執筆:七賀
「紫月くん……」
影が重なる。
好きな人の影が。
息がふりかかる。視線が交わっている。白い液体が彼の指にまとわりつき、いやらしく光っている。汚しているんだ。もう後戻りできない位置に自分は立っている。
気付けば彼を床に押し倒し、激しくキスをしていた。キスなんてものも初めてだったけど、無我夢中で彼の中を味わった。彼が路地裏で男としていたみたいに濃厚なキスを目指して。でも目指して、ってのも変だし、真似るのも癪だった。ずっとしたかったことをしよう。彼の顔の真上に腰を落として、口の中に性器を無理やり突っ込んだ。
彼は苦しそうに呻く。いきなり口を塞がれたのだから当たり前だ。しかも他人の性器。噛まれるかな、と頭の隅で戦慄した。彼になら噛みちぎられても仕方ないけど、 やっぱりちょっと怖いような……と思いを巡らせ、彼が一向に噛む様子がないことに気が付く。
むしろ飲み干すように、吸い付くように受け入れている。それが分かったらどうしようもなく嬉しく、自惚れた。腰をガンガン振って、アソコはまた凝りもせずに硬度を取り戻し、彼の口の中に醜い快感をぶちまけた。
恐らく今まで一番、快感と罪悪感が仲良くひとつになった。この二つも、セックスしたんだと思う。俺の頭の中で。
「先生……先生……っ」
その後も繰り返し腰を動かした。先生は抵抗しなかった。俺の腰を掴み、根元まで飲み込む。食らい尽してやろうとする積極的な動きに俺もやられて、思いのままに交わった。授業なんて始められるわけもなく、お互い裸になってベッドになだれこむ。
「先生、しよう……」
「…………」
俺は先生を抱いた。こんなに簡単に入るものなのか、と驚くほどすんなり挿入できた。でも当然、彼は準備をしていたんだと思う。“こうなること”も見据えて、俺の家に来たんだ。
抱かれてる時は従順に脚を開いて喘いでいた。帰る時までしおらしく、いつもの先生のように笑っていたのに。
ある日突然バイトを辞めたと家庭教師の派遣会社から連絡がきて、俺は彼と会う機会を完全に失った。
でもそれだけじゃない。彼はしっかり俺に残し物をして去って行った。
家のポストに小さな封筒が投函されていたらしい。それには何も記されてない一枚のDVDが入っていて、家に帰って来た両親はディスクを観ようとテレビの電源をつけた。
俺はちょうどその直後に帰宅して、家族の居間に似つかわしくない音声を聞き足早に向かう。
どこかで聞いたことのある、くぐもった声。両親が呆然と立ち尽くす先にある、テレビの中から聞こえていた。
俺の声だ。
テレビの大画面には、部屋でオナニーするいつかの自分が映し出されていた。
学校ではなく家庭を他人に破壊される感覚というのを、このとき初めて知った。俺は両親と疎遠になり、高校卒業を機にひとり暮らしを始めた。その方が俺も両親も気が楽で、幸せだった。多過ぎる仕送りがやや手切れ金のようにも感じられたが、これで良いと思う。大学へ通いながら、バイトもせずにおひとり様を堪能した。
俺はあれからたくさんの男と寝た。ただシたい、というより経験を積みたい、という気持ちの方が強い。俺は上手いのか、下手なのか。上が良いのか、下が良いのか。
結果は相手によって違った。抱く時は下手だと言われることもあれば、上手だと褒められることもある。抱かれる時も然りで、反応は全然違う。
大学から少し離れたところにホテル街があり、適当に路地裏を歩いていると手頃な相手を見つけることができた。大人にもなって何をやってんだろうと呆れるけど、俺は多分あの時からずっと狂っている。
尊先生と初めて出逢った時から。彼を手に入れたくて仕方ない。めちゃめちゃにして、ぐちゃぐちゃにしてやりたいんだ。
ご丁寧に俺の家族の絆も壊してくれたし、俺も人としてなにかお返しをするべきだと思う。彼よりもずっと盛大に、俺の押し殺していた愛を伝えたい。俺は今ひとりだ。俺には貴方しかいない。そう伝えて、ひとつになりたい。
その願いに導かれるように、俺は再び彼と巡り会えた。大学の近くのカフェで時間を潰している時に、テーブル席に座った、恐らく親子。若い女性と、小さな女の子。その子が甘えるように抱き着いている、若い青年。
五年経ってもすぐに分かった。俺が想い続けた尊先生。
置いていた眼鏡を掛けて、気付かれないように窺う。彼らは自分達の会話に夢中で、微笑ましいまでに楽しくお喋りしていた。
先生の左手の薬指には指輪がはめられている。どうやら本当に結婚したようだ。幸せの真っ只中にいるんだろう。
楽しそう。
あれを壊したら、とっても。
すっかり冷めた甘いカフェオレを口に含み、紫月は静かに店を出た。