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執筆:八束さん

 

 

 

 放課後、施設の外の、使われなくなった納屋に向かう。昨晩はひどい雨で、気が気じゃなかった。元気でいてくれているといいけど……
 立て付けの悪いドアをあけると、にゃあにゃあと鳴き声が聞こえてきて、ほっとする。
「ナナ……!」
 よかった、無事だったみたいだ。
 手を伸ばすと、埃のかぶった戸棚の上で丸まっていたナナが、ぴょん、と飛び降りて、でも伸ばした手の方ではなく、あさっての方向に着地してしまった。何だよつれないな、と思っていたら、『ナナ』は出口のあたりでくるりとUターンして、戻ってきた。足と足の間を、八の字を描くようにじゃれついてくる。
「分かったよ、分かったから」
 隠し持っていた焼き魚……夕飯の残りだ……を差し出してやると、初めは興味ないという風にお尻を向けたものの、またくるりと戻って鼻をうずめた。そんなナナの様子を見ていると、思わず表情が緩んでしまう。
 一ヶ月前、消波ブロックに挟まれて身動きが取れなくなっていた子猫をたまたま見つけた。施設内でペットを飼うことはできない。見つかったら怒られる……いや、それ以上に恐ろしいことになるのは予想できたから、この納屋にかくまうことにした。
 一体どこからやって来たのか……今までどうやって生きてきたのか……。不思議なことは多かったけれど、ナナは飄々としている。
「いいなぁ、お前は自由で……
 そう呟いたあと、本当に『いいな』と思うのは、孤独をモロともしないところではないか、とも思った。ひとりでもたくましく生きていける……
 勝手なこと言ってんな、という風に、ナナの尻尾が揺れる。こっちはこっちで大変なんだよ、と愚痴っているようにも見える。
 いじめられているわけではないけど、友だちがいなかった。
 会話に混ざろうと意を決したときにはもう、友だちは別の会話に移っている……というようなズレが度重なるうちに、ひとと関わるのが怖くなってしまった。
 誰もいなくても生きていけるようになりたい。
 そう思ったとき、
……あれ、先客?」
「先生……
 納屋の扉があいて、誰か入ってきた。ぎょっとして振り向くと、そこにいたのは、メディカルチェックの先生だった。
 子どもたちが何かやらかすたびに『連帯責任』と称してクラス全体に課題を課す先生や、生活指導の先生じゃなくてよかった、と思いながらも、彼だって完璧に信じることのできる大人、というわけじゃない。他の先生たちに比べたら歳が近いぶん、『お兄さん』的感覚で親しみをこめて「ヤヒロさん」と呼んでいる子が多かったけれど、引っ込み思案な性格が災いして、自分はなかなかそんな距離感で行く勇気が出なかった。
……駄目だよ」
 そう、先生が言ったから、思わずナナをかくまうように後ずさる。けれどそのあと先生が続けた言葉は、思いもよらないものだった。
「猫は魚を食べる、ってイメージがあるかもしれないけど、味付けされてる、塩分の濃いものは避けた方がいいよ。ひとのように汗を出して塩分調節することができないからね」
 そう言うと先生は、猫缶を置いた。
「先生……
「前から気になってたんだ。誰か面倒見てるなぁって思ってたんだけど。まさか君だったとは」
「まさか先生も、ナナを?」
「ナナ?」
 しまった、と思う。自分だけの秘密にしておきたかったのに。でも先生にじっと見つめられたら、説明せざるを得なかった。先生の目は、不思議だ。前から思っていた。決して威圧的なわけじゃないのに、従わせられてしまう。
「背中にななつ……点々があって……だから……。ほら、丁度、北斗七星みたいに並んでるじゃないですか」
「ああ本当だ。いい名前をつけてもらったな、お前」
 先生がナナの頭を撫で、喉元をくすぐる。ナナはにゃあにゃあと鳴きながら、先生の腕に自ら顔をすりつけるようにしている。
 そのとき感じたもやもやを、何て言えばいいだろう。
 ずっと面倒を見てきたのは自分だと思っていたのに、先生にナナを取られてしまった……
 いや、違う。
 嫉妬心を覚えたのは先生に、じゃない。
 ナナに、だ。
 自分もあんな風に頭を撫でてほしかった。よしよし、いい子だね、と目を細めて見られたかった……


 気づきたくなかった。
 そんな願望が自分の中にあったなんて。