執筆:八束さん
壊されがいのある人生を送ろうと思った。
何年後か、あるいは何十年後か……
分からない。でも彼が壊したいと思ったときに、壊しがいがある、と思えるような、完璧な人生を。
相変わらず、ちょっと優しくしただけで、微笑んだだけで、簡単に好きになってもらうことができた。
妻を抱きながら、ああ……自分は女も抱けるんだ、とひとごとのように思った。好きだ、愛してる、君しかいないと囁くことができる。本当にこのひとは自分のことが好きなんだ、と、完璧に、少しも疑わせることなく信じさせることができる。マイノリティのフリもマジョリティのフリもできる。
私もあなたのことが好き。あなたが私のことを好きな以上に、私はあなたのことが好き、と妻はうっとりと語る。私以上にあなたのことを愛しているひとは他にいないと。これ以上の言葉はあるだろうかと自信さえ滲ませて。
でも彼女の言葉にかぶせるようにして、脳内でもうひとりの自分の声が巡る。
……彼以上に自分のことを憎んでいる人間は、他にいない。
成長した彼の姿を見ただけで、イってしまいそうになった。
あのときでも容赦ない力強さで組み伏せてきて、抵抗することができなかった。今ならもう、どうやったって彼にはかなわないだろう。
大学院生になった彼は、娘の小学受験のための家庭教師になった。娘が受ける予定の小学校はN大付属だったため、それならN大の事情を知っているひとがいいだろうと、妻がわざわざ大学まで行って、家庭教師になってくれる学生を探してきたのだ。おあつらえ向きに彼は、N大の教育学部に進学していた。
「ぞうさんの反対に来るのは何かなー?」
「えー、むずかしー、うさぎさん? あ……いっこ飛ばしだから、くまさん?」
「んー、どうかなー、じゃあ実際にサイコロ作ってみよっか」
「うん!」
「はさみ使えるかな。ここの太い線のところを切るんだよ。点線のところは切っちゃ駄目だからね。そうそう、ちょきちょき、って」
隣の部屋から、彼と、娘の楽しげなやりとりが聞こえてくる。微笑ましいやりとり。普通だ。何も変なところはない。でも消えない、喉元にナイフを突き立てられてるような感覚が。
「あ……ねこさん! せんせい、ねこさんだ」
「そうだね。もう一回広げて見てみよっか」
「うさぎさんの反対がくまさんで、とりさんの反対がたぬきさん。すごーい、すぐ分かっちゃった。パパに教えてもらったときはぜんぜん分からなかったのに」
「パパによく教えてもらうの?」
「うん、でもね、せんせいの方が好き」
「実は君のパパもね、昔は先生だったんだよ」
「え?」
「僕は君のパパに勉強を教えてもらっていたんだ。学校での勉強なんかより、ずっと楽しかったし、分かりやすかった。それで僕は君のパパみたいな先生を目指そうって思ったんだ」
「ふーん……そうなの。何かへんなかんじ」
「さ、次、こっちもやってみよっか」
「えーっ、こんなぐちゃぐちゃなかたち、分かんないー」
「ゆっくり考えれば大丈夫だよ。……ちょっとしばらく、考えていてくれる? パパにお話ししたいことがあるから。すぐに戻ってくるからね」
隣の部屋のドアがあいて、彼がやってくる気配がする。
「あーあ、駄目じゃないですか」
さっきまでとは打って変わった声色で。
「娘さんは優秀なのに。パパがそんなでどうするんですか」
吐き出してべったりとよごれた性器を指でつままれただけで、身体がビクンと跳ねた。拒絶の言葉を言おうとしたつもりが、唾液をこぼしただけになってしまう。肘掛けの上に固定された両脚。縛られたところの感覚がない。いや、快感だけを感じ取るようになってしまった。気まぐれにふれられただけで、声を抑えることができなかった。
彼は「しーっ」と子どもにするように、人差し指を唇に当てた。「静かに。隣で娘さんがお勉強してるんですから、邪魔しちゃ駄目ですって」
「だったら、もうこんなことやめ……っ」
「どきどきしました? もし奥さんが早く帰ってきちゃって、このドアをあけたら……って。こーんな情けない格好、見られちゃったらどうなるんですかね。……はは、想像したら震えちゃいました? 大丈夫ですよ。初めは死にたくなっちゃうかもしれませんけど、たいていのことはどうにかなるもんですって。ほら、あなたに破滅させられた俺が言うんだから、信憑性あるでしょ? あー、そのときのことを考えると楽しくてしかたないな。でもそれはまだちょっと先のことですね。まだもうちょっと、遊ばせてくださいよ。会えなかった歳月の分……ね」
中に入れられっぱなしだったディルドをずるり、と引き抜かれた。
次に何をされるか分からない不安から縋るように見上げてしまうと、彼は「期待してるんですか」と言った。そう言われると、確かに自分は、『期待』していたのかもしれなかった。
けれど彼が取り出したのは、さっきよりもかなり小ぶりなローターだった。広がりきった穴にそれは簡単に入ってしまって、まるで物足りない、という風に肉壁が収縮しているのが分かる。彼の意図を探るより先に電源を入れられ、思考をショートさせられる。
「やめっ……し、づく、くん……っ、これ以上は、無理……っ」
「あー……、つるつるしてるから、すぐ落っこってきちゃいますね。駄目ですよ、ちゃんとくわえてないと。ほら、お腹に力入れて」
ぐっ、と押し込まれ、敏感な部分にピンポイントに押し当てられる。脚が震え、椅子がガタガタと動く。
「あっ……おねがっ、もうイくっ、イっちゃ……う……っ、しづくくん、もうやめて、もうこれ以上はこわれるっ……こわれるから……っ、あああっ!」
イった、と思ったらさらにまた大きな波が来て、何がイっている状態なのか次第に分からなくなっていく。
「あー……ごめんなさい、そろそろ娘さんのところに戻らないと。本当はずっとこうやって押さえてあげていたいんですけど……俺がいなくてもこれ、落とさないようにちゃんとくわえていてくださいね。そうそう、脚、もっと広げて。ケツ突き出すようにして。今はナカに入っているから音、抑えられていますけど、うっかり床に転がっちゃったらきっと派手な音がして、娘さん、変に思っちゃうかもしれないですよ。子どもの好奇心ってすごいですから、俺の制止なんて振り切って、このドアをあけちゃうかもしれないですね。あ……鍵はあけておいてあげますね」
「な、んでこんな……」
「俺は先生に教えられたとおりのことをやっているだけですよ。あ……でも先生はもう、先生じゃないですもんね」
すっ、と彼が立ち上がる。見下ろされる。鋭い目。歪んだ口元……
「しづく、くん……」
「俺ももう、あの頃の『紫月くん』じゃないんですよ」
そして子どもにするように、優しく頭を撫でてくる。ぞっとする声音とは対照的な、柔らかな手つきで。
「今度は俺が尊さんに授業をしてあげる番ですね。絶望の授業。だからこう呼んでください」
せんせい、って。