· 

〔2〕

執筆:八束さん

 

 

 

 腹に飛んだ精液をこねまわすようにしていた指を、おもむろに彼は口にふくんだ。たぶん、無意識のうちの行動だろう。ヒロトも同じように……しかしたっぷりの量をすくって、まだ彼自身の指が入っている口に押し込んでやる。すると彼はすぐに自分の指を口から離して、ヒロトの指を舐めることに夢中になる。
「おいしい?」
「ふ……っ、う……
「言って? ちゃんと言わないと分かんないよ」
 指を抜きかけると、「おいひい、おいひい」と繰り返す。息が指に当たってぞくぞくする。それにヒロトが感じている、ということに気づいていない純真さにもまた、ぞくぞくする。ちゅぽん、と不意打ちに指を引き抜いてやると、この世の終わりのような目で見上げてくる。大丈夫だって、と、視線だけで応えながら、でも、その軽い絶望をちょっとだけ長引かせてやるように間をおいたあと、まったく無防備になっていた乳首にふれる。
「ひあっ……あ、あーっ……!」
「ほら、同じようにやってみて。そう、指を濡らして……自分でいじって。両方の手でやってみて」
 乾いてきたら何度でも舐めて濡らすんだよ、と言うと、彼は健気に言われたとおりに繰り返す。
 溺れさせよう、と決意を固める。無言のうちに敏感なところを刺激してやると、舌っ足らずな声で「好き、好き」と繰り返す。気を抜くと激しい締めつけに、すぐに持っていかれそうになる。やばいな、と一旦腰を引くと、すぐにいやいやと首を振り、睨めつけてくる。
「やだ、抜いちゃやぁ……
「だったら君も、手を休めちゃ駄目」
「う……
「じゃないと入れてあげない」
 すると、そこまでやれと言っていないのに、ぎゅう、と強い力でつねったり、爪でひっかいたりし始めた。
「ヒロト……っ、は、やく……はやくほしい……
「じゃあ言って」
「え……
「欲しいものはちゃんと言葉に出して言わないと分かんないよ」
 戸惑いに揺れる瞳。でもそれも一瞬のこと。
「ほしい……っ、ヒロトの、あついの、おくにほしい……っ、だから、はやくっ……はや……あっ、あ、ああっ……
 言え、と強要しておきながら、弱いところを突いて、途中で言えなくさせている。でもそれを自分の責任と感じて、彼は何度も何度も、「ほしい、ちょうだい」と繰り返す。「おねがいだから、ちょうだい、ヒロト……いちばん、おく……っ、あ、あ……ヒロトのがあたってる……そこ、もっと、もっと突いて……もっと、ぐちゃぐちゃにして、ヒロトのでいっぱいにしてぇ……!」
 いいよ、いっぱい注いであげる、と耳元で囁きながら最奥を突く。
 いちばんおく。
 それよりもっと、深い奥。
 そこに辿り着く前に、息絶えていくものを感じる。

 施設で彼は自殺未遂を繰り返した。
 リストカット、オーバードーズ、首にタオルを巻きつけて……
 繰り返した、ということは、そのたびに死ねなかった、ということでもある。死にきれず、心にも身体にもいたずらに傷ばかり増やして、そしてとうとう、施設の外の海に身を投げた。しかし運よく(彼にとっては悪く、か……?)傍を通りかかった連絡船に救助された。
 三日間の昏睡状態のあと目覚めた彼は……
 自殺未遂を繰り返したことなどすっかり忘れてしまっていた。
 忘れさせた。

 これで最後にしようと思った性交渉のときに彼は初めて、性感帯のどこにもふれられていないのに、声だけでイった。こんな身体になってしまって、果たして施設に戻ってやっていけるのだろうか。この身体を誰が満足させてやれるのか……
 傲慢な思考に陥りそうなところを、いけない、と押しとどめる。それは自分の裁量の範疇ではない。
 施設に戻らなければならないことを告げると、彼はやはり激しく動揺して、泣きわめいた。
「きらい、きらい、そんないじわるなこと言うヒロト、きらい……!」
 胸が痛まなかったと言えば嘘になる。でも、好き、と言われたときのような、飲み込めないものを無理矢理飲み込まされるような違和感……いや、罪悪感はなかった。
 新しい名前がいるね、と、話を逸らせると、彼は少し落ち着きを取り戻してくれた。
 IDカードが入ったヒロトのネックストラップをいじっていた彼は、おもむろに、カードに記載された名前の中央部分につっ、と指を走らせ、言った。カジヤヒロト。
 ヤヒロ。
 これにする。
 ヒロトと一緒にいたいから。

 これからも一緒にいられるよ。ただ少しだけその時間が少なくなっちゃうだけで……
 何を言い訳がましく言っているのだろう。冷や汗が流れる。
 そんなヒロトの胸中など知らず彼は、こう書くとかっこいいね、と、宙に文字を書く仕草をする。夜広。
 夜が広がる……
 一体何の冗談だ。
 思わず叫び出したくなる衝動を堪え、それはあまり一般的ではないから、もっとかっこいいのを考えようと、食い気味に言う。

 彼が自殺未遂を繰り返したのは、信頼していた相手から性的暴行を受けていたからだ。繰り返し。五年以上に渡って。性的暴行、という単語をまだ知らないうちから。
 生きる気力を取り戻してよかったじゃないか、と、上は言った。それで過去に苦しめられることがなくなるのなら、一体何が悪いのか……
 生きる気力を取り戻す……? そのためなら何をやったって許されるのか。自殺するようにならなければ、それでいいのか。生きている、ということは、何を差し置いても肯定されるべきことなのか。肉体が生きていれば、精神が死んでも。
 性行為にトラウマのある少年を、よりにもよって色情狂にさせるなんて、そんなことが許されていいのか。反吐が出る。虫唾が走る。
 ……それに手を貸している自分自身に、一番。

 憎んでほしい、恨んでほしい、蔑んでほしい。
 今はただ、早く『その日』が来てくれることを願っている。彼が自分自身に向けていた刃を、くるりと外に向けてひっくり返す日が、どうか、早く。


 そのとき彼の真正面にいるのが、どうか、自分であってほしい。