「あ、サービスエリアあるね。寄ろうか」
「え? あ、はい」
司がそう言うので、左手に見えた小さなサービスエリアの駐車場へ入った。時間帯のせいもあるが、停まっている車は疎らでどこでも停め放題である。
由貴は長距離を休まず走ることに喜びを感じる体質なので、いつもドライブは深夜から朝まで続く。小休止を挟み、手頃なホテルに入り、どこかで朝食をとって帰る、というのが定番のデートだ。
ちなみにホテルではもちろん“そういう”ことをするつもりで入る為、色々と準備はしてきている。今は同居しているし、家の方がずっと気楽で安全だと分かっているが、あの街にいる頃からの悪い癖だ。Free
City以外の場所なら、あえて活動範囲を広げていこうとしている。自分も司もまだ平和な毎日にスリルを求めている。
鳥の鳴き声も聞こえない。売店は全て閉まって、公衆トイレだけが青白い光に包まれている。司はフェンダーに手をついて煙草をくわえた。一服したかったんだな、と思ったが、普段ならホテルに着くまで我慢しているので珍しい。
由貴が煙草を吸わない為、車内で吸うことは絶対しない。その気遣いは嬉しいが、暇なので反対側にもたれて空を見上げていた。
空は少し白みだしているが、美しい三日月が未だ存在感を放っている。やはり夜に君臨するのは月だけだと思った。
平和な町で長く過ごすと辛いことや苦しいことを忘れそうになる。一見良いことの様だけど、その実、せっかく身に付けた教訓も忘れてしまう可能性がある。だからたまに月を見上げて、あの夜を思い出すのだ。
理不尽に痛い目に合ったことを。二度とあんな目に合わない為にはどうするかを。大切な人を守る為にも、忘れてはならない。
ふと横を見ると、司は煙草を携帯灰皿に押し付けていた。
「司さん、俺何か温かい飲み物買ってきますよ。何飲みます?」
自動販売機を指さして尋ねると、彼はうーん、と瞼を伏せた。
「俺も一緒に行く。でもその前にトイレ行っとかない?」
「あ、そうですね!」
どうせまたこれから走る。司の意見に何ら疑問を持たず、共にトイレへ向かった。
しかしその選択は、個室に押し込められてから間違いだったと気付いた。
「ちょちょちょ、司さん? どうしたんですか?」
隅に追いやられ、背中に壁が当たる。司は表情ひとつ変えずに扉の鍵をかけた。
トイレの中に人がいないことは窺えたが、車の中で寝ている人はちらほら見えた。彼らが起きて用を足しにくる可能性は十分ある。
ところが司は熱を秘めた瞳で由貴を見据え、顎を掴むと強引に唇を塞いだ。
「ん、ふ……っ」
そこまでたまってる様には見えなかった……けど、やはり思い直す。彼は感情と欲望において、まったく異なる動きをする。感情が昂ってる時はやたらと饒舌で、欲望が高まってる時はむしろ無口になるのだった。
山を下りランプウェイに入ったあたりから大人しいと思ったが、自分の知らないところで格闘していたらしい。
ちょっとで終わると思っていたら腰に手が伸びてきた為、慌てて制した。
「司さんっ、このあとホテル行くんでしょう?」
「うん。……そう思ってたんだけど、どうしようかな。ここでして寄るのやめるか、ここでしてからホテルでもう一度するか」
どのみちここでヤることは決定らしい。無邪気な顔で考えている恋人に久しぶりに恐怖を感じ、由貴は身を捩った。
ここは普通に寒いし、汚いし、せっかく彼と出掛けてたのにヤる場所がトイレなんてあまりに味気ない。
満点の星空の下でヤりたいとかではなくて、いくらなんでも酷いと思う。
星空……大自然の中……ん? やっぱりそれも野趣的で悪くないな。……いやいや、そういう問題じゃない!
「由貴君だって、すぐにできる状態でしょ? 準備してきてくれてるんだもんね?」
ズボンの上から尻の奥を指で押される。
「俺の為に」
内側に仕込んだローションがぽたりと垂れてきたことが分かった。
……この人は意地悪が妙に上手い。力が抜け、彼の胸にもたれかかる。一応下着の中にはぬれても構わないパットを仕込んでいるから問題はないが。
抵抗する間もなく下着とズボンを引き下ろされる。これだとズボンに垂れてしまう、と危惧した由貴に気付いたのか、司は下を全て脱がせて狭い物置きスペースに寄せた。
上半身はしっかり着ているのに、下は何も纏っていない。これはこれでとても滑稽だし、恥ずかしい。やっぱり普通に嫌で、さりげなく服を取ろうとした。しかしその手を掴まれ、無防備な前も握り込まれる。
「うん、恥ずかしがってる由貴君は何回見てもいい」
「意地悪……ていうか陰湿ですよ! いじめです!」
「俺がいじめなんてすると思う? ましてや可愛い恋人相手に」
彼も前を寛がせ、硬くなった性器を由貴の性器に擦り付けてきた。
「これをしたらもっと可愛くなる。って確信したことしかしないよ」
司は時々無鉄砲で、且つ豪快だ。穏やかな雰囲気の一体どこに大量のダイナマイトを隠しているのか未だに謎である。
「んっ、あっ、あぁっ!」
蓋をした便器の上に座らされ、由貴は脚を開いて喘いだ。司の性器を受け入れた穴は奥を突かれる度にくちゅくちゅといやらしい音を奏で、暗い床に滴り落ちる。
「大丈夫。ホテルに行ったら綺麗にしてあげる」
「うぅ……っ」
その時が待ち遠しいけど、今も捨て難い。彼と繋がってるこの瞬間が永遠に続けばいいのに、と馬鹿な妄想をしてしまう。
例えばこんな間抜けな状態で隕石が落ちてきたら、巨大なハリケーンがやってきたら、明日を迎えることもなく、自分と彼は消滅する。
繋がってる、という幸せな認識のままくたばることができる。それは悪くない。
司のことだから、彼もきっと同じことを言うだろう。
おかしな街を抜け出しても、始めからおかしな思考の持ち主だった自分達に変化はない。平和な日常に浸かって、これからも燻り続ける。
幸せだ。いつ死んでもおかしくない世界で、好きな人の傍にいられる。
いつ死んでもおかしくないのに……
とりあえず、“今日”は来てくれた。
「由貴君、ごめんね。腰大丈夫?」
ダブルベッドの上でうつ伏せをしている由貴を、司は心配そうに覗き込んだ。
「大丈夫です。あはは……」
もちろん嘘だ。ホテルに着いたらもうワンラウンドと思ったけど、歩くのが精一杯でそれどころではなかった。
結局運転も司に頼み、自分は後ろで横になっていた。いつかの夜を思い出して頭が痛い。
ホテルに到着して部屋を借り、すぐに二人でシャワーを浴びた。それは気持ちよかったが、出てからは身動きひとつ取れずに悶えている。気付けばとっくに朝日は昇り、健康な社会人なら出勤している時間だった。
「海の近くでも走って、美味しい朝ごはんでも食べて帰ろうかと思ったんだけど……辛そうだからここで頼んじゃおうか」
「うぅ……はい」
あぁ、不幸だ。今すぐ麻酔を全身に打ってサッと立ち上がりたい。そしてシーサイドを走りたい。海鮮丼食べたい。
頭の中だけ想像を巡らし、ホテルのモーニングセットを頼んだ。司は脇のテーブルで、由貴は行儀が悪いと思ったものの、ベッドの上でトレイごと頂いた。
「いつもやり過ぎちゃってごめんね。何でなのかなぁ……今日は抑えようって頭の中で何回も念じてるのに、始まると全部忘れちゃうの」
「あ……ああ~、分かります。大丈夫です、俺もそんな感じだから」
要は、入れる方と入れられる方の苦しみの違いである。この溝だけは決して埋まらない。どれほど愛を交換しようと分かり合えない痛みなのだ。
けど、我を忘れるほど夢中になってくれることは素直に嬉しい。
取り乱してるのは彼も同じで、多分、これはまだまだ続いていく。
控えめに食事をし、何とか立ち上がる。司は無理しないでと傍へ寄ってくれたが、手を借りることはせず、頭だけ彼の胸に埋める。
心音が聞こえる気がする。聞こえたらいいな、と思ってさらに顔を寄せてしまう。
「……たまにはこんなデートも良いですね」
いつも同じではやはりつまらない。刺激を欲する性質はきっと死ぬまで変わらないから、多少無茶をしても良いと思えた。
そうは言っても、“同じ”夜なんてないけれど。
「寛容な恋人を持って幸せだなぁ」
「本当に思ってます?」
「思ってる思ってる。だって手放す気ないもん」
ぐっと抱き込まれ、唇を奪われた。
「一生。君は俺だけのひと」
自分に残された時間がどれだけあるのか、そんなことは神様しか知らない。
だから人は、あえて愚かな選択をすることがある。どうなっても構わない。一瞬でも永く、愛する人と一緒にいられるように……それだけを望んで、自由を手にする。
自由と時間は同じ場所に、例え仲違いをしても、最後は皆同じ家に帰る。光溢れるその場所で再び会えるから、人は死に向かいながらもしっかり歩くことができる。