雲まで届く、赤い光をまとった巨塔。
鳴田藤がそれを見たのは、Free Cityに初めて訪れた一日だけだ。
フリーのカメラマンとして歩き回っている彼に舞い込んだ仕事。指定された現場は、同性愛者が集まると言われて有名な都市だった。内容から長丁場になることが予想できたので、アパートを借り、必要最小限の荷物だけ配達してから車で向かった。直前まで別の仕事に対応していた為、既に日付が変わりそうな時間帯だ。疲れているから早く家に行き、ダンボール箱の中にある布団を引っ張り出して眠りたい。どうせこれから嫌と言うほど滞在することになるのだから、寝る環境さえ整えれば充分だ。
愛車のアクセルを踏み込み、海上道路を駆け抜ける。
Free Cityは四方を海で囲まれていて、上空から見ると離島のような景観だ。ただし無限に連なる高層ビルから、昼は灰色の城壁に囲まれた隔絶地域にも見えた。
街の玄関でもある巨大な吊り橋を抜ける。その瞬間、開いている窓から生暖かい風が入ってきた。さっきまでとは違う、肌を撫でるような風だ。妙に心地悪く、窓は閉めた。
標識の横には来訪者を歓迎する看板。ハンドルを切り、カーナビを尻目に先へと進む。自分がこれから住む新居へ。
……そう思っていたのに、ずっと遠くに聳え立つ異様な建物に息を飲んだ。
「何だアレ」
前方に赤くライトアップされた塔が立っている。藤は困惑した。その塔は見たことがあって、見たことがない。
以前テレビでFree
Cityが特集されていた時、街のシンボルタワーとして同じような塔が画面に映し出されていた。目の前の塔も確かに記憶と同じ外観なのだが、そのサイズが尋常ではない。この世のものではないような、天まで届く高さだ。
周りに走っている車がない為、自分以外の人間の反応は見られない。どうしたものかと思っているうち、ナビは左折するように指示を出してきた。
青信号を確認してハンドルを切る。車体が傾いた後、右側に向いて再び塔を確認した。ところが、
「あれ。……無い」
何故かさっきまでの方角に、赤い塔の姿はなかった。
後続車がいないので、ブレーキを踏んでもう一度目視する。しかし結果は同じで、そのような巨大な建造物は見当たらなかった。
反対に、今度は自分が向かう方向に大きな塔がある。さっき見たものより幾分ミニサイズだが、テレビで見たこの街のモニュメントだろう。赤いライトに包まれて輝いている。
「……」
この不思議な経験はこれっきり。以降藤は会う者全てにこのことを話したが、誰もが冗談と受け取り笑って流した。
藤が話す「塔」に興味を持つ者はいない。どちらかと言えば、「家」。神様の家と言われる架空の存在について熱く語っていた。
「……俺は鳴田さんの話も興味あるけどなぁ」
自分でもおかしな話だと思う。とはいえ、幻覚だと笑い飛ばされ、変人扱いされるのは腹が立つ。独りバーでヤケ酒をしていると、アシスタントの古宮仙代が隣にやってきた。
古宮は自分より四つ歳下の若いカメラマンだ。バイタリティは然ることながら、社交的で温厚、人に好かれる青年である。つまり、人の懐に入るのが上手い。
彼が同性愛者だということは同業者の噂で知っている。だが彼は知らないだろう。藤もまた男しか愛せない同性愛者だということを。
「鳴田さんが見たやつじゃないけど、街の中心に建てられてるタワーがあるでしょう。あれは電波塔でもあるんですけど、神様の家と関係あるんじゃないかって噂がありまして」
「はあ。どう関係あるの?」
「え? 例えばホラ、何かやばい回線使って街中のインターネットをジャックしてたりして!」
ばかばかしい。有り得ないだろう、そんなの。
結局神様の家も巨大な建造物も、信憑性の無い妄想なのだ。そして綺麗に追いやられる。
無情にも排他される。この街の廃人と同じ、存在しないものとして扱われる。
「……俺は信じますよ」
支払いを済ませて立ち去ろうとすると、古宮は袖を掴んで見上げてきた。
「こんなこと言うの失礼ですけど、鳴田さんって冗談言うような人に見えないから」
本当に失礼な奴だ。酒のせいか沸点が低くなってると自分で気が付く。彼の手を強く払った。
古宮の読み通りだ。自分は仕事一筋で生きてきた。学生時代は冗談が通じないことで有名だったし、働くようになってからは誘いづらい人間に認定された。それを出逢ってそう経ってない歳下に見抜かれたこともむしゃくしゃした。
お前に俺の何がわかる。彼の襟を掴んで引き寄せた。
苛々する。こんなにも簡単に心の底が知られてしまう───安っぽい自分に反吐が出る。
「暇ならホテルでも行く?」
「え?」
藤の言葉に、鳴田は素っ頓狂な声を上げた。それが狙いだった為、満足して続ける。
「冗談だよ、冗談。ほら、俺だって冗談言えるだろ」