· 

腐男子育海の青春篇⑴

執筆:七賀

 

 

BL」という言葉を知る前から、男の子が仲良く並んでる姿を見るとどきどきした。
……
いや、むずむずした……か?
これがどういった感情に当てはまるのか、言葉では上手く言い表せない。ただ全身の先端が痺れた。ジェットコースターが急降下する一瞬前みたいな感覚だ。あ、分かった。「ぞくぞくする」だ。身体の内側をものすごいスピードで駆け巡っていく、例えサウナの中に居ても身震いするような快感。
初めて射精で快感を得た時にそれが分かった。俺は今まで同じ男に欲情し、頭の中でイッていたのだと。
男の裸を見るのが好きと言うより、男同士でイチャイチャしてるところを見るのが好きなんだ。もちろんそれは自分の中で消化し、人前では女の子が好きなフリをした。
「育海君、おはよう! 今日早いじゃん」
そんな俺だけど、実は最近悩みがある。
「おはようございます、八尋先輩!」
幼い頃から顔見知りの隣人、深海八尋先輩。誰に対しても優しくて、人見知りな自分をよく気にかけてくれた。小さい頃は友達がなかなかつくれなかったけど、彼が遊びに誘ってくれたおかげで世界はがらりと変わった。多分、性格も少しマシになった。ていうか、どもらずに話せるようになっただけすごいと思う。
昔は八尋兄ちゃんと呼んでいたけど、今は先輩だ。何故なら彼が恋しくて、同じ高校に進学したから。
一個上の八尋先輩はやっぱり皆から人気があった。同じクラスの水泳部の奴らはよく彼のことを笑顔で話している。
本当は自分も同じ部活に入りたかったけど、超がつくほど運動音痴の為泣く泣く諦めた。それに水泳部なんて露出度高い場所にいたら、間違いなく妄想のし過ぎでぶっ倒れる。仲間外れのような気分で嫌だったけど、そこはぐっと耐えた。
「最近寄り道してて、早起きなんです」
「寄り道? どこに?」
先輩は一歩詰めて俺の顔を覗き込む。うわっ、男なのに何この良い匂い。
ふわふわ思考が傾きかけたけど、慌てて首を横に振る。
それから通学途中の土手沿いで、雑草が生い茂る一角に向かった。
「あれ、どこだっけ……あ、いた!」
にゃあ、とか細い声が聞こえてほっとする。小さなダンボール紙を敷いた上で、一匹の子猫がこちらを見上げていた。
「わ、子猫だ!」
「この前ここを歩いてた時に見つけたんです。可愛いから飼いたいんだけど、親は駄目だって言うから」
コンビニのキャットフードを鞄から取り出し、猫の前に置いてやる。猫はもう一度鳴いた後、すごい勢いで食べだした。
「餌付けもしちゃいけないって分かってるんですけど、あんまりにも小さいから可哀想で」
「うん、衰弱するよりはいいよ! 育海君は本当に優しいね」
猫の前で屈んでいると、不意に頭を撫でられた。
……
何だろう、この感覚。すごい気持ちいい。ずっと昔もこうしてもらったことがあるような……
「俺、育海君も猫っぽいなーって思ってたんだ。だから懐かれてるのすごい納得」
「え~、猫っぽいんですか……
子猫に別れを告げ、学校へ急ぐ。先輩は可笑しそうに笑っていた。
「昔は人を警戒してたじゃん。でも心を開くとすごい懐いてくるところが猫みたいだなぁって」
顔が赤くなったのが自分でも分かる。普通に恥ずかしくてそっぽを向いた。
確かに緊張さえ解ければ誰とでも話せるけど、ずっと後を追っていたのは先輩だけだ。先輩にだけ甘えたかったし、甘やかされたかった。
……
なんて言ったらきっと引かれちゃうんだろうな。先輩はノーマルで、俺みたいな腐男子とは違う。
「せ、先輩。さっきの猫のこと、俺の親には隠しててください。勝手に餌あげてるってバレたら絶対怒られるから」
「当たり前じゃん。俺と君だけの秘密だよ」
鼻先に小指を差し出される。もう高校生なのに、先輩は俺を昔と同じ子ども扱いをしている。
でも強く言えないんだよなぁ……。息を吸って小指を組む。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ーますっ」
子どもみたいに約束して、小指を離した。こんな風にいつまでも、先輩と隣で笑っていたい。俺だけの先輩にしたい。
でも、それについても悩みがあった。ちょうど示し合わせたようなタイミングでそれが現れる。
「八尋、おはよう」
「あっ! 寛人先輩!」
さりげに先輩の腰に手を回し、自然体を装いわいせつ行為をしている。こいつが先輩を誘惑している最大の怨敵、梶谷寛人。やはりクラスの女子から大人気の三年生で、八尋先輩と同じ水泳部だ。だから彼らの繋がりはとても深い。
でも俺は八尋先輩と小さい頃からの付き合いで、その年月は一年二年なんてものじゃない。梶谷(先輩)に負けないだけの絆を持ってるつもりだ。
でも、彼はいつも不敵な笑みを浮かべて俺と先輩の邪魔をする。消えちゃえばいいのに。
「おはよう、八尋の隣の家の子だよね。ええと、育海君?」
……おはようございます」
思わずうげ、って言いたくなる甘い笑顔。男相手にも振り撒いてんのかって思うと、まったく腹立たしい。そうやってこの学校中の生徒を支配して、いずれは独裁者として君臨するつもりなんじゃないだろうか。
困ったことに、八尋先輩は彼に惚れている。
長い付き合いだから分かる。彼と話している時の先輩はやたら姿勢が良くて、声がワントーン上がって、全力で尻尾を振る犬みたいになるんだ。
こんなかっこつけただけの奴に惚れてる先輩も先輩だ。表面上は優しいから、きっと勘違いしてるだけだろう。
俺が先輩の目を覚ましてあげないといけない。梶谷(先輩)の本性を暴き出して、先輩をいやらしい手から守るんだ。

でも具体的にどうしたらいいのか、良案が思い付かずに苦しんでいる。八尋先輩が梶谷に失望して、離れていくのが一番良いんだけど……
そうだ! 梶谷の身の回りにBL漫画を置くのはどうだろう。八尋先輩はノーマルだから、梶谷の周りでそんなものを目撃したら相当ショックを受けるはずだ。梶谷のこれまでのわいせつ行為を思い出し、身の危険を感じて水泳部も退部するかもしれない!
もちろん梶谷が否定すればそれまでだけど、八尋先輩の照れた顔を見られる良い機会だ。
放課後、水泳部のロッカールームに忍び込んだ。たくさんの部員が帰っていく中、何故か梶谷と八尋先輩は絶対戻ってこない。これならベンチのどこに置いても良さそうだけど、いくらなんでも遅過ぎだ。不思議に思ってプールを覗くと、
「あっ……先輩、駄目……っ!」
八尋先輩の、女のように高い声が聞こえた。
プールの一角で抱き合う二人。上半身しか見えないけど、水面下で何かが起こっている。いや、起こった後……
泳ぎの練習もせず、ほぼ全裸で密着している二人の姿は異常の極みだった。
梶谷……やっぱりあいつは変態だった。今この現場をとり押さえて、二度と先輩に近付かないよう脅してしまえば……
「あ……っ」
ところが、下半身に熱を感じて壁に寄りかかった。まずい。……感じている。
「嘘だろ……っ」
二人がキスをして絡み合っている、その姿を見て欲情してしまった。信じられない。憎い相手なのに、大好きな八尋先輩を好き放題されてるのに、そのいやらしい姿に全身の熱が上がっている。日に焼けた肌に二つの赤い実。それを引っ張ったり捏ねたりして、梶谷はほくそ笑んでいる。先輩の敏感な部分、悦ぶポイントを把握した上での行為だ。対する八尋先輩は恥ずかしそうに身を捩り、水飛沫を上げていた。嫌そうには見えない。むしろもっと、と彼に縋り付いている。梶谷も、先輩の反応を見て楽しんでいる。
先輩はゲイだったんだ。しかも、もう梶谷とそういう関係……
惨めで悔しくて目頭が熱くなった。でも生でこんな光景を見ると思わなかったから、気付けば完全に勃起していた。先端から溢れ、下着がぬれた嫌な感触がした。
……ふぅ。そろそろ中に戻ろうか」
しかしその時、梶谷がプールから上がった姿が見えた。
やばい、戻ってくる……
力が抜けて、手に持っていたBL漫画を床に落としてしまった。しかし拾う余裕もなく、走る余力もなくて、一番奥のシャワールームに逃げ込んだ。
二人が隣のロッカールームに戻ってくる。股間が苦しくてジッパーを下ろした。声を殺しながら、彼らの声に聞き耳を立てる。
「あれ。これ、八尋の?」
「えっ! そんなわけないでしょ! ていうかBL漫画なんて一体誰が……
「ウチの部員かな。でもこんな所に堂々と落としていかないよね、普通」
彼らはBL漫画を見つけたようだ。当初の目的だけど、恋人同士なら何の効果もない。何もかも空回りしている。
……八尋、先にシャワー浴びておいで」
「え? あ、はい」
何個か隣の個室でシャワーの音が聞こえた。先輩が身体を洗っているようだ。
先輩がすぐ近くで、全裸になっている。その映像を思い浮かべたら、また熱が上がってしまった。しかもシャワーの音で全て掻き消されるからどれだけ扱いてもバレない。
先輩、八尋先輩……っ!
下着ごとズボンを下ろし、無我夢中で性器を扱いた。
今すぐ彼を抱き締めたい。そして抱き締められたい。でもそんなことできないから、頭の中で妄想した。
「あっ、あ、あ……っ!」
やばい、イク、イっちゃう……っ!!
先端に爪が当たり、勢いよく射精した。隠れてするオナニーがこんなに気持ちいいなんて知らなかった。仰け反り、口端から唾液を零す。
少し声を出してしまったが、シャワーの音で恐らく先輩には聞こえない。大丈夫だろう。
……
でも、それがまずかった。床を叩きつける水音のせいで、こちらへ来る足音も聞こえなかった。
見隠し用のシャワーカーテンが開かれる。目の前には、水着姿の梶谷先輩が立っていた。