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7010〔八〕2

執筆:八束さん

 

 

 

 それは今まで見たことのない表情だった。
 ようやくだ。皮膚をめくって粘膜を露わにするように。ようやく彼にふれられそうな……
 指をもう一本増やす。あっ、あっ……と、喘ぎが間断なく響いている。耳から犯してやるように、ぐちゅぐちゅと音を立ててかき回す。
「優しくされて感じちゃいますよね? でもそれは悪いことなんかじゃないですよ。昔はこんな風に素直に気持ちよくなってたんじゃないですか」
 おもむろに指を引き抜く。ひくひくと収縮するそこを、目で犯す。ナカから垂れてきたものがシーツに染み込み、収縮が収まりかけてきた頃、おもむろに息を吹きかけ、また指を、第一関節から沈めていく。
「目を背けないで。ちゃんと見ていてください」
 彼の嫌がることが手に取るように分かる。
 どれくらい繰り返したか分からない。もう彼は、すべてを諦めたようにぐったりしている。そこにきてようやく、自分のものを沈めていく。とろけきって……時間をかけて愛撫したからそう感じるのかもしれないが……自分のために誂えられたようなナカ。早く早くと急かすのを宥めるように、沈めきったあともしばらくは動かない。もう抵抗しない確信はあったので、縛っていた手をほどく。こちらの背中に手を回してぎゅっとしがみついてきたのは嬉しい誤算だった。
「初めて受け入れたときもこんなだった……? あなたの初めてを奪ったのはどんなひとだったんですか。どんな風にされたんですか。そのときのようにしてあげますよ」
 したい。見たい。このひとのすべてを。
……ト」
 一瞬、自分の名前を呼ばれたかと思った。
 でも違った。彼はうわ言のように繰り返している。ヒロト、と。ヒロト、ヒロト、ヒロトさん……
 確か前、好きなひとと名前が似ていると言っていたことが……
 そろそろ自分も我慢しきれなくなって、腰の動きを早める。
 彼の深くを知りたい。でもいざ知れると思うと急に怖くなって、彼の言葉を飲み込むようにくちづけをしてしまう。左でペニスを、右手で頭を撫でる。
 優しく……
 違う。これは優しく、なんかじゃない……
「ヤヒロ」
 耳元で囁く。
 自分の声は今、彼にはどう聞こえているのだろう。
『ヒロト』に彼は、そう呼ばれていたのだろうか。
 どくんどくんと……
 どちらが先にイったのか分からない。
 注ぎ込むたびに、安直だとは分かっているけど『塗り替え』らえているようで気分がいい。
 抜かないで……と、彼は幼い子のように繰り返す。抜かないで……抜かないで……行かないで……
「どこにも行かない。ずっと傍にいてあげる。ヤヒロ」
 ヒロト、ヒロト、と喘ぎながら、とろんとした目で見上げてくる。
「ヤヒロは本当にいい子だね。こんなにいっぱい出せた」
 腹に飛んだ液体をすくいとり、口に持っていってやる。だらしなくひらいたままの口。
「ヤヒロ……
 指先が舌にふれた、そのとき……
「痛っ……
 指を思いきりかまれた。ハッと見下ろした彼の瞳は、またれいの、ガラス玉のような瞳に戻っている。
「満足しましたか」
 突き飛ばされ、呆気なく結合が解かれる。
 彼はどこまで『正気』だったのか……
 呆然とする尚登を置き去りに、彼は衣服を身につけ始める。
「ヒロト……さんって言うんですね。前言ってた、名前が似てる、っていう……
 その後ろ姿を見ながら、あるひとつの考えが頭をよぎる。絶対彼を怒らせることができる言葉。
「前に噂で聞いたことがあります。ヤヒロさんも昔、ここにいたことがあるって。今ここにいる子どもたちと同じように」
 返事はなかった。バサッと白衣が翻る。
「ずっと前から違和感があったんです。他の大人たちとあなたはどこか違う。あなたももしかして……『作品』なんじゃないですか。ヒロトさん、の」
 振り向かないまま彼は言った。
「尚登さん、分かっていますか。あなたの弟さんは僕の管理下にあるんですよ」
 大切な弟だ。弟に万が一のことがあったら悲しい。それこそ大切な作品なんだから、壊されでもしたら困る。でも何故だろう。喉元にナイフを突きつけられているような状況なのに、ちっとも怖いと思わないのは。むしろ……
「ヤヒロさんこそ分かってないですね、俺がどうしてこの仕事をしているか」
 彼が後ろを向いている隙に、密かに彼の名残が残る針を、てのひらに収める。
 本当に欲しいものを手に入れたとき……前に言っていたように彼は果たして、死を選ぶのだろうか。そのとき自分は止めるのだろうか。背中を押すのだろうか。
 ただ、このひとが欲しいものを手に入れ、悶え苦しんでいるその瞬間……一番傍にいたいと、痛切に思った。