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58〔夜が生まれる〕

執筆:八束さん

 

 

 

 実験に協力してほしいんだ、とコウヤに声をかけてきたのは、今までに見たことのない大人だった。
「実験……?」
 連れてこられたのは六畳ほどの白い部屋。中央に椅子が一脚置かれているだけ。
 座って、と促されたが、流石に素直に従うには勇気がいった。そこには座った者を拘束するベルトと、電気を流すようなコードがついていたからだ。
「大丈夫だ、君にはひどいことをしようってわけじゃない」
 そう言われて誰が素直に信じられるだろうか。
 しかし彼は着実に準備を進めていく。
「君には演技をしてほしい」
「演技……
 確かにそれなら協力できるかもしれない。コウヤは部活で演劇をやっていた。演技……自分とは違う誰かになれる、と思うと、どんな状況でもわくわくしてしまう。
 前のめりになったコウヤの前に、彼は一枚の紙を差し出してきた。台本……ではなかった。そこに書かれていたのは、こんな指示だ。

 75ボルト 不快感を訴えるが、余裕ぶってみせる
 100ボルト ちょっとだけ真剣な調子で痛がる
 120ボルト 本気で痛いと訴える
 150ボルト 大声で痛いと叫ぶ
 200ボルト 痛いと絶叫。身をよじって悶絶する
 250ボルト 死んでしまう、やめてくれと訴える
 300ボルト 無反応になる

「これって……
「君は今からこの椅子に拘束されて、電流を流される」
「えっ」
「フリをしてほしい」
「あっ……フリ……フリ、ですか……
「電流のレベルが書かれているレベルに到達したら、そのとおりの演技をしてほしい。レベルは必ずしも一番上にまでいくとは限らない。それは隣の部屋にいる子にかかっているから」
「隣の部屋……
 すると椅子に向かい合っている方の壁が、透明な窓に変わって、向こうにも部屋が続いていることが分かった。
 同じような造りの部屋で、やはり中央に椅子がある。コウヤと同じように拘束されて、でも彼は目隠しされて……そして全裸だった。
「えっ……
 一体これは何なのか……把握できないまま、モニタは75を表示する。促され、慌てて演技する。半信半疑だったけれど、本当に演技、でいいらしい。痛くも痒くもない。
「っ……あ、ピリピリする、けど……全然よゆー」
 コウヤの反応を受けてか、すぐにレベルが上がったので、今度は少しだけ本気で痛がりながら、隣の部屋の少年の様子を盗み見る。
 少年の手には聴力検査で使うときのようなボタンが握られていて、どうやらそれを押すごとに、電流のレベルが上がる……という設定になっている……らしかった。
 しかし彼は何であんな格好で……
 見てはいけない、と思う。
でもどうしても目がいってしまう。勃起している彼の中心に。そして彼が身じろいだときに見えた……後ろの穴にねじこまれているもの……
 彼は小刻みに身体を震わせ……それが、ボタンを押すごとに激しいものになっていく。思わず演技をするのを忘れてしまう。
「ああーっ、あっ、あ……
 感じて漏れる声も、痛みのあまり漏れる声も、あまり変わらないのだと、彼の声を聞いて知る。
「痛い痛い! ああちょっとこれマジでやばいんだけど、ああああっ!」
 真正面の彼も、激しく左右に頭を振っている。きゅう、と力が入っているつま先……
「もう嫌だ! もうこんなの嫌ぁ……
 嫌々と身をよじらせる彼の手から、ボタンが転がり落ちる。力を失って……というよりは、意志を持ってそれを手放したように見えたが、それを白衣の男が拾い上げる。向こうの部屋にも大人がいたのか。彼はそれをまた少年に握らせながら、言った。
「いいのか、ずっとそのままで」
 息も絶え絶えに喘いでいる少年の、勃ち上がっているそれに男はすっと指を這わせる。
「このままじゃつらいだろ。楽になりたいだろ。だったらボタンを押さないと」
「いや……
「ほら」
 彼の手を上から包み込むように、強制的にボタンを押させる。モニタのレベルが上がったので、コウヤは慌てて身をよじり、髪を振り乱して絶叫する。
「うあああああっ! 痛い痛いっ、やめてくれもうやめて!」
 激しく動きすぎたせいで、手足のベルトが擦れて痛い。でも……
「あっ……やあっ……後ろ……は、げしいっ……イく……イっ……!」
 そんな彼の声を聞きたくなくて……聞いてはいけないような気がして……死ぬ、死ぬ、と絶叫した。
「死ぬ、本当に……冗談だろ、やめてくれ……!」
「あ……ああっ……イく……
 そうむせび泣く少年に向かって、白衣の男は言った。
「イけないだろ。だってここ……止められてるもんな」
「イきたい……苦しい……出したい……出したいよぉ……っ!」
 天を仰ぎながら彼は喘ぐ。目隠しの下から、涙が溢れてきている。彼の根元にはリングが嵌められていて、それで射精を堰き止められているからだ。思わず自分の股間もきゅう、となる。あんなことをされてしまったら……
「取って……これ取って……イかせて……
「だったらボタンを押せばいい。そうしたらこれを外してやる。簡単だろ」
「や……それは嫌……もう……し、たくない」
「だったらずっとそのままだ」
「嫌……嫌っ、後ろ……止めて……さ、さわらないで、さわっ……あああ!」
 男の手が彼のものをゆっくりしごく。その瞬間、レベルが300になった。
……たくない、したくない……
 そして彼は絶叫した。

「もう誰も殺したくない!」

 えっ……
 しかし問いただすことは許されなかった。促されるままにコウヤもまた絶叫し、背もたれに体重を預けて、動きを止める。思うがまま快楽を貪り、絶頂し、痙攣する彼の足先が見えた。はぁはぁと荒い息はなかなか収まりそうにない。コウヤはいつまでこうしていればいいのかと思ったが、そのまま、と制される。
「あーあ、派手にまき散らかして。そんなに気持ちよかったか」
 白衣の男の声音が、そこでがらりと変わった。
「お友達を犠牲にしてイくのは」
「違……違う……そんなの……そんなのしたくない……したくない……
「でも結局ボタンを押したじゃないか。押さないこともできたはずなのに。押すと決めたのは君自身だ。君は自分が解放されるためなら他人を平気で犠牲にするんだな。もうこれで何人目だ?」
「ごめ……なさい……ごめんなさい……
「君が耐えないから犠牲者は増えていくばかりだな」
「だって……あんなの……我慢できない……
「我慢できない? それだけじゃないだろ。誤魔化せると思うなよ。本当は感じ始めているんだろ。他人が苦痛を上げる声にすら」
「違う! 違う、違う、違う!」
「ほら、君がしたことの結果をちゃんと見ろ」
 目隠しが外される。
 彼は……
 同じクラスの子じゃない。でも覚えがあった。全校集会のとき体調を崩して倒れた彼を、医務室まで連れて行ったことがあるからだ。
 ごめんなさいごめんなさいと彼は泣き叫ぶ。
 違う。違うんだ。俺は死んでなんかいない……
 思わずそう言いそうになる気配を感じてか、少年からの視界を遮るように、前に立ちはだかられる。
 実験……? これが、本当に……
『君には』ひどいことをしない、と言われたその意味がようやく分かった。
 こんなの……拷問じゃないか。
「生きている価値なんてないな」と白衣の男が吐き捨てる。
「死にたい……死にたい、死なせて、お願い、もうこんなの嫌だ、死なせて!」
「でも生きている価値なんてない、というのと、死んでいい、というのとは別だ」
 猿轡をかまされ、鎮静剤……だと思う、多分……を打たれ、ぐったりした彼がどこかへ連れ去られていく。状況を理解する間もなく、
「というわけで」
 目の前の男が言う。
「というわけで、君は死んだことになったから」
「えっ……
「部屋の荷物はまとめてある。明日の連絡船で、誰にも見つからないよう出て行ってほしい。ひとめにつかないルートを用意する。事務手続きはすべて整えてあるから、このことは誰にも言わないように。誰にも。もし漏らしたら、君も『ああ』なるかもしれないから気をつけて。お役目ご苦労様」
 ああ……
 どうやら自分は『施設』から不要と判断されたらしい。
気がつけばいなくなっている生徒がいる……というのは知っていた。そういう生徒の大抵は病気がちだったり成績が悪かったり素行不良だったりしたから、たいして気に留めることなく闇に葬り去られていた。でも、そうか、知らない間にいなくなっている、生徒の中にはもしかしたら……

 あれから十年以上経った今でも思い出す。
 彼は今、どこで何をしているのだろう。
 果たして無事なのか。それとも……
 そして彼は一体いつまで、あのボタンを押し続けたのだろうかと。