「はー、何か眠くなってきた」
「ちょっと秋、寝ないでよ。まだガトーショコラ焼き上がってないんだから」
お酒があとちょっとになってきたところで、秋はソファにごろんと倒れた。本当は俺も眠いけど、お菓子ができるまでは寝ちゃいけないと思って。
( ……ん!!? )
いやいや、ちょっと待てよ。さずかにもう焼けてない!?
慌てて時計を見た後、大急ぎでキッチンへ走った。その途端、何かが焦げたようなキツい匂いが鼻腔に入る。
その匂いはオーブンから漂っていた。
「やっば!! 秋、ちょっと来て!! やばい!!」
「何!? 火事!?」
「火事にはなってない! どっちかっていうと全部終わった後みたいな……燃えカス状態になってる!」
恐る恐るオーブンの扉を開ける。そこには真っ黒焦げの無残なチョコの塊があった。ガトーショコラ……というか、本当にただの黒い物体だ。
「うわ、焦げ臭い。これ食ったら病気になりそう。お前何時間で設定したんだ?」
「おっ…っ覚えてない。どうしよう、和巳さん帰ってきちゃうよ」
後始末の時間も考えると、今からお菓子を作るのは厳しい。秋にも悪いことをした。今日矢代さんに渡す予定だったのに……。
困り果てていると、秋は笑って俺の頭を叩いた。
「まっ、しょうがない。火事になんなくて良かったよ」
「でも……ごめん秋」
「お前だけのせいじゃないだろ。俺もほとんどお前に任せっきりだったし。和巳さんが帰ってくる前に証拠隠滅しようぜ」
秋はさっさと片付けを始めた。その優しさが嬉しいけど、やっぱり申し訳ない。
あらかた片付けが終わった後も、俺の気分は沈んでいた。
「鈴鳴、元気出せよ。……何ならちょっと俺とイイことする?」
秋はふざけて俺をソファに押し倒してきた。綺麗な顔に見下ろされる。この構図は初めてじゃない。
「秋、懲りないね……ほんと喉元過ぎれば熱さを忘れるって感じで」
「おいおい、あんま馬鹿にすんなよ。上手く隠そうと思えば隠せるし、襲おうと思えば襲えるんだぜ。先生と違って、鈴鳴なら簡単に抱けるからな」
そう言うと、彼は口角を上げて俺のベルトに手をかけた。
「こらこら!! もうしないって約束したじゃん!!」
「えぇ、覚えてねえ。それに時効だろ?」
体重が乗ってくる。秋の柔らかい膝が脚の間に割り込んできたとき、かなりの焦燥感に駆られた。
この感じだと絶対、秋は欲求不満だ。またセックスレスになってんのかもしれない。
でも俺は和巳さんとしかシないって決めてる。だから何とか落ち着かせなきゃ……!!
「ただいまー、鈴! …………何やってんの?」
「かっ!! 和巳さん!!」
明るい声で秋の後ろに登場したのは、思ったよりずっと早いお帰りの和巳さんだ。やばい。この状況はやばすぎる。
「鈴……まさか、また秋君と……?」
「NO! 違うんだよ和巳さん、誤解! 今の今まで喧嘩してたんだ……!!」
苦しい言い訳をして、馬乗りになってる秋を逆に押し倒した。本当タイミングが悪いにも程がある。
「おや。また秋が悪さしたのかな?」
「あれ!? 矢代さん!」
「げっ!! 何で先生がいんだよ!?」
俺も秋も驚いたけど、和巳さんの後ろには矢代さんもいた。どうやら二人で会っていた帰りのようだ。それも、俺達は全然聞いてないけど。
「和巳君、いつも本当にすまない。今からキツい仕置きをするから許してもらえないかな?」
「え、えぇ……。俺も、鈴に真偽のほどを確かめたいのでお願いします」
「「いやいやいや!!」」
二人のやりとりを聞き、俺と秋は一斉に首を振った。でももう逃げることはできない。俺達は互いに恋人に押し倒されてしまった。
「すーず。俺が仕事行ってる間に秋君とイチャイチャしてたの? すごいショックだよ……浮気ってこうやって成立していくんだね」
「違う違う!! 和巳さん、俺は……うあっ!!」
いきなりズボンを下着ごとおろされ、シャツを全開にされる。恐怖のせいか分からないけど、すでに尖ってる胸の突起を引っ張られた。
「秋君だけじゃなくて、鈴もお仕置き。……したい気分だな」
和巳さんはにっこり笑って、もう片方の突起を甘噛みした。こうなるとやばい。
完全に余裕をなくすまえに秋の方を見た。すると彼もすでに下半身裸で、俺よりもう一段階先の行為に入っていた。
「んっ、あぁっ!! 先生、待って……っ!!」
掴まれた腰を辛そうに振ってる。どこから取り出しましたのか分からないローションを持ち、矢代さんは楽しそうに笑っていた。
「秋、仏の顔も三度までだからな?」
「仏だったことなんて一度もないじゃん……っ!!」
悲惨だ。何だこれ……。
彼らから視線を外し、再び目の前の恋人を見る。目が合うと、彼は嬉しそうに首を傾げた。
「鈴、ちなみに俺怒ってるからね?」
「ハイ……」
そういうことをわざわざ教えてくれるところ……地味に怖いんですけど。
すぐに「妬いてるんだよ」って付け足すところは好きだったり。
苦しかったり辛かったり、今回も(秋のせいで)色んな目に合ったけど、とりあえず総合的に和巳さんが大好きだって結論に至った。
*
「ところで、家の中焦げ臭くない?」
一時間後。できれば隠したいお菓子丸焦げ事件に気付いたのは和巳さんだった。矢代さんは優雅に衣服を整えてる。秋はソファで死んでる。
「あ、あの……実は、秋とお菓子作ってたんだ。せバレンタインだから、和巳さん達に渡すために」
でも結局俺のせいで失敗してしまったこと。深々と謝りながら話した。彼らは少し目を丸くしていたけど、やがて可笑しそうに吹き出して。
「あはは……っ。俺達の為に、隠れて頑張ってくれてたんだ?」
「でも焦がしちゃったから。本当にごめん……」
「謝ることないよ、鈴鳴君。その気持ちだけで俺も、和巳君も嬉しいから」
やっぱり、二人は大人だ。返ってきたのは泣きたくなるような優しい言葉だった。
「あ! 鈴、まだチョコは残ってる?」
「うん、チョコだけは」
「じゃあ大丈夫! 今から皆でパーティーしよ」
和巳さんは満面の笑みを浮かべて手を叩いた。
本当にチョコしかないけど、と言っても変わらず、キッチンへ向かってしまった。何か考えがあるみたいだ。
しばらく俺と矢代さんと、死んだ秋で待った。するとチョコレートの甘い匂いがリビングまで漂ってきたから、早足でキッチンへ向かう。
そこには小さな鍋に溶けたチョコ、綺麗に盛り付けられたカットフルーツが並んでいた。
「和巳君、これはもしかして」
「チョコレートフォンデュです! これなら皆で楽しめますから!」
「わぁ……! さすが和巳さん!」
「チョコつけるやつか。俺達もそれで良かったな、鈴鳴」
秋は腰を押さえながら呟いた。でも、それには矢代さんが笑って返す。
「結果はどうあれ、わざわざ考えてくれたことが嬉しいんだよ。ね、鈴鳴君」
「あ、ありがとうございます」
矢代さんの笑顔は本当に綺麗で、いつまで経っても慣れない。から見惚れてしまう。ちょっと照れながら答えると、秋と和巳さんはムッとした顔を浮かべていた。
今の間はまずかったか。嫌な予感がしてると、案の定秋が和巳さんの隣に移動して囁いた。
「そういえば……和巳さん、鈴鳴は大学の女子からたくさんチョコもらってましたよ。しかも全然断らないで」
「ちょっ違うよ和巳さん! 受け取らないと捨てるしかないって言われたから! あ
そうだ、矢代さん! 秋も普通にチョコもらってましたよ! 後で確認してください!」
「おいこら鈴鳴! 余計なこと言うなよ、この裏切り者!!」
「秋が先に言ったんだろ!」
平和な時間は長続きしない。結局また一悶着が起きた。
口論してる秋と鈴鳴をよそに、矢代は苦笑しながらフォークを手に取った。そして苺を突き刺し、チョコをつけてから口に運ぶ。
「うん、美味しい」
「矢代さんはいつも落ち着いてますね。秋君がモテモテでも心配じゃないんですか?」
「そこはちゃんと、誰からもらったのか聞き出すからね。でも俺も職場でもらったし、和巳君だって、いくつかもらっただろう?」
「えぇ、まぁ」
「それを言ったら、鈴鳴君は嫉妬すると思うよ」
含みのある笑みを浮かべ、矢代は苺を和巳の口に入れた。たまには恋人を妬かせろというアドバイスだろうか。
( さすが、余裕があるなぁ )
嫉妬……されたいと思うけど、それ以上に自分が“彼ら”に嫉妬しているから仕方ない。
「鈴が作ったチョコ、食べてみたかったなぁ」
和巳は頬杖をついた後、まだ言い争いをしている二人を眺めてため息をついた。