執筆:七賀
思い出は美化されると言うけど、振り返ってみても人に話せるような輝いた出来事は何も無い。退屈で平凡な人生だった。
けど今は、退屈な日々というものがどれほど幸せだったかよく分かる。
唯一の癒し、八尋先輩に会えないこと、十波に女性用の下着を買いに行かされたこと、そこを宿敵の双子に目撃されたこと。……果ては、俺が腐男子だという噂が学校中に流れていること。主人公を奇襲しない限り存在を認識されない、生けるモブキャラのような俺が、今は全校生徒から注目されている。
「育海、お前はほんと情けないな。こういう時こそ堂々と顔上げて歩けよ。……おらおらどけ、腐男子様のお通りだ! 印籠は新作のBLドラマCD」
「だあああ! やめろ! つうかそれ俺のだろ!」
学校に着いた瞬間から数多の視線と格闘していたのに、隣にいる十波は追い討ちをかけるような真似をしてきた。傷口に塩を塗り塗りするその外道っぷりは俺が昨日見たゲイ動画、ゲスの心得に出てくる攻め役よりゲスい。
「この前お前の家に遊びに行った時に借りたんだよ。すごかったなぁ、後半はあっ……あっ……しか言ってなくてすげー暇だったけど。あれなら俺でも言える」
「や! め! ろ!!」
十波を全力で押しのけ廊下を進む。
先週俺の机に華やかなBL本が置かれていたことをきっかけに、腐男子であることが知られてしまった。もちろん知り合いには全力で否定したし、直央と依音の奸計だということも伝えたが、皆同情を交えた瞳で頷くだけだった。大丈夫、わかってる(誰にも言わないよ)、という瞳だった。
全然分かってないぞ。多分皆ウハウハで他のクラスの奴に言いふらしてるだろうし……友情なんてものはこの世に存在しないと学んだ。
「おっ! おはよう育海!」
「おはよう」
でも、クラスの皆がキモがらないのは幸いだった。
それに加え、八尋先輩と梶谷先輩の写真について噂してる人はさっぱり見なくなった。このまま時間が解決して、また前みたいに戻ってくれたら良いな。……もう八尋先輩も元気に学校に来てるみたいだし。
ピンチをチャンスに、という言葉が頭を過ぎる。一見最悪な状況だけど、実は少しずつ収束へ向かっているのかもしれない。
中間テストが終わったら体育祭だ。早く練習が始まって、俺の噂も忘れ去られるように祈ろう。
また地味だけど平和な日々に戻って、腐活動を楽しむんだ!
「ちちちちょっと! 何なんですか、一体!」
ところがどっこい、現実はそんな甘くなかった。
放課後、鞄を持って帰ろうとしたら生徒会と名乗る二人の三年生に捕まってしまった。詳しい話もなく生徒会室に連行され、鞄を奪われる。
「えーっと、一年の育海君ね。これは何?」
持ち物チェックと称し、三年の人は俺の鞄に入っていたBLドラマCDを翳した。この状況で鮮やかなピンクは正視できない。
ソファに座ったまま僕のじゃないですと小声で呟いた。茶髪の先輩はふ、と笑った。
「君のものじゃないの?
誰かに押し付けられたとか?」
反射的にぶんぶん頷く。すると、彼はCDを持ってドアの方を向いた。
「じゃあ職員室に届けて預かってもらおうか。君には刺激が強そうだし」
「いやそれは困ります!」
これも反射的だった。買ったばかりでまだ一回しか聞いてないCDを取り上げられては堪らない。立ち上がって追いかけると、もうひとりの先輩が可笑しそうに吹き出した。
「四季、いつまでふざけてんの」
「んー?
ふざけてなんていないよ。でも正攻法じゃないか」
はい、と簡単にCDを返してくれた。胸を撫で下ろし、大事に抱き締める。ていうか何だろう、この処刑の時間。俺ってそんなに悪いことしたのか。まるで万引きで捕まって尋問を受けてるみたいだ。
青ざめていると、青い髪の先輩が微笑を浮かべて覗き込んできた。
「俺達は会長に君を連れてくるよう頼まれただけなんだよ。でもこっちの彼が、あの噂が本当か確かめたいって言って聞かなくて」
「とか言ってるけど、二緒の方が気にしてただろ?」
あの噂って……俺が腐男子だということか。それを確かめて、事実だと知って、彼らは何をするつもりなんだろう。
知らない三年生というだけで既に怖い。鞄を持ってさりげなく後退ったけど、逆にソファに押し倒されてしまった。
今度は二緒と呼ばれた先輩を見上げる形になる。なんだ、この状況……。すごいデジャブを感じる。
「あ、あの……帰らせてもらえませんか?」
「ごめんね。会長が野暮用から戻るまではこのまま」
このまま!?
覆い被さられた状態で目を剥いた。先輩の襟がめちゃくちゃはだけて、胸の赤い実がとてもよく見えるのだ。しかも何かすごい尖ってる。あと良い匂いがする……。
思わず唾を飲み込むと、今度は太腿に股間を擦り付けてきた。
「ち、ちょっと!」
わかった。これは双子の時と同じ流れだ!
最近立て続けに貞操の危機に合っている為、恐怖と焦りも掻き立てられるのが速い。細い肩を押し返そうとするけど、何故か力が入らない。
「経験ある? ないよね、その反応は。耳まで真っ赤になっちゃってかーわいい。食べちゃいたい」
「いやいや! ……いやっ、そこは……っ」
首筋を甘噛みされる。気持ちいいっていうよりくすぐったくて震える。オメガバースならとても滾るシチュエーションだけど、どんなに脳内変換したところで自分には萌えない。
でも執拗に股間を擦られるとぞくぞくする。背筋から腰の辺り、いや、ほとんど尻……の奥まで、何故か力が入る。自分でもおかしいと思うけど、つい下へ手を伸ばしていた。
「ふあっ!」
甲高い声を上げた。一瞬自分が出したような錯覚に陥ったけど、実際に声を出したのは二緒さんだった。ちょっと横へずれて見ると、彼の背後に俺達を見下ろしている四季さんがいた。
「隠れておいたしてるのは知ってたけど、とうとう俺の前で他の男を誘うようになったんだ?」
二緒さんの熱い吐息が頬にあたる。ここからじゃ彼が壁になってよく見えないけど、ベルトを外す音が聞こえた。直後、いやらしい水音が響く。
「あっ……やだ、四季……冗談だって」
「冗談? ここ硬くしといて?」
また、彼の甲高い泣き声が部屋に響く。二緒さんは膝と手をソファについていたけど、力が抜けてほとんど体重を預けてきた。今度は潰されそう。
ていうか、関係ない一年を下敷きにして何おっぱじめようとしてるんだ。二緒さんは口で言うほど抵抗する気配がないし、四季さんは何だか怖いし……今すぐここを抜け出さないと大変なことになる!
「ほら、見てもらいなよ。一年の子に、二緒の痴態をさ」
「ん!
四季、や……っ」
四季さんは彼を抱え起こすと、何の躊躇いもなく下衣を引きずりおろした。今までは二緒さんの火照った顔しか見てなかったのに、いきなり彼の超プライベートな部分を目撃してしまった。
恥ずかしがってる彼を見るとこちらの羞恥心にも火がつくし、罪悪感が募る。見ちゃいけない、と慌てて片目を隠した(でももう片方の目はしっかり観察している)。
シャツのボタンまで外し、完全に前が丸見えだった。八尋先輩じゃないのに、何故か胸が熱くなってくる。
もっと見たい。彼らがひとつになる瞬間まで。
……って、そんなの無理無理!
「失礼しましたぁぁ!」
二緒さんがどいて自由になったので、鞄を拾い生徒会室から飛び出した。さすがにあの状態で追いかけてはこないだろう。脱出成功……とはいえ、何でこの学校はあんな変態がたくさんいるんだ!
「わっ!」
無我夢中で走った為、曲がり角で誰かと思いきり衝突してしまった。バランスを崩しかけたものの、咄嗟に腕を掴まれて引き寄せられる。
「大丈夫? ……廊下を走るなんて悪い子だね」
「す、すみません……」
ぶつかった相手は見るからに上級生だった。上級生に対し過度な恐怖を覚えているので、鞄を抱き締めぺこぺこ頭を下げる。
そのまま立ち去ろうとしたけど、中々腕を離してもらえない。どうして、と不安に思っていると、彼は眼鏡を持ち上げて微笑んだ。
「生徒会室から出てきたんじゃないの? 部屋で待っててほしいって伝えたはずなんだけどね、……育海君」
はぁあ!
嫌な予感がして後ずさる。もしかして、この人が二緒さん達に俺を引き止めるよう命令した……生徒会長。
「俺の名前は尚登。君のことは双子の弟からたくさん聞いてるよ。せっかくだからちょっと付き合ってね」
長い指が腰周りに伸びる。壁際に追いやられたせいで逃げるに逃げられず、ぎゅっと目を瞑った。
俺が腐男子だから、という理由だけじゃない。どう考えても俺以外の人も皆おかしいって!
悲痛な叫びは頭の中だけ反響し、育海が後にした生徒会室ではしばらくの間喘ぎ声がもれていた。