執筆:七賀
“先生”に出逢ったのは今から五年前。高校受験を控えた中学三年生のときだ。
塾で受けた模試の結果に愕然とした父が雇った家庭教師。それが尊(みこと)先生。
当時は大学三年生で、空いた時間のアルバイトとして勉強を見てくれた。勉強は嫌いだけど、彼とする授業は楽しくて仕方なかった。無理のないペースで、こちらが理解するまで何度でも説明してくれる。優しくて知的。男の自分から見ても素直にかっこいいと思ってしまう、理想の青年だった。
紫月(しづき)は、尊に恋していた。
「はい、じゃあここまで。紫月君、今日もよく頑張ったね」
「ありがとうございます!」
優しく頭を撫でられると、大抵のことはどうでもよくなる。尊に褒められると思えば、一問正解するたびに胸が高鳴るのだ。まるで初めて自転車に乗ることができた子どものように、全身で喜びを表現してしまう。
自分でも呆れる。同性に対して恋心を抱くのは一般的じゃないし、もし尊がこの気持ちに気付いたら今まで通りに接してくれなくなるかもしれない。彼に抱いているのは憧憬の範疇なのだと言い聞かせ、心を押し殺す日々が続いた。
しかし、会う度に思いは強まる。澄んだ水のような恋心はいつしか泥水のように汚れ、黒々とした色に染まっていた。
先生が好きだ。
少し掠れた声、垂れ目なところ、肩が触れた時に漂う匂い。その全てを思い出して泣きそうになる。彼が帰った後、彼が座っていた椅子の座面に性器を擦り付けた。背もたれにしがみつくようにし、腰だけを一心不乱に振り続ける。
理性が壊れていく。受験前のストレスが暴発して、自制心のストッパーが故障してしまったようだ。
「くっ、う……!」
座面に掛けるギリギリで腰を引き、何とか手の中に吐精した。この一瞬に酷い中毒性がある。全てを引き換えにしてもいいと思えるエクスタシー。そして、純粋に勉強を教えてくれる青年を汚したという罪悪感。 この二つが頭の心臓部分を犯していく。
尊にとって自分はただの生徒で、しかも短期間の契約の関係。高校にさえ受かれば赤の他人となり、彼はこれから就職活動に入る。そしてきっと綺麗な女性と出逢って、幸せな人生を築いていく。
そうなることを願い、慈しみ、最後には粉々に打ち砕く妄想をした。狂った思考だ。どうも頭の中にはもう一人のイカれた人格が存在するらしい。そいつが自分勝手に暴れて、欲しいものにマーキングしていく。バレなきゃ何をやってもいいじゃないか、と囁く。尊が座る椅子やトイレでオナニーするように、バレたら人生終わるけど、バレなければ永遠に続けたいこと。誰にだってあるはずだ。出来心でやってしまった、その場限りの短い願望じゃない。自分は、尊を永遠に縛り付けていたい。
……なんて恐ろしいことを考える自分が早く死んでくれると良いのだけど。現実は残酷で、なけなしの良心を殺そうとしてきた。
週末、気分転換に学校の友人と街中をぶらついていた。彼が飲み物を買ってくると言ったので、出てきたビルの裏側を何となく覗いた。
そこは表通りの活気と程遠く、静かで薄暗い路地。少し進んだ先に小さな喫煙所がある。そこで見てはいけないものを見てしまった。
「んっ……ふ、う……っ」
真昼間ではまず聞くことのない、色のある声。しかし女よりは低い、若い男の声。
視線の先で、建物の影に潜むように二人の男が抱き合っている。ひとりは全く知らない顔だったが、もうひとりは……普段、自分に勉強を教えてくれる尊だった。
見間違いだと笑い飛ばすことはできない。それをするには、長い時間彼らを眺め過ぎてしまった。
男二人が外でキスをしてることにも衝撃だったが、気付けばスマホのカメラを起動して彼らを撮っていた。無音のもので、周りが暗いから顔はあまり判別できないかもしれない。それでも良いと思って、一旦その場から走り去った。友人は自分を捜していたようで怒っていたけど、彼を宥めるうちに自分の心も落ち着いてきた。
これは僥倖と捉えるべきだろう。家に帰ってからスマホの写真を眺め、愛おしさに目を細めた。
見間違い。……じゃない。先生は男が好きなんだ。
抱く方かな、それとも抱かれる方かな。男同士のエッチをネットで検索してみた。頭の中で二つのシチュエーションを用意すると、俺は先生が乱れてる姿の方がそそられる気がした。
毎日ひとりでシて、頭の中で先生を犯した。
授業の後だけでなく、授業の前でもオナニーするのが習慣化した。潤んだ瞳で見上げる彼の顔に、自分のものを強引に押し付ける……なんて醜悪な行為だろう。でも最高に気持ちいい。やばい、想像するだけでイける。震える。
「あ……っ!!」
とうとう脳内映像でイク技術まで身につけてしまった。椅子が豪快にひっくり返り、全身が痙攣する。下着の中には液体がじわじわ広がる、気持ちの悪い感覚がした。
すると直後部屋の扉が開かれた。まだ授業の時間には早いのに、飛び込んできたのは尊先生だった。
「紫月くん! どうしたの、大丈夫!?」
驚いた様子でこちらに屈み、抱き起こしてくれる。まだ下半身は快感に支配され、とてもじゃないが動けない。
「き、救急車を……」
と言ってスマホを取り出したから、それは慌てて止めに入った。どこも悪くありません、どころか自慰で絶頂して倒れました、とか人に知られたらもう外を歩けない。短い人生が終了してしまう。
「大、丈夫ですから……っ。お願いします、ほっといてください……」
「で、でも……」
良いと言ってるのに、尊はまだ困った様子でスマホを握り締めている。両親はまだ家に帰って来てないが、このことを報告されても面倒だ。
下着の中はぐしょぐしょだし、一回彼に出て行ってもらわないと着替えることもできない。って、あれ。親が居ないのに、何で彼が家の中にいるんだろう。
「尊先生……」
「何?」
「いつ家に入って来たんですか?」
上体だけ起こして問い掛けると、彼は無表情のまま首を傾げた。
「うーん……ちょっと前。それより紫月くん、不用心だよ。家のドア、鍵がしまってなかった。だから俺は助かったんだけど」
マジか。それはやばい、馬鹿した。
あと、「助かった」って何だ。何か嫌な予感がする。
反射的に彼から離れようとすると、前触れもなく股間を触られて跳ね上がった。イッたばかりのそこに走る刺激は衝撃的で、自分でも聞いたことのない高い声が口から出た。驚いて先生を見ると、彼は少しだけ楽しそうに笑った。
「大丈夫?」
「え……」
また、同じこと。大丈夫とすぐ返せば良かったけど、彼が何を「大丈夫」と訊いてるのか分からず寒気立った。
体調が……というわけじゃない。でも、それなら何を……。
考える間も彼の手は股間をまさぐる。そしてとうとうジッパーを下ろし、下着の中に手を入れてきた。
「いやっ! な、何す……っ」
悪い夢だと思いたい。しかしさっきより強い、直接的な刺激に襲われる。驚きのあまり抗うことすら忘れてしまった。果てたばかりの性器を引きずり出される。その際、吐き出した精液がまとわりつき、下着と繋がって白い糸をひいていた。
多分これが、彼が訊きたかった「大丈夫」なんだろう。分かったところでどう反応していいか分からないけれど。