眉を下げた。
つまり一種の、一瞬の肝試しだったのか。
「俺は幽霊より落石や動物が飛び出してくる方が怖いけどなぁ」
「もちろんそれも怖いですけど……」
ぽつぽつと遠くで灯る明かり、民家、汚れた看板。町中へ戻ってきたようだ。
「でも良い証明になったね。あの感じだと、俺が怖がらせなければ一晩あそこで過ごせた」
「それはさすがに無理ですよ!」
「そう?
俺は君と一緒ならどこでも平気だけど。あ、さっきみたいに人に迷惑をかける場所を除いてね」
司は微笑み、由貴の膝の上に手を乗せた。
「君もそうだと嬉しいな。どう?」
「……っ」
由貴の膝がわずかに揺れた。口端を強く結び、なにか言いたげにしている。
少し経ってから、高い声で小さく呟いた。
「わかってるくせに……」