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【0.8】〔1〕

執筆:八束さん

 

 

 

いつもどおり薬を届けに行くと、先生はこちらに背を向け、窓の外を眺めていた。空の青と白衣の白とのコントラストに、ハッとする。肩越しに煙草の煙が見えた。
「めずらしいですね」
 声をかけると先生は、
「気分がよかったからね」
 と言った。
 直感的に嘘だと思った。一、二度会った程度のひとではきっと気づかないだろうけど。
 先生は窓の向こうに広がる海めがけて、煙草を放り投げた。

 月に一回、時に二回。この島に医薬品を届けるようになって、そろそろ二年になろうとしている。そしてそろそろ、訪問してセックスした回数が、何もしなかった回数を上回ろうとしている。
 ああやっぱり……
 荒々しく突き入れられていると確信する。やっぱり何か、苛ついている……
 振り仰ごうとしても、押さえ込むように打ちつけられるから、荒波の中の小舟みたいに為す術がない。滅茶苦茶にされているのに、それなのに感じてしまうのが恨めしい。訊かなければと思っていたことも、言わなければと思っていたことも、押しとどめなければと思っていたことも、全部押し流されてしまう。このひとに対する自分の感情も分からなくなる。
「一体何があったんですか」
「んー? 何で?」
「だって、何か……いつもとち、が……ああっ」
 さっきから散々バックで突かれてイかされている。ナカでイってるのか、ペニスの刺激でイってるのか、気まぐれに舐められる感触でイっているのか、もう、よくわからない。先生もイってほしくて締め上げてみるけれど、そんなのは子ども騙しだと言わんばかりに簡単にいなされ、逆に無駄な抵抗をしたことを戒めるみたいにまた、快感を叩き込まれる。快感の噴き出す先はあまりに細く、排出するのが追いつかない。ひとつ、気持ちよくなるたび、ひとつ、身体に糸を巻きつけられていっている感じがする。この行為が終わったとき、自分は意思も何もない、このひとの操り人形になっている気がする。
「いいことでもあったんですか」
 どういう訊き方をすればいいのか、最近ようやく分かってきた。
「今年もまた無事に子どもたちが巣立っていったから」
「そう……ですか……それはしばらくは……寂しくなりますね」
「そうだね、とてもいい子たちだったから、つい感傷的になっちゃうよね」
 と、感傷のかの字も感じられない声で言う。
「本物の友情っていうか……愛情っていうのはこういうものか、って、見せつけられちゃって……ちょっと久々にまいったかなあ」
「だからこんな……溜まってたんですか?」
 ようやく引き抜かれた後ろから、だらだらと吐き出されたものが逆流する。先生は気まぐれにそれを指ですくい取ると、マーキングするみたいに尻や鼠蹊部や腹にすりつけてきた。
「すっごい感動的な話があるんだけど、聞かせてあげようか」
「はあ……
 不意に仰向けにされ、覗き込まれる。キスをするのか、と勘違いしてしまうような至近距離。先生の目の中に、惚けた顔の自分がいる。
「可愛い男の子ふたりが道ならぬ恋に落ちちゃって。それに気づいた大人たちは、何としても彼らを引き裂こうとした。……どうやろうとしたか分かる?」
 答える前に、先生は口をひらいた。
「感情を消そうとしたんだ。友人のことを好きだという感情を」
「消す、って……そんなこと……
 どうリアクションを取っていいのか分からなかった。信じても疑っても彼を満足させられない予感がした。余計なことを考えるな、と言わんばかりに、ペニスをゆるゆるとしごかれる。さっき散々出したのに、また勃ち上がってきてしまう。
「必死に抵抗する姿には流石に胸が痛んだなー。自分の身体を傷つけてまで、強制的に植え付けられる感情から逃れようとして。でも所詮無駄な抵抗。見過ごさないからね、ここのシステムは、絶対」
 先生はおもむろに、腰を落としてきた。入れる、というより、食われていく。先生に。
 自分の、どんな小さな反応も、このひとはきっと、見過ごさない。
「どうせ上書きされるのが分かっているのに抵抗して……。どうしてそんな無駄なことをするのか分からなかった。大人しくしていれば何も知らずに、恵まれた環境で生きていけたはずなのに。感情だけを消すというのは難しくて、抵抗するもんだから余計に強く上書きしなきゃならなくなる。性格も変わって、知識レベルも低下して……見ていられなかったな」
「あっ……せ、んせ……っ、の、ナカ……気持ち……よすぎて……駄目……駄目で、す、もう……っ、あっ……!」
「何入れただけでイきそうになってんの」
 根元をぎゅう、と握られて、脚が情けなく跳ねた。
「すみませ……
「聞いてよ、ねえ、聞いてる? 感動的なラストが残ってるんだから」
「は……
「でも駄目だったんだ、そこまでやっても……どれだけ上書きしても。過去の体験や知識は消えても、好きだという感情だけは、最後まで、どうやっても消えなかった。とうとう匙を投げた大人たちは、失敗作の彼らを島から放り出した。晴れて自由の身となったふたりは今頃、どこか遠いところで支え合って生きていっていることでしょう。めでたしめでたし……
「とっても……いい話……です、ね……?」
 パンパン、と、一定のリズムを保っていた腰の動きが、不意に止まった。どうしたのかと見上げると、わずかに肩が震えていた。その動きが徐々に大きくなる。……笑っているのだ。
「いい話……だよねえ、本当に」
 いけない。
 警鐘が鳴る。
 でも、快感に押し流される。
「それも本当に彼らの感情なのだとしたら」
 何……
 一体何を言おうとしているのだろう。
「大人たちのいいなりにならない、本当に愛すべきひとを愛した、守るべきひとを守った、誰に反対されても貫く、自分を傷つけても、自分の選ぶべき道を選んだ……それが本当に彼らの感情なのだとしたら」
 身体は熱いのに。
 熱くて熱くてたまらないのに。
 頭の芯が物凄い勢いで冷えていく。
「まさか……
「気づいた? そう、始めっからぜーんぶ、そうなるように仕組まれていたんだよ。自分を傷つけることも、大人に逆らうことも、そもそも友人を好きになるところから、全部。でも彼らは思いこんでる。自分で選び取った道だと。選ぶ……? はっ、それすらも選んだ、と思いこまされているだけなのに。かわいいよね。ねえ、かわいくない? かわいくてかわいくて、かわいそうで、かわいい」
「先生……
 それって本当ですか……
 でも何か言おうとすると、快感が毒のように思考を麻痺させる。正しいものを正しいと、間違っているものを間違っていると判断する思考。
 伸ばした手が空を切る。

 

 

 

 

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