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1(八)

執筆:八束さん

 

 

 

今となっては、デビューが決まって浮かれていた頃の自分を自分で殴ってやりたい。


 あ、でも一応アイドルだから顔以外で。
 でも、だって、しかたないじゃないか。デビューなんてそうそうできるもんじゃない。七人のメンバーのうちのひとりに滑り込めた。浮かれたってしようがないだろ。

 

 今まで長い下積みを耐えてきた甲斐があった。これから先の未来は明るい。やりたいこともやれるようになる。全部上手くいく……
 でも、すぐに分かるようになる。
 ああ……違った。俺は、俺自身のタレント性を評価されて選ばれたわけじゃない。
 六夏(りっか)の引き立て役として選ばれたに過ぎないんだ、って。

 っていうか、それをいうなら他のメンバーだってそうだ。
 世間的には『六夏と愉快な仲間たち』としてか認知されてない。どれだけマネージャーに繕われても、おだてられても、ちょっとネットをひらけば嫌でも目にしてしまう。
 あーあ、顔のいい奴は得だよな。
 そう、六夏が入所三ヶ月でデビュー、しかもセンターに大抜擢されたのだって、結局は顔だ。


 ダンスだったら絶対、六年もやってきた悠吾(ゆうご)の方が上手い自信がある。六夏はバク転できない。でも培ったテクニックを披露したところで、真ん中でぼーっと突っ立ってるだけの六夏に全部持っていかれてしまう。端っこでバタバタ頑張れば頑張るほど、六夏が目立つって何だよそれ。
 歌割りが少ないのも、MVの1ショットが一瞬なのも、それはまだいい。
 キツいのは、人気がモロに見えてしまうところ。
 六夏のグッズは秒で売り切れる。
 コンサートで目につくのは六夏のうちわばかり。
 それなのにファンサは一番少ない。だからちょっと手を振っただけで、笑顔を見せただけで、ものすごい歓声が上がる。そういうのを傍で見てると、何か馬鹿馬鹿しいなって思えてくる。いいな、人生イージーモードの奴は。そのくせ雑誌のインタビューで「アイドルに向いてると思ったことはないです」なんて言ってやがる。はあ?
 もし悠吾が同じことを言ったら、「あーそうだろうね」と、鼻で笑われるだろう。最悪、「だったらやめれば?」で終わりだ。
 さぞ女にもモテんだろうな。やりまくってんだろうな。連ドラで朝ドラ女優と共演してたもんな。付き合える女のレベルも違うよな。
 それなのに六夏から、浮いた噂を一度も聞いたことがない。誰もが名前を知っている女優からの誘いも断ったらしい。選り好んでんじゃねえよ。むかつく。いや、しれっと付き合っていたとしてもむかつくけど。グループ活動に影響あるのは困るけど、何かやらかして週刊誌にでも撮られりゃいいのに……


 なんて思ってた矢先、悠吾の方が撮られた。
 グラドルと適当に遊んでたときのやつだ。もちろん本気なんかじゃない。
 幸い事務所が差し止めてくれたけど、こっぴどく怒られる羽目になって、しかも怒られている現場を六夏に見られて、こう、言われた。
「グループで活動してるって意味、分かってる?」
 うるさい。
 他の誰に言われても、こいつにだけは言われたくなかった。
 アイドルの自覚がないのは、お前だってそうじゃないか。
「お前には関係ないだろ」
「関係ないけど。だからこそ分かってる? グループで活動してるってことは、ひとりくらいいなくなっても平気、ってことなんだから」
「なっ……
 あーそうですか。センターのお前がいなくなったらグループとして成り立たないけど、所詮バックダンサーの悠吾がいなくなったところで何の影響もないってことですか。分かってるしそんなの。それをわざわざ言ってくるって何なのこいつまじで。
 まじでむかつく。
 いつかぎゃふんと言わせてやる。そう思っていた矢先のこと……

 変な噂を聞いた。
 六夏が、どんな女に言い寄られても靡かないのは、そもそも女に興味ないからじゃないか、って。
 女に対しては塩……っていうか、葬式でもらう塩をぶっかけるみたいな対応なのに、男の……たとえば先輩とか共演した俳優とかスタッフとかに対しては、本当に同一人物かってくらい柔らかな表情をしている。普段が塩なだけに対比でそう感じるのかもしれないけれど。しかも、酔っ払っていたのか何なのか分からないけど、最近人気のシンガーソングライターに、べったり密着しながらホテル街を歩いていた姿を見たとかいう奴もいる。
 ふうん、へええ……そう。
 ゲイだったのか。
 だったら女に囲まれてきゃーきゃー言われるのって苦痛だろうな。へえ、可哀想……
 って、誰が哀れんでやるかよ。
 こんな面白いネタ、逃すわけねーじゃん。

 ツアーで一緒のホテルに泊まっているときがチャンスだと思った。
『今からそっち行っていい?』とラインを送ったけど、未読無視。ったく。
 こうなったら実力行使しかない。六夏の部屋のチャイムを鳴らす。でも反応がない。いるのは分かってんだよ。他の皆はスタッフと食事に行ったけど、お前は「明日のコンディションに影響するから」とか言って引きこもってんだろーが。
「六夏ー! 六夏! 六夏六夏六夏!」
 チャイムを連打し、ドアを叩く。
「六夏! いるのは分かってんだよ!」
 ……はは。何か、借金の取り立てみたい。でもやっぱり反応がない。天照大神かっつーの。
「六夏あー、どうしてあけてくれないのー。私とのことは一晩限りだったのーっ?」
 そこでようやく、ごそごそ、とドアの向こうで動く気配がした。ほら、やっぱりいるんじゃん。
 ガチャ、と鍵がはずれる音がしてからドアがひらくまで、えらく間があった。こんなときまでたっぷりタメを作ってんじゃねえよ。
 ようやくひらいたけれど、しかしまだチェーンがかかっている。何、こいつ、何でこんなに用心してんの。つーか同じメンバーだって分かってんだろうが。
「近所迷惑」
「だってお前がなかなかあけてくれないから」
……何、疲れてんだけど」
 一番省エネなダンスしてるくせにそれはねーだろ。
「ああそうだよなあ、地方じゃ彼氏に会えないから、癒やしてもらえねえもんなあ」
 ぴく、と、眉毛が動いた。
「それとも地方にもそういう要員、キープしてんの? ああもしかしてこれから会いに行くつもりだった? だったら邪魔してごめ……
 がちゃり、と、チェーンが外れた。
 しかし決して「入れ」とは言わない。
 センター様は違うね。
 でも果たしてそれがいつまで保つだろう。
「俺に偉そうなこと言ったくせにさ、やることやってんじゃん。てか相手が男ってまじびびったけど、そっちの方がさ、バレたらまずいんじゃないの」
 表情があまり変わらない分、少しの変化がよく、分かる。明らかに動揺している。そしてその動揺を悟られないよう、不機嫌な顔で誤魔化そうとしてるのも。
「言いたきゃ言えば」
「へえ、これくらい何ともないって?」
「だって、別にイマドキめずらしくもないだろ」
 あ、否定しないんだ、と、冷静に思う。
「不倫してるわけじゃないし、未成年連れて泥酔してるわけでもない」
 未成年連れて泥酔……。嫌なところをちくちく突いてくる。
「まあ確かに。それをウリにしてる奴もいるくらいだもんなあ。てか、案外そっちの方がファンの子たちはいいのかも。だって他の女のものになるって心配がないもんな。でもさあ……
 スマホをいじりながら、あえてさらりと言ってやる。
「それが枕だって知ったらどうだろ」


 スマホには、六夏がテレビ局のプロデューサーと映ってる写真があった。
 実は他にも、有名俳優とか映画監督とか。
 無駄に芸能界の端っこで生きてきたわけじゃない。六夏のような華々しい交友関係はないけれど、ゲスい交流ならそこそこある。それこそ、六夏のことをよく思ってない奴らとも。そういう奴らを焚きつけて、写真を撮らせるのは簡単だった。もちろん、全部が全部真実だなんてさらさら信じちゃいない。でも真実にしようと思えば、簡単にしてやれる。
「馬鹿馬鹿しい……
「だよなあ。売れてない奴らならまだしも、トップアイドルが枕やってるなんてありえないよな。でも世間は信じるよ。それこそ俺なんかのスキャンダルの比じゃないくらい、ものすごい勢いで食らいつくだろうね。いやしっかし、流石オトモダチのレベルも半端ないね。これなんか……
 写真を適当にスクロールしたとき、サッと六夏の表情が変わった。その狼狽え具合に、逆に悠吾の方がびびった。これはもしかすると……もしかするんだろうか。
「で、お前は何がしたいわけ」
 でも六夏が狼狽えた姿を見せたのは一瞬だけで、すぐにいつもどおりの、『センター様』な態度を取り戻している。
 何がしたい……面と向かってそう言われると、自分がひどく子供っぽいことをしているような気がしてきた。より効果的に傷つけてやれる言葉を探している間に、六夏の方が先に口をひらいた。
「これを週刊誌に売る? 別にやりたきゃやればいいよ」
「ひらきなおんの。余裕だな。脱退になってもいいわけ」
「脱退? 退所だろ」

 何だろう。追いつめているのは悠吾のはずなのに、逆に追いつめられているような気がするのは。
「最悪芸能界引退か。……ま、その方がすっきりしていいかもな」
……は、何それ。未練、とかないのかよ」
 六夏は肯定するようなため息をついた。
 その態度で、分かった。
 未練……ないのか。ないんだろうな、こいつには。
 あっさり事務所に入って、あっさりデビューして、あっさりセンターになったこいつにとっては、そんなこと、別にたいしたことじゃないんだ。悠吾は喉から手が出るほど欲しかったのに。細い細い、今にも切れそうな糸にしがみついて、やっとここまできたのに。それでもまだ、何も手に入れられたような気がしていないのに。手にしたものはひとつでも手放したくなくて、必死に守っているのに。そんなものに何の価値があるのかと鼻で笑う、こんな奴が、どうして……
 ……どうしてこんな奴がいるんだ。
 無意識のうちに握りしめていた拳が、ぶるぶる震えた。
「お前、俺に辞めてほしいんだろ。だったら辞めてやるよ。でも俺が辞めたところで、あいたポジションにお前が入ることはないと思うけど」
「は……
「それでもいいならやれば。でもお前がセンターになることは絶対、ない」
 そのひとことで、ぷつん、と、理性が切れた。
 胸ぐらをつかんで押し倒す。振り上げた拳を……でも、どこに振り下ろしていいか、一瞬、躊躇してしまった。別にこいつのことを気遣ったわけじゃない。ぼこぼこにしてやりたい。でも何故かこいつに視線を合わされると、それ以上踏み込めなくなってしまう。
 これも……あれか。持って生まれたオーラ、ってやつなのか。
 ああ本当に……
 むかつく。
「別にセンターになれると思っちゃいねえし、なりたいとも思わねえよ」
 しんとした瞳。
「何がしたいか……って? シンプルに、やらせろよ」
 心の中で嘲笑っているのが分かる表情だった。でもそんなの、もう気にもならない。嘲笑われることには慣れている。プライドも、守れるとも、守りたいとも思わない。でもとりあえず今、目の前にいるこいつをぐちゃぐちゃにしてやらなきゃ気が済まなかった。
「知ってんだろ。最近監視がキツくてろくに遊びに行けねえから、たまってんの」
「知らねえし。自業自得だろ」
「芸能界引退で済むと思うなよ。今、ハメ撮ってAVに売ってやってもいいんだぞ」
 すると観念したように、力が抜けたのが分かった。観念した……フリかもしれない。
 そこから先の動きもまた……何か、舞台を見ているようだった。胸ぐらをつかんでいた悠吾の手首に、そっと、六夏の手がかかる。反撃されるかと一瞬身構えたけど、六夏の手に力はほとんど入っていない。ふと見ると、人差し指と中指が、袖の下にするりと潜り込んでいる。一度意識すると、そこが妙にぞわぞわしてきて、自分から手を振りほどいた。
 何なんだこいつ。
「たまってんなら、抜くぐらい手伝ってやってもいいけど」
 すると六夏はいきなり股間にふれてきた。
 正直、びびった。
 びびったけれど、ここで引いたら負けだと思った。
 跪いて、ベルトをはずそうとしてくる。跪かせて……いるはずなのに。見下ろしているはずなのに。何故か、そんな気がしない。
 直接、ちんこにふれられる。背筋がぞくぞくする。手首をさわられたときの比じゃなかった。
 ゆっくり、ゆっくり扱かれる。思わず腰が揺れそうになるのを、ぐっと堪える。
 不意に緩急をつけられると、あっという間に張りつめてしまった。手コキされたのなんて初めてじゃない。いや、男にされたのは初めてだけど。だから……だからこんなに感じてしまうのか。見知った相手だから。こんなことしそうにない相手だから、余計に……。いや、違う。最近やっていなかったからだ。最近やっていなかったから……だからすぐに感じてしまってもしかたない。
 じわ、と滲み出した液体を、人差し指ですくい取るようにされたとき……
 駄目だ。
 頭の中で警報が鳴り響いた。
 六夏の髪をつかんで、一回離れさせる。


「口あけろ」
 それだけ言って、躊躇いがちにひらいた口に、一気にねじこんでやった。猶予なんて与えてやらない。
 流石にこんなに急にされるとは思っていなかったんだろう。目尻が濡れて光っている。それを見られただけで、スッと落ち着きを取り戻すことができた。
「ん、んんんーっ」
「ほら、歯ぁ立てんじゃねえよ」
 熱い。
 今まで感じたことないくらいに、熱い。
 苦しそうな声を上げているのに、舌の動きは悠吾をねじ伏せようとしてくる。それが忌々しい。
 頭をつかんで、がんがん揺さぶってやった。正直、音を上げると思った。けれどしつこく食らいついてくる。時折、きゅっと締めつけられる感覚が、たまらなくクる。ふっ、と漏れる鼻息にも煽られる。
 フェラって……こんなだったっけ。
 ぎゅうっ、と絞り取られる強さが強くなって、いよいよ追い上げようとしているのが分かった。それが何だか腹立たしくて。でも気持ちよくて。でも主導権だけは意地でもこっちのもんにしたくて。
 イく寸前、引きずり込まれそうになったところを、何とか堪えて腰を引く。
 えっ、と、六夏が顔を上げた瞬間、その顔めがけてぶちまけてやった。
 ぱた、ぱた、ぱた……
 白くよごれていく六夏の顔。
 その顔を六夏は隠そうともしない。
 息はなかなかおさまらなかった。でも、六夏はまばたきひとつせず、親指と人差し指で、前髪に飛んだ精液を拭っている。
 不意にちらり、と、覗いた舌が、唇についた精液を舐め取る……
 ……その様子を、悠吾は思わず、息をつめて見つめてしまっていた。