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腐男子育海の青春編⑵

執筆:八束さん

 

 

「あああああくやしいくやしいくやしいぐやじいいいいいいいっ!」
 悪友の十波に貰……もとい押しつけられたバイブ型のクッションの頭……もとい亀頭部分をがじがじ噛んでも悔しさはおさまらない。
「あ、皮が剥けそう」と、こんなときに十波の冷静なツッコミはいらない。
「いいじゃん、普通じゃ絶対見られるはずもなかった愛しの八尋先輩のあられもない姿を拝めたんだろ?」
「だから余計に悔しいんだよ!」
「おかずにしてシコったことが?」
「シコ……
 ってねーわ。と嘘をついたところで、十波にはすぐバレてしまうだろう。
「悔しいんだよ」
「うん。さっきから聞いてる」
 と、言いながら十波は鏡から視線をそらさず、化粧にいそしんでいる。十波の趣味は女装。いわゆる男の娘、というやつで、SNSに上げては「女の子にしか見えなーい」とか「むしろ女の子より可愛いー」とかいうコメントを貰うことに血道を上げている。女の子みたいに可愛くなりたいけれど、男が好きなわけでも、男同士のいちゃいちゃが好きなわけでもないらしい。俺たちは、互いに互いの趣味が「分からない」と思いながらも、でも否定することはなく一緒にいる、腐れ縁だ。……いや、十波は「腐って」はいないけど。
「だって八尋先輩、すごいきれいだったから。八尋先輩をあんな風にさせられるのはやっぱりあいつなんだなぁっていうか……
「諦めるんだ」
「だって俺はどうやってもスパダリにはなれないし。俺が入ることであの美しい絵面を壊してしまうことが耐えられない! ぶっちゃけ俺は、自分の幸せなんてどうでもいいの。好きなひとが幸せになってくれたらそれでいいの。その姿を遠目で眺めているだけで尊いの!」
「へー」
「でもそれがよりによってどーしてあいつなんだ、ってこの葛藤分かるっ? 分かって! 分かれよ!」
「はいはい、分かった分かった」
「これからも八尋先輩とあいつがいちゃいちゃしてたらさー、きっと見ちゃうんだよ。その誘惑には勝てないんだよ」
「だったらもうひらきなおって楽しんじゃうしかないんじゃないの」
「そうする!」
「おお、どうしたどうした急に」
「八尋先輩はもう二次元の世界の住人だと思えばいいんだ! そうしたら傷つくことはないしむしろもっと好きにできる!」
 近くにあったノートをバッとひらけ、妄想を書き(描き)殴る。ため息とともに、顔は動かさないまま、十波が視線だけよこしたのが分かった。
 三枚目に及んだところで、不意に、にっくき梶谷の言葉が甦ってきた。BL漫画をこっちに向かって悠然と差し出しながら(それを素直に反射的に受け取ってしまったのも今となっては悔やまれる)、あいつは言ったのだ。

『現実の方が妄想より刺激的だっただろ?』

「ああああああああっ!」
 たまらず、今までのページをビリッ、と破ってしまった。十波はノーリアクション。本当にいいオトモダチだよお前は。
 見られた、という焦りと羞恥心とその他もろもろとで、あのとき自分が何を言ったかやったかもう頭真っ白で覚えていない。一刻も早くその場から逃げ出したかったのに、梶谷にシャワールームの端に追いつめられたときは、まさか口止めに犯されるんじゃないか、なんて馬鹿な妄想をしてしまった。
「今出て行ったら八尋にバレるよ。君も困るだろうけど、俺も八尋に余計な心配はさせたくないから」
 言い方がいちいち嫌味ったらしいが、そう言われると大人しくしている他ない。
 しかしこともあろうか、シャワールームで二人は第二ラウンドをおっぱじめたのだ。
「せんぱ、どうし……っ」
「んー? やっぱり最後までしたくなったから」
「最後まで、って、あっ……
 シャワーの音でも隠しきれない、ぐちゅぐちゅという水音が響く。それに八尋先輩の甘ったるい声も狭いシャワールームに反響して、いやらしさが二倍にも三倍にも膨れあがる。
(何なんだよあいつ……!)
 せっかくおさまっていたものが、また再燃してしまう。早く終われ、という思いと、いやもっと見ていたい、という思いとが綯い交ぜになる。育海の葛藤を、きっと梶谷は嘲笑っている。
「あっ……せんぱ……ひ、ろと……っ」
「気持ちいい?」
「気持ち、いい、です」
「誰にどうされて気持ちいいの?」
「ひろと……に、さわってもらって、気持ちいい」
「どこを? どんな風に?」
「な、んでっ……そんなわざわざ言わなくたって……
「聞きたいんだよ、八尋の口から」
 聞かせようとしているのが分かった。梶谷は育海に、聞かせようとしている。
「ひろと、の、指で、お尻の中擦ってもらって気持ちいい……
「こんな風に?」
「やっ……拡げ、ないで……っ」
「勝手に拡がっちゃうんだけど。まだまだ足りない、って言ってるみたい。もう一本欲しい?」
「ああっ、やぁっ、やだっ……
「ほら、何本入ってる?」
「やらぁ……
「やだ、じゃなくて、言って? 言わないとずっとこのままだよ」
「さんぼん……寛人の指、三本、入って、いっぱいになってる……あっ、そこっ、それ以上、擦っちゃ駄目っ、駄目だからぁ……っ!」
 聞きたくない聞きたくない聞きたくない!
 あの八尋先輩が卑猥な単語を口にして、梶谷を「寛人」なんて呼んで、語尾にハートマークついてるみたいな喋り方して、腰をくねらせているだなんて信じられない。信じたくない。そしてそれに自分が煽られてしまっているということも、信じられない。
「どうして駄目? 気持ちいいんだろ」
……び、じゃなく、て」
「ん?」
「指じゃなくて。……寛人の、で、イきたい」
「俺の、何?」
……っ、意地悪っ」
「だって言ってくれなきゃ分かんないよ」
……ん、で」
「もっと大きな声で言って」
「寛人のおちんちんでお尻ん中いっぱい擦って気持ちよくしてほしい」
「よく言えました」
 ああああああっ! 知ってるー! この展開BL漫画で知ってるー!
 興奮のあまり、ぶちんっ、と血管が切れたんじゃないかと思った。梶谷があからさまに『そういうの』を意識しているのが分かった。しかし後ろに罠があると分かっていても、目の前にちらつかされた餌に食いつくことを止められない。
「あああっ」と、八尋先輩がひときわ高い声を上げた。ぱちゅん、ぱちゅん、と、肉のぶつかりあう音がなまなましい。
「ああっ、寛人の、奥……っ、奥まできてるっ」
「すごい、吸いついてくる。いやらしいなあ。ここに入るものなら何だっていいんじゃないの?」
「違うっ……寛人のじゃなきゃやだ……寛人だけだからっ」
 八尋先輩は今にも泣き出しそうな声を上げて、梶谷に縋りついている。その背中を、梶谷が優しく撫でる。
「八尋のことを気持ちよくしてあげられるのは誰?」
「寛人……っ、寛人しかいない。ここ、も、もう、寛人の形になっちゃってるから。寛人じゃなきゃ駄目なのっ……
 そして深いキス。窒息するんじゃないかという勢いでキスしている。
「俺も。八尋じゃなきゃ駄目だ」
「寛人……好き……ぎゅっとして……もっとぉ、奥まで、いっぱいにして……!」
 腰の振りがいっそう激しくなる。八尋先輩が何か言っているが、ちゃんとした言葉になっていない。「せーえき」という言葉だけが、かろうじて聞こえた。
「ふっ、ううっ、うううーっ!」
 キスをしながら、二人が絶頂したのが分かった。はぁはぁと荒い息。さっきまでほぼほぼミュートされていたシャワーの音が、再び大きく響き出す。
(ひっ……!)
 二人が流したであろう液体が、育海の足元まで流れてきて慌てて片足を上げる。白い液体が排水溝に吸い込まれていったあとになって、あれが八尋先輩の精液なら、もうちょっとちゃんと見ておくんだったと悔やんだ。
 ようやく終わった、と、ほっとしたのも束の間、彼らはロッカールームでもいちゃいちゃして、育海が解放されるまでは結局一時間以上の時間を要していた。
……で、何で白衣なの?」
「あっ、ちょっ、十波勝手に見んな!」
 趣味を知られているとは言え、煩悩のままに書き散らかしたものを見られるのは恥ずかしい。
「これが八尋先輩?」
「分かる?」
「無駄に画力はあるからすぐ分かる」
 褒めるならもっと素直に褒めてほしい。
「で、何で白衣着せてんの」
「学生にすると生々しすぎるというかなけなしの良心が働いた。ザ・フィクション、だからな。だから保健室の先生設定。八尋先輩似合うと思うんだ、白衣。着てほしいな、白衣。いやむしろ裸に白衣がいいな。そしてお注射打ってほしい……
 はっ、と、盛大に鼻で笑われた。
「男の先生なんて嬉しくとも何ともねえよ」
「ほっとけよ」
「しかし深海先輩もこんなところでこんな奴にこんな妄想されてご愁傷様、だな」
「いいだろ、妄想はひとを傷つけない」
 十波の評価なんてどうでもいいが、でも設定はもうちょっとちゃんと練り直そう。というか、ザ・ノンフィクションのインパクトが強すぎて、あれを上回る萌え創作が今のところできる自信がない。
「確かに。妄想の方がまだマシかもな」そう言うと十波は、ずいっ、とスマホの画面を向けてきた。「盗撮よりも」
 そこに映し出されていたのは、八尋先輩と梶谷が……プールで抱き合っている写真。
「えっ……
 何で……これはまさしく『あの』現場の……まさか俺、無意識のうちに盗撮してしまったのか? いやいやそんな馬鹿な……
「なぁんか裏サイトで拡散されてるよ。どうやら目をつけていたのはお前だけじゃなかったみたいだな。週明け荒れそうだね。どうすんだかね、先輩たち」
 何でだろう。
 嫌だったはずなのに。
 八尋先輩に近づく梶谷を見るのは嫌だったはずなのに。
 でも何でだろう。
 引き離されてほしくないと思い始めている。