執筆:八束さん
十一月中旬に戻ったような暖かさでしょう、と昨日の天気予報で言っていたのに、裏切られたような寒さだ。
本当はもう少し余裕を持った形で会いたかったのに、寒さから逃げ込むように寛人さんの車の助手席に飛び込む。
「寒ーっ!」
「大変だったね、バイトお疲れさま」と、エンジンをかけながら寛人さんが言う。「ずっと外だったんだろ?」
「一応ショッピングモールの中なんですけど、でも入口の傍なんでドアが頻繁に開いてそのたび風が吹き込んでくるんですよ。だからほとんど外と変わんなくて。いいポジションは女の子に取られちゃうし。男が俺ひとりだったんで、問答無用って感じで」
「すぐに暖かくなると思うから」
よく考えたらここでずっと待ってくれていた彼の方が寒かったんじゃないか。なのにつらつらと愚痴ってしまって恥ずかしい。
大変、なのは寛人さんの方だ。ケーキ販売のバイトが大変だったのは、クリスマス当日という超繁忙期に自ら進んでシフトを入れたせいだ。ヤケクソのように忙しくしてやれと思ったのだ。寛人さんに二回、デートをすっぼかされた腹いせだった。いや、すっぽかす、なんて言い方はよくない。事前にちゃんと連絡はくれていたし、仕事なんだからしようがない。むしろ自分の方が予定を合わせるべきなのに、変な意地を張ってしまった。
静かに走り出す車。
きらびやかなイルミネーションで彩られた通りを駆け抜ける。時折流れ星みたいにスッ、と走る光があって、一体どういう仕組みになっているんだろう、と目を走らせて……
走らせて、いるうちに……
あれ……いつのまにか車が停まっている。何で……
っていうか……
やばっ、寝てたっ?
身体を起こしたとき丁度、
「起きた?」
と声がした。
「すみません……」
「まったく運転しがいがないよね。花より団子っていうか、景色より睡眠って感じで」
「すみませんほんと……」
一体どれくらい寝てしまっていたんだろう。すぐに寛人さんの方を向くのが恥ずかしくて、一旦左側に顔を向ける。寝ぼけた自分の顔と、窓の向こうには海。そしてクリスマス仕様にライトアップされた橋が見えた。赤、緑、白……と一巡したとき、窓ガラス越しに寛人さんと目が合った。
「しかたないね、ずいぶん疲れていたみたいだし」
「いや全然……そんなことは全然ないんですけど……でも何か、安心しちゃって……」
こういう時間が一番好きだった。どこか行ったり、美味しいもの食べたりとかそういうんじゃなくて、本音を言うならずっとここでこうしていたい。ここが世界で一番安心できる場所だと思う。包まれて、丸まっていたい。でもおそらく、このあとプランを考えてくれているであろう寛人さんの気遣いに水を差すようなことは言ってはいけない……
「八尋」
呼ばれて反射的に振り向いた瞬間、くちづけられていた。
えっ、と思い、状況を把握したのと同時に離れていく。
「な……っ、に、するんですか」
「何ってキスだけど」
「そんなことは分かっていますよ。何でこのタイミング……」
「すごく安直なこと言っていいかな」
「何ですか」
「したくなったから」
イルミネーションが一瞬消えて、ふっと影が落ちる。冗談にするか本気にするか、委ねられているような気がした。考えて考えて……ようやく口に出せそう、と、思ったのに、打ち寄せる波のようにキスされた。溺れる。
キスに没頭するフリをしながら、身体にふれてくる手の位置が変わってきたことに、そわそわしている。腰のあたりを這うてのひらが、シャツの下に滑り込んでくる。このまま流されていいんだろうか。どうせ抵抗なんてできやしないのに、往生際悪くそんなことを思ってしまう。
シャツをめくり上げられ、ズボンのジッパーを下ろされ、露出する面積が広がっていく。寛人さんの本気を感じる。
「ちょっ……と、待っ……」
「嫌?」
どうしてそういう訊き方をするんだろう。意地が悪い。
「嫌……って言うか、いいんですか、こんなとこで」
「誰もいないし。暗いから見えない」
「でも狭い……っていうか、よごしちゃうかもしれないし」
「何? よごすほど出すつもりなの」
「違っ……違いますけど、でも何か寛人さんがこんなところでこういうことするのが意外っていうか……」
見透かされるように、再びくちづけられた。今までで一番深かった。唇が離れたとき、きっと自分はひどい顔をしているだろう。
「嫌か嫌じゃないか、それだけ言って」
胸が大きく上下してしまう。ずるい。本当に。何て。ずるい、ずるい、ずるい。
「……嫌じゃない」
覆い被さられ、視界が寛人さんでいっぱいになる。きらびやかな外の光も届かないところに閉じこめられてしまった。
逃げ場がない。いつもより敏感にさわられているところを意識する。
嫌じゃない、なんて……
今さらながら、契約書をロクに読まずにサインしてしまったみたいな後悔がじわじわとこみ上げる。
動きは大胆なのに、微妙に一番感じる部分を避けてさわられているのが分かる。身じろぐたびシートがぎしぎし鳴るのがまるで、ねだっているみたいで恥ずかしい。ズボンはシートの下に落ちてしまった。シャツは腕に絡まっているだけ。ここまでくると逆にパンツを履いているのが不自然に感じる。なのになかなかふれてもらえない。このままじゃ染みができてしまう……という直前で寛人さんの手が中に入ってきて、思わずほっと息が漏れた。緩く扱かれる。このぬくもりが欲しかった。寛人さんにふれられることに慣れてしまうと、自分でやるやり方を忘れてしまうんじゃないかと思う。それこそ服の脱ぎ方から、すべて。
「んっ、ん……あっ……」
寛人さんは半分の力も出していない、たぶん。それなのにあっという間に昇りつめてしまう。
「やっ……も……出る……」
「うん、出して」
「でも俺だけ……なんて、やだ……恥ずかし……」
「ローションないから」
「え……?」
「だからいっぱい出して。そしたらそれ使って入れてあげる」
「う、そ……あっ、あ、ああっ」
ローションないとか……用意周到な寛人さんに限ってそんなことないと思う。でも言い返す余裕は与えられなかった。腹の上に白い液体が飛ぶ。……飛ばさせられてしまった。それを寛人さんがすくい取る。それを見ているだけで、次されることを期待して後ろが疼く。濡れた寛人さんの指が……しかしまた中心に戻る。
「何……何して、やっ……」
寛人さんの考えていることが分からない。イったばかりのペニスを、どういうわけかまた扱かれている。
「やだっ、寛人さん、もうや……っ、な、んで……っ、もう、出した、のに……っ」
「んー……、まだ足りないから、もうちょっと出そうか」
「な、んでそんな……もう無理っ、出る……ていうか、何か、変なの出、そう……っ」
気持ちいいのか何なのかもうよく分からなかった。寛人さんは口調も手つきも優しい。でもこの行為をやめるつもりはないということが分かって、軽く絶望する。
「駄目っ……駄目駄目っ、ほん……っとに、もうこれ以上は駄目だって。何か、もう、溢れて止まんなくなるからっ……!」
「いいよ、出して」
「よくないです……っ、だって……びちゃびちゃにしそう……」
「いいよ、いっぱい濡らして。よごしていいから」
「駄目、でしょう。だって……この車、新車じゃないですか」
「新車のにおい、嫌いなんだ」
「は……」
「だから八尋のにおいで上書きしてほしい」
「……変態」
でも、そういう自分が一番変態だってことも分かっている。
弱いところを重点的に責められて腰が跳ねる。落ち着き払った表情と、卑猥な手の動きとがまったく釣り合っていない。どうしてこんなことができるんだろう。
「やっ、あっ、あっ……もう駄目……っ」
何とか踏みとどまろうと思ったのに、
「いいよ」
寛人さんのひとことが、最後の留め金を外す。寛人さんにいいよと言われると、本当に何でもいいような気がしてしまう。
自分の身体が……呼吸でさえも……全部操られているみたいだった。気まぐれに糸を引っ張られる操り人形みたいに、身体が跳ねる。跳ねるたびにぴしゃぴしゃと透明な液体が散った。
「あ……あ、あ……」
もう終わった、と思っても、それはしつこく、長く続いた。寛人さんに見られてしまった。全部。腹に飛び散った液体が、脇腹を伝って落ちていく。内臓を引っ張り出されて、解体されてしまったみたいに、もう自分じゃ何もできない。
よごれるのもかまわず、寛人さんが覆い被さってくる。
「もっと見せて」
囁きが耳をくすぐる。
散々ぶちまけて、もう快感を感じる器官は摩耗してしまったと思ったのに、まだこんなところで気持ちよくなってる、と、耳に寛人さんの息を感じながら思う。
「もっと、って……」
これ以上どうなるのか、という恐れが、皮肉にもさらに快感を増幅させる。
脚を抱えあげられる。
先端が入口にふれただけで、ナカがきゅうっ、と締まった。いけない、と、慌てて力を抜く。
いっそ痛くしてほしい。痛みで恥ずかしさをかき消してほしい。それなのにこれが気持ちいいことだ、と、いちいち教えてくるみたいな、じれったい動きをする。結局自分から、あえて痛みを求めるように腰を揺らしてしまう。
「ど、うして……」
「ん?」
「ひろと、さんも、そのままじゃつらくないですか。大丈夫なんで、俺は、もっと激しくして、も……」
「プレゼントの包み紙をさ、ゆっくりあけるタイプなんだよ、俺」
「はい?」
いきなり何を……
「別れるよね、ビリッて破いちゃうひとと、シールから丁寧にあけるひと」
その言葉を再現するように、丁寧に抜き差しされた。
シラフじゃとても言えないようなことを、どうしてさらりと言えるのだろうこのひとは。
たまらず首根っこにしがみついた。
ここが世界のすべてのような気がする。
ここが世界のすべてだったらどんなに。
「俺は寛人さんにだったらビリビリに破かれたい」
ぐん、と奥まで突かれた。暖房は切れているのに、季節を間違えるような暑さ。寛人さんの汗がぽたりと落ちる。それが震えるほど嬉しかった。自分と同じ熱を共有してくれているのが、たまらなく。
一滴残さず受け止めたい。
行為を加速させるように、キスをする。
寛人さんの肩越しに、わなないている自分の脚。
暗闇の中なのに、サーチライトで照らされたみたいに一瞬、目の前が真っ白になった。今まで一番力をこめてしがみついた。全身の震えがおさまり、息が整っても、ずっと。流し込まれたものが接着剤になって、そのままくっついてしまえばいいのに。
「……ごめん、無理させたかな」
いつまでも離れないから不審がられてしまう。頭を優しく撫でられる。違う、そうじゃない、でも、上手く言葉にできない。
息はだいぶ整っていたけれど離れるのが惜しくて胸を大きく上下させる。
なかなか起き上がれないのを見かねて、寛人さんが身体を拭いてくれる。この瞬間がたまらなく好き。
ふと横に目をやったとき、鞄とコートの隙間から小さな紙袋が覗いているのが見えた。あれって……
寛人さんがこちらを向いたのが分かったので、慌てて気づかないフリをする。
せっかくおさまったはずの鼓動が、またばくばくと高鳴ってしまう。
どうしよう。
どうしよう、どうしよう、どうしよう……
視界がぼやける。わきあがった感情に押し出されるように涙が溢れて、耳まで伝う。心配されるのが分かったから、慌てて「違うんです」と手を振る。
「何か……幸せすぎて」
でも、寛人さんを誤魔化せないのが分かった。落ち着かせるように、促すように、頭をゆっくりと撫でられる。
「幸せすぎて……怖いんです」
「怖い?」
「何か今……寛人さんとこういうことになってる……ってのが、信じられなくて……。だって何か、全部……うまくいきすぎてる。こんな風になれるなんて夢にも思ってなかった。ずっと憧れてて……憧れてるだけで満足して……今でも信じられない。っていうか……全部、夢なんじゃないかって思う。いっそ夢の方がいいかな。だっていいことなんて、そんなに続かないじゃないですか。こんなにいいことばっかりで……こんなに幸せで……そのうち何か、ひどいしっぺ返しがありそうで……怖い」
「しっぺ返しされるようなことはしてないだろ。まだまだ……もっと幸せになれるよ。なっていい」
「……何か、ずっと、自分だけが幸せを独り占めしているような感覚があるんです」
「独り占めなんて……」
「馬鹿げた妄想だって分かってるんですけど、でも、パラレルワールド……っていうか、他の世界にいる自分に都合の悪いことは全部押しつけて、それで幸せだけを奪い取っているんじゃないか、って……そんなことをちらっと……思ってしまって……」
本当はここまで吐露するつもりはなかった。寛人さんに釣り合うひとになれるよう、子どもっぽいところは見せないようにしてきたつもりだった。案の定寛人さんはふっと笑って……
でも次の瞬間、真顔に戻って言った。
「それが何か問題でも?」
自分の言った言葉が、底のない穴に吸い込まれてしまったみたいな感覚に襲われた。
あらためて真正面に寛人さんを見て思う。
寛人さんって……こんな顔だったっけ……そういえば寛人さんとどうして付き合うことになったんだっけ……寛人さんのどこに……惹かれたんだっけ……
無意識のうちに、手をぎゅっと握りしめていた。
零れ落ちそうな何かを、食い止めるように。
「今ここにいる君が幸せでいられるなら、他の世界なんてどうなったっていい。むしろ君の感じているつらいこととか苦しいこととか、全部よその世界に押しつけてやりたい」
押しつけることができる、というような口調。寛人さんがそういうことを言うのが意外だった。
「だから君は堂々と幸せでいていい」
そっか……
抱きしめられる力が強くなるごとに、気持ちもまた、強くなる。ああ、そっか……寛人さんがそう言うのなら、そうなんだ。それが正しいことなんだ。何も不安に思うことなんてない。いつもと違うシチュエーションだから……だからちょっと、いつもと違うことを思ってしまっただけなんだ。
今は寛人さんが、一体何をプレゼントとして用意してくれたのか……
それだけを考えていよう。