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7010〔七〕①

執筆;七賀

 

 

 

果てしない水平線に、島の全景が見渡せる学校の屋上。瞼を閉じるとどこからともなく子ども達の笑い声が耳に入る。島に出入りする青年、尚登はこの場所を密かに気に入っていた。
学校に併設されている学生寮の外周は賑わい、青空の下で生徒が楽しげにはしゃいでいる。外がどんな世界か知らない彼らは、閉鎖的なこの島が地上で唯一の楽園だと思って暮らしている。
外に興味を抱かず、自分のことすら知ろうとしない。子どもの純粋無垢な心は、無知という愚かしさを常に孕んでいる。
時折だが、その無知こそ計り知れない狂気に感じることもある。
今はただ仲の良い友人と過ごし、知識と常識を身に付け、大人になるのを待っている。身寄りのない彼らには過去も未来もないが、同時に希望も絶望もない。煌びやかな希望を与えなければ、絶望だって無いのと同じだ。認識させなければ、人は一定した感情のまま生きることができる。
強くなれと言うわけじゃない。心の波をしずめれば良いだけだ。
できれば、ここにいる子ども達にはそうであってほしい。初めから希望のない世界で、わざわざ絶望してほしくないのだ。
弾を見つけては外から連れてきて、この島に慣れさせる。そして強化させてからまた外へ連れていく。そんな流れ作業を長年続けている。
子ども達の斡旋業者として初めてこの島に降り立った時のことは今もよく覚えていた。無秩序で、非科学的で、非人道的な空間……こんな場所を見たのは国内では初めてのことだった。否、地図には載っていないからここもある意味「外国」なのだろうか。
平和で健全な島国。そのずっと地下では、今日も誰かが実験台に横たわる。
「こんなところで横たわったら服汚れますよ」
頭上に降り掛かった声で瞼を開ける。地面に横たわっている尚登を可笑しそうに見下ろす青年がいた。
「どうもヤヒロさん。いやぁ、空が青いなぁ……と思って、つい」
「ずっと目を閉じていたじゃないですか」
「あはは。月が綺麗、って言った方が良かったかな」
雲ひとつない空をもう一度見つめ、尚登は上体を起こした。その隣にこの島の医者、ヤヒロが腰を下ろす。彼も服が汚れることは気にしないようだ。白衣だから土の汚れは目立つのに……でも今さら言っても遅い。わずかな心配は噛み砕いた。
最近では、彼に会うのも楽しみのひとつだ。島の研究員達の中でも、彼はまた特別枠に入っているらしい。彼の存在そのものが、この島の秘密とでも言うように。
「ここは子ども達の笑い声がよく聞こえるので居心地が良いんです。すぐ船でとんぼ返りだからその前にリラックスしたくて」
「子どもがお好きなんですか?」
「年の離れた弟が二人いるので、扱いは何となくわかりますよ。可愛いし、大人よりずっと扱いやすいので、僕は好きです」
要は草食動物が好きということだ。大人として健全な回答ではない。しかし隣の青年は表情ひとつ変えなかった。ただ、否定も肯定もしない。
少しずつ分かってきたが、彼の場合、沈黙は否定の証なのだろう。そうでなければ例え嘘でも生返事をして話を合わせてくる。だから無言は反発なのだ。
ここで働く大人達も非情さを合わせ持ち、不必要な交流や情報開示はしてこない。何人もの子どもを引き渡し、連れ去る尚登ですら時々薄ら寒さを感じる。高い能力の子どもを育成する傍ら、性産業も回しているこの機関の仕組みは理解できなかった。
尚登は確実に依頼をこなすことで上層部から信頼を勝ち取っていた。そのため他の業者と違って島での行動範囲に制限がない。いつでも施設の裏側を、島の地下へと潜りにいくことができる。まともな人間なら強い嫌悪感を抱く、違法の実験や新薬開発をしている場所だ。……そこで時々、この青年を見かける。毒気が充満している気がして、地下では無駄に空気を吸いたくない。だから言葉は交わさないが、目が合うと彼は必ず微笑む。
他の大人達よりも社交的で人間的で、温厚。だか無色透明の刃が剥き出しになっているような印象を受けた。うっかり触ったら怪我しそうだ。

気をつけないといけない自覚がある。不思議と、昔から危険なものに手を出そうとする悪癖がある。危険というか、モラル的にいけないもの。ルールは破る為にある、という稚拙なタイトルが常に頭の隅に飾ってあった。
どうして、どこの誰が決めたのか分からないルールを守らないといけないのか。
子どもの時から理解できず、理解もされず、協調することは諦めた。願わくば幼い弟達が、大人の身勝手な概念に毒されてなければいいのだけど。