「要はどっちも節度を守れってことだろ。どっちか一方か威張っちゃいけない。お互いが譲歩すればそもそも衝突なんか起きないんだから」
「晶……。そうそう、それが言いたかったんだよ。お前たまには良いこと言うなあ」
「だろ? もっと褒めていいんだぜ」
いや、調子に乗るからこの辺にしとこう。
「それよかさ、千草は誰かと付き合わねえの? しょっちゅう告られてんだろ?」
「俺、年上好きだから。それも一歳とか二歳じゃなくて、もっと大人の」
「うわ、お前遊ばれるタイプだ」
晶は大袈裟に肩を竦めて後ずさる。とりあえずこんな感じで返しておけば、必要以上に詮索されたりしない。この学園で、誰かに恋愛してるとは思われない。千草は密かに、満足気に頷いた。
それから校内をしばらく回ったものの、会長とは出会えず。連絡先を知らないことを嘆いた時には日が暮れ、足が痛くてベンチに座った。晶も最初こそノリノリだったが「そういえば今日見たいテレビあった」と言って帰ってしまった。
────俺も帰ろうかな。
膝に力を入れ、よっ、と前へ傾く。立ち上がる前はしんどかったけど、一度立ってしまえば疲労は消えた。
けど、横から飛び込んできた声に意識は逸れた。
「籠原じゃん。何してんの?」
「え?
あ、ちょっと休んでただけ。でももう帰ろうかなって……」
振り返ると、隣のクラスの少年がいた。名前は確か山瀬。一年のときに委員会が一緒だったから、いっときはよく話していた相手だ。
彼は納得すると「ふーん」と呟き、近くへ寄ってきた。
「なぁ……籠原って生徒会だったよな。ちょっと相談したいことあるんだけど、良い?」
そう言う山瀬の顔は真剣で、冗談の色は一切見えなかった。だからなのか、断る理由も思い付かず彼についていった。雑草が茂り人気のない裏庭。昔は数ヶ月に一回この辺りを生徒が掃除することもあったけど、最近はそれも無い。鬱蒼としていてあまり長居したい場所じゃない。
山瀬の落ち着かない態度も拍車をかけた。周りを確認して何度も咳払いする。どうしたのか尋ねようとしたとき、突然後ろの木に押し付けられた。
「籠原。お前ゲイだろ?」
息が止まるかと思った。唐突だったこともそう。でもそれ以上に、親しくもない人物に自身の秘密を暴かれたことが衝撃だった。
「何だよ、いきなり……!
意味分かんないんだけど!」
それでも動揺だけは悟られちゃいけない。焦りを怒りに変えて手を払う。
「大事な話だと思ったのに。俺をからかうのが目的?」
「は、隠すなって。生徒会ってホモの為に活動してんだろ?
なら、生徒会も全員ホモなんじゃねえの?」
山瀬は可笑しそうに肩を竦める。確かに、生徒会の裏を知ってるなら話は別かもしれない。……けど。
「それは、会長が好きでやってることだから。俺は全然そんな気ない。一般人だよ」
嘘だ。でもこう言うしかない。ホモという蔑称も本当は許せないぐらいだけど、同性愛者を理解できない人間に何を言っても無駄だ。
このまま話していても拉致があかない。逃げようとして押し返したけど、慌て過ぎて派手に転んでしまった。
まずい……。
「二人とも、こんなところで何してるんだ?」
低い声と、大きくなる足音。見上げると笠置先生が訝しげにこちらを見ていた。
どうしようか迷ったけど、山瀬は素早く身を引いて「籠原がコケただけですよ」と言った。よくもいけしゃあしゃあと、と腹が立ったが、笠置の手前大人しく退散してくれたから助かった。
「いたた……」
「大丈夫か。ほら」
本当に転んだだけなのに、膝を打ったせいですぐに起き上がれない。笠置は地面に手をついている千草を抱き抱え、近くの段差に座らせた。ズボンの裾を捲ると案の定擦りむいて、血が赤く滲んでいた。笠置はそれを見て自身のポケットをまさぐる。
「ちょっと待ってな。……お、あったあった」
取り出したのは一枚の絆創膏。それを千草の膝に丁寧に貼った。
「こういう時のためにいつも持ってるんだ」
「ありがとう、先生」
嬉しいのとホッとしたのと、落ち着いた千草は笑顔で答える。しかし笠置は真剣な顔つきで千草の前に屈んだ。
「ただ転んだわけじゃないだろ。何があった?」
「え」
真剣……過ぎて、むしろ怖いぐらいの雰囲気。
大丈夫だって、何でもない。そう言おうと思ってたのに、彼の顔を見てたら胸の辺りが苦しくなった。
ほんとはちょっと怖かった……から、安心感から涙が溢れた。こんな小さなことで泣くなんて、もしかしたら今熱があるのかもしれない。
「か、籠原!? どうした、ほんとに酷いことされたのか!?」
何も知らない彼は顔面蒼白であたふたしている。申し訳ないけどそれが嬉しいし、何か可愛いから笑ってしまった。
「ううん、ごめん……大したことじゃないんだけど、先生が来てくれるとは思わなくて。色々びっくりしちゃったっていうか」
笑いながら目を擦る。笠置先生は強ばった表情のあと、息苦しいほど強い力で抱き締めてきた。
「ウッグ……せんせえ、くるし……っ」
首が締まるから思わずもがく。けど彼の力は一向に緩まない。
落ちそうだ。気が遠のく……。
顔面蒼白で彼の腕を(爪を立てて)掴んでると、弱々しい声が聞こえてきた。
「無理して笑わなくていい」
いつも明るい彼とは思えない、か細い声。それを聞いたらまた熱いものが込み上げて、目元が熱くなって、頬が痙攣した。
顎が痛い。前から不思議なんだけど、何で……泣きそうになると顎が痛くなるんだろ。
そんな全然関係ないことを考えてしまうから、可笑しくてまた笑ってしまう。笠置先生はそれを強がりだと勘違いしたようで、頬をつねってきた。
「痛い痛い!」
「さっきの……名前、確か山瀬だよな? 何されたんだ?」
「いや……全然。生徒会は皆ホモだろって言われてさ。あながち間違いでもないから、あんまり強く言い返せなくて」
笑わないように心掛けたものの、どうしても口元は笑ってしまう。心配かけたくないから余計だ。彼を怒らせても構わない。落ち込んだ姿を見せて困らせる方がずっと嫌だ。
好きだから。……その想いが彼にもっと伝わればいいのに。言葉はあまり役に立たなくて、むしろ火花を散らす。
「多分、な。生徒会に居ると、お前はこれからも嫌な思いをする。大人しくしてるだけで、同性愛者を嫌ってる奴らは学校にたくさんいるから」
「うん」
「生徒会を抑制しようなんて悠長なこと言ってられないな。実際、すぐに何とかできるもんでもない。俺としてはお前の安全が一番だ。だから籠原、お前は生徒会を抜けるんだ」
予想外の言葉を投げ掛けられ、思わず彼を見返した。
「やっぱりそれは嫌か? 内申の方が大事か」
「いやっ……内申だけじゃないけど……! 無理ですよ。そんなこと……急に言われても」
膝の絆創膏に触れた。別に真っ向から反論しているわけじゃなくて、自分でもどうしたらいいのか分からないでいた。
生徒会の活動にはうんざりしている、それは確かだ。でも何とかしたいという気持ちが強くある。壇上から下りるという選択肢は自分の中には存在しなかった。
さっきのように標的になる危険はあるが、いきなり外野に飛ばされるのも納得がいかない。
「俺は大丈夫です。生徒会はやめない。だってまだ何にもできてないから……笠置先生との約束も果たせないままだし」
「俺との約束より自分の身の安全を考えろ。恋愛よりもずっと大事なことだ。俺は自分を粗末に扱う奴を好きになる自信はないぞ」
「えぇ! そんなの狡いです!」
「何も狡くない!」
子どもみたいな口論を繰り広げ、互いに膠着状態となる。でも何の喧嘩なのかも分からず、ため息が出た。
「先生が好きです。でも、生徒会の奴らも……嫌いじゃないんです」